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個人の状況から全体構造を微調整する

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個人の状況から全体構造を微調整する

経済学の視点で、人間の働きを見るというのは、どういうことでしょうか? 
個人的な資質とか好み、感情はどのように影響するのか、あるいはしないのか? 
日常くり返すことはあまり関与しないようですが、社会全体を経済学で見ることと、個人を身体科学や心理学でみることの接点、重なりをみることができます。

坪井賢一『経済思想史』(ダイヤモンド社,2015)にある論争が紹介されていました。
ベーム・バヴェルクは、マルクスの労働価値説(商品の価値を決定するのは、それに費やされる社会的、平均的な労働時間)に反対する論を展開しました。
同じ労働量でも、見習い職人と熟練工の時間には差がある(等々)。
これに反論したヒルファーディングは、ベーム・バヴェルクの論旨は非社会的である。
経済学の出発点を個人に置くのか、社会に置くのか——個人の欲望を考察するのは非歴史的であり、非社会的である(等々)。
ベーム・バヴェルクの説は限界効用理論(⇒需要供給による価値決定)につながり、資本主義の本質的傾向とは無関係です。

ベーム・バヴェルクは個人的事情、非社会的な個人の要因を基本にしたのに対して、ヒルファーディングは社会全体を見る視点が基本であると指摘したのです。
私たちが日常関係している商品価格は、労働価値説に根をもちますが、個人の気持ちや必要性にも関係しています。
日常生活においては、価値よりも価格が幅を効かしています。
経済学におけるA.スミスやK.マルクスの労働価値説よりも、限界効用説で表わされる価格(変動する価格)の方がより多く議論の対象になります。
しかし、商品価格・商品の価値の基本は社会的、平均的な労働時間が基本であり、日常みられる価格の変動はそれぞれの状況における表現とするのが正当であろうと思います。
商品の価値が社会的・平均的な労働時間により計られるとしても、個人的な需要・供給関係は無視できません。
特別な理由がない限り、1個のパンはせいぜい数百円であり、100万円になりませんし、乗用車1台が千円で買えることはないのはこれで説明できます。
同じようにひきこもりの要因を個人の資質や生育環境によるとしても、その背景に高度経済成長を終えた歴史的・経済社会の状況なくして説明するのはバランスを欠くのです。
ひきこもりの個人的な事情は医学や心理学などの非歴史的な分野から考えることができます。
社会現象にまでなったひきこもりの全体は歴史的に、経済社会の歴史的な変化から考えて把握できるものでしょう。

これを逆に表わす極端な歴史的事例を1つ挙げます。
猪木武徳『戦後世界経済史』(中公新書、2009年)に紹介された例です。
「在モスクワ日本大使館で浴室の器具の取り替えを頼んだところ、西側から取り寄せた最新式の器具取り付け作業には(従来のソ連製の場合とは違って)新たに特別の「ノルマ」の計測と設定が必要だという。
ある日、朝から夕方まで、大使館の浴室の作業場に帳面を抱えたノルマ決定権者の女性が立ち、一種のテイラー流の「モーション・スタディー」で、作業者の仕事の進め具合を見つめ、標準労働量を計測・記録している。
その間の作業者の手の動かし方はスローモーション撮影顔負けの緩慢さであった。
ところが「ノルマ」が決定された後、次の日から実際の作業が行なわれたときの同じ作業者の動きは全く普通のスピードに戻っていたという。
労働者のこうした「計算ずくの行動」はある意味で合理的である。
問題は、この「合理性」が社会全体のパイを大きくすることにはつながらず、小さなパイを奪い合うことだけに終始したことにある。
社会主義計画経済には、個人的な「働きがい」というものが全く考慮されていなかった。
努力を評価し報酬に結び付ける「非人格的な」市場のような装置が欠落していることが最大の、そして致命的な欠陥なのだ。
この点について、多くの人が気付きながら、「平等」という大儀のためにその致命的欠陥を意図的に無視してきたのである。
この「働きがい」を引き出す装置の欠如は、製造業の現場で深刻な問題をもたらしたが、サービス業が産業構造の中で大きなウェィトを占め始めると、問題はさらに深刻になった。
また経済全体のインフラが、社会主義経済では意外にも貧弱だったことも、生産の効率を阻害した」(p319-320)

もし労働価値説が、このような形式的な図式で計られるなら、社会的・平均的な評価はできません。
マルクス等が論拠とするのは市場を通して日常的に表われる現象の本質を見通したものです。
ベトナムや中国において、市場原理が導入されたのは、ソ連型社会主義が崩壊する前からで、そういう背景理由が早期に知られていたからです。
この例で思い出すのは、私が20歳ころです。大学病院の外来事務窓口を担当していました。
現代と違いコンピュータはなく、患者は処方箋などを持って窓口に並びます。
窓口は10列あり、そこに並ぶ患者1人毎にかかる窓口の処理時間を計測します。
事務台帳に記録し、料金計算をします。
患者は次に料金支払い窓口に行き、さらに薬局に行くなど院内を動き回りました。
この状態を改善しよう、窓口に1人当たり何分並ぶのか…たぶんそういう検討がされていたのでしょう。
ベテラン窓口担当者数人のところで、1人何分の事務処理に要するのか、ストップウオッチで計算をされていた記憶があります。
私は新米で調査対象にはなりませんでしたが、これは一種の労働時間の計測です。
目標が限定される調査なら患者が窓口に並ぶ改善策の参考にはなるでしょう。

大きな問題、社会全体を評価するには、狭い限定的な計測によるのではなく、今日の「社会実験」「実証実験」の方がより実際的です。
さらには経済社会の変化による判断が決め手になるのです。
社会的・歴史的な視点からの大きな把握、全体構造を見るには、経済学を含む社会科学の見方が大事になります。
個人に即したその人の特性、そのときの気分や緊急性による個別の要件などは、社会的な全体構造のなかにおきます。
その個人が表現するものを、大きな社会構図と関連づけてみる、あるいはそれと対比して全体構造を通し、微調整を重ねることです。
物価変動や個人の心身の状態に関してニュースや話題で私たちが日常接することの大部分はこの微調整の部分です。
基本的な全体構造を見聞きするのは限られた機会にすぎないのです。

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