国民年金の第3号被保険者を考える
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2024年11月26日 (火) 19:57時点における最新版
国民年金の第3号被保険者を考える
先の衆議院選挙で自民・公明両党の与党議員が過半数を下回り、キャスティングボートを握る国民民主党とのやりとりが報じられています。
焦点は〈主に主婦の〉パートタイムの年収が103万円以上超えると所得税がかかる。
これを変えて国民民主党は178万円まで所得税がかからないようにせよ、そうすれば自民・公明政権に協力するという政治劇です。
これによりパートタイム労働の時間制約がなくなり、雇用不足を解消するのがアピール点です。
他方そうすると所得税の税収が年間7~8兆円少なくなり、国家・自治体収入に大きく影響する。
財務省や自治体も関わる事態です。178万円税への移行はそう簡単ではなさそうです。
私はこの政治劇の外部観察者です。しかし別の面でこれを考えます。
現在の103万円までの収入を非課税にした制度が生まれた背景です。
これは国民年金の「第3号被保険者」という仕組みです。
1970年代まで続いた日本の高度経済成長の中で、「夫が仕事をして妻は専業主婦として家庭を守る」——風潮としては昔からあったと思いますがこれを制度として定めたのが1985年のことです。
専業主婦の年金の導入前は、夫名義で夫婦2人分の年金が支給され、専業主婦の国民年金の加入は任意(入っても入らなくてもよい)としました。
しかし離婚などのケースで不整合があり、これを解消するために専業主婦を「第3号被保険者」の適用対象にして年金を受け取れるようにしました。
その結果、専業主婦がいく分は働いて収入を得られるが年収103万円までは非課税というクッションを設けたのです。
国会の動きは、この103万円の枠を178万円に向け広げようというものですが、他方では「第3号被保険者」制度を廃止しようとする動きが以前からあったようです。
それには「夫は仕事、妻は専業主婦」という社会状況が大きく変わっており、また世帯単位から個人単位にとらえ直すという動きもあります。
考える点はいくつかありますが、私は子育てや介護を含む家族内ケア(専業主婦が担ってきた役割)の役割を置き去りにしていると思います。
事態の中心点を外した瑣末な事態を過大に扱うように伝わるのかもしれません。
むしろ従来も現在も、家庭・家族内における子育てなどの家族内ケア労働が不当に軽視される事態が繰り返されると懸念するのです。
そこで「第3号被保険者」をどう考えるのかの私の意見です。
「第3号被保険者」のユニークなところは、配偶者(専業主婦など)は賃金を受け取らないが、賃金を前提としている年金の支給を受け取れます。
賃金収入を受け取る人(夫)に代わって、妻は子育てを含む家事を担い、夫に代表される賃金労働を支えていると認めています。
この点を無視することは主婦の家事労働を引き続き軽視することになります。
子育てや家事労働が、家族と社会を存続するのに欠かせないと評価すること——家族内ケア労働の一面だけで全体を表わすものではないとしても、児童手当があり、家事代行の利用料があり、保育料とその公費援助などがあり、参考になるでしょう。
それら全体を表わす社会的基準を確立させることです。それは必ずしもGDP評価方法とは同じではありません。
「第3号被保険者」の存廃を考えるときそういうベースも視野に入れてもいいのではないかと思います。
仮にそのベースが考えられるとしても、それを支える制度がすぐに整うわけではありません。
その進捗状況を見ながら、一定の期間をかけて「第3号被保険者」の内容を改変していく—あるいは法的な補充制度をつくり支えながら進める—こういう意見になります。
社会動向の基本が家族(世帯)単位から個人単位と大きく移行していく現実が相当に進んでいます。それとの整合性を図る変更です。
現実の状態は多様に、相矛盾する複合的な要素をもちながら展開しています。
別の面からみるなら男女ともに、就業と子育てという二刀流は正当に評価されていい社会です。
家族の状態は激変していますが、そのなかで子育ては最も基本的な要素であり、それが社会を存続させていく〈生産活動と並ぶ〉もう一つの機能になります。
政治劇場面では、従業員51人以上の職場の106万円、50人以下の職場の130万円の収入で社会保険料負担が発生する事態をどう扱うか複雑な動きになります。
子育てを含む家事労働が入り込む隙間はないかもしれません。
長くここを無視してきた結果の1つがヤングケアラーの発生であり、それを見逃してきた遠因です。