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目線を低くして考える

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それでも「目線を低くする」は私にとっては欠かせないスタンスであり、私の考え方の一つの構成部分です。<br>
 
それでも「目線を低くする」は私にとっては欠かせないスタンスであり、私の考え方の一つの構成部分です。<br>
  
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2024年8月6日 (火) 22:01時点における最新版

目線を低くして考える

私のものの考え方の二番目は「目線を低くする」です。考え方としてはいいはずですが、私にとって大事なことで成功しているかどうか、判断が難いこともあります。
「民主主義とは多数決」はいくらか当たっていますが、いつもそうとは言えません。
多数が賛成しある一人を責め、もしそれがいじめなら集団いじめを合理化することになります。
民主主義とはある集団グループの弱い立場にある人の利益が守られるのが、私の考え方です。
選挙で多数に支持を得た人が当選するのは、選挙権をもつ人が平等であるという前提に立っており、その前提がおおむね保障されているから、選挙で多数の支持を得た人は当選し、民主的選挙といえるのです。
しかし、集団グループが相対的に小さいと特別に配慮を必要とする人はいます。
ある地域とか企業・団体とか学級や家族では、弱い立場にいる人はいます。
そういう人が不利益にならないようにするのがより進んだ民主主義です。
これを実現する方法が「目線を低くしてモノを見、考え、判断する」姿勢です。
特定の集団やグループ内で、最も弱い立場にある人が不利益にならないようにしながら、多数の意志が実現できるようにすること、その方法の基本が「目線を低くする」ことになります。
しかし、私の実際にしてきたことは、(そう思っていたのですが)必ずしも成功したとは言えないかもしれません。
取り組んできた中心です。
ひきこもりの集まる居場所、その運営者としての自分の経験を挙げてみます。
居場所に集まってきた人のなかでも(全員全てに目が届いていたわけではありませんが)、状態の重い人の方に、私は気づく限りにおいて目を向けてきたと思います。
症状が表に出る、その人の置かれた環境がひどいという人に私の関心が向いたのは「目線を低くした」1つの結果です。
この選択は自分でもある程度は肯定的に納得しています。
私はひきこもり経験者の身心の状態、日常生活がどういう事態にあるのか、そこから理解し対応しようとしてきたと思います。
しかしその結果として、ひきこもりへの関わり方に成功していたともいえないと判断しています。
それはひきこもりからの社会参加を促すための制度設定に向かう方面に前進してこなかったからです。
それは対人関係づくりのプログラム、技術・知識を獲得する訓練に向かうのがよかったのかもしれません。
例えば若者サポートステーションの設立です。各地にはそのように展開したところがあります。
不登校情報センターがそうならなかったのには、特別の理由があります。
それは別項目にして述べましょう。⇒「居場所での作業は収入を分配」
[[1]]
若者サポートステーションの運営に向かった所が「目線を低くしてはこなかった」と言いたいのではなく、私のばあいはそう進まなかったのです。
「目線を低くする」というだけでは欠けるものがあったのかもしれません。
「目線を低くする」とは、その人の主に非社会的な面(症状や性格や生活条件など)に目が向き、ひきこもり全体の社会的な面への対応が後回しになった、と思えるからです。
それでも「目線を低くする」は私にとっては欠かせないスタンスであり、私の考え方の一つの構成部分です。

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