ひきこもり当事者の表記
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ひきこもり当事者の表記
どう表記するかに関し考えるものが2つあります。
1つはひきこもり当事者、または当事者。もう1つはひきこもり支援者、または支援者です。
まずはひきこもり当事者について。
先日、1通のはがきを受け取りました。
ひきこもり、またはひきこもり当事者の表記に関する提案と受け取りました。
ひきこもりを経験し、現在は社会に出ている、特に仕事についている、結婚している人は、現在進行形のひきこもりではなく、「_だった」人とすべきではないかという意見です。
そのような人が、同じように現在進行形のひきこもりを称するのは違和感や嫌悪感を持つというのです。
違和感や嫌悪感を持つのは感覚の問題ですから避けられません。
ただ私は、ひきこもりを経験した人がその後も当事者であると感じ、「ひきこもり当事者」と自分を紹介するのは根拠があると考えます。
そういう例は非常に多くありましたし、今もあります。
社会に出ても、就職しても、結婚しても、それぞれの場面で「生きづらさ」を感じています。その程度は人それぞれでしょう。
それらの「生きづらさ」事情はひきこもりになった理由と共通するからです。
ひきこもりの最中では、この事情はとらえがたいでしょうが、「自分の苦しさに比べれば…」と比較する心情から出ていると思えるのです。自分の状態を受けとめきれない中ではこれは避けきれないと理解しますが。
人の苦しみや困難は、その人に即して「そのもの」を直視していく理解していかないとダメではないでしょうか。
以前はひきこもっていた人が今も「ひきこもり当事者」を自称するのは(時には当人にも言語化できない背景事情もあり)、そのまま受け止めたいと思うのです。
「ひきこもり当事者」に関することが、弁護人の立場で話せるとしたら、「支援者」に関する表記は、被告人の立場で話すことになります。ページを変えて支援者に関することを続けます。
〔2018年4月28日〕