Center:2009年1月ー家族内殺傷事件の予防のためにーあるアンケートへの回答
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2012年4月5日 (木) 22:14時点における版
家族内殺傷事件の予防のために――あるアンケートへの回答
〔2009年1月ころ〕
昨年秋から今年に入って区内在住の2人の、引きこもりを体験し就労できない青年が、自宅を追い出されそうになりました(2人とも未解決)。
家族が引きこもりをよく理解できずに「働く気がない(意思がない)」と考え、また家族もいろいろな事情から切迫した精神状態になって、子どもに迫っていると考えられます。
家族内での殺傷事件がこの数年目立っているように思いますが、その背景にある事情です。
私の関わっている人でも昨年8月に暴力から家族内の刑事事件になりました(区外在住者)。
2人のうちAくんは、家庭裁判所の家事審判に持ちこみました。
10月のことだったでしょうか。
その結果12月に調停案がだされましたが、本人も家族も受諾せず審判を待つ状態です。
家から追いたてられたのに対して、Aくんはとても特異な手段をとったわけです。
第三者を交えて話し合えるのですから悪くはない、少なくとも最悪ではありません。
しかし、家裁調査官や裁判官の理解や解決手段としての社会的な受け皿の整備の現実を考えると安心できる余裕はなく、さしあたりの時間を稼いで次の行き方を準備しているところです。
もう一人のBくんは、家にいると不安になり(兄弟から暴力を受ける不安)家を出ました。
正月明けにカートに荷物を入れて、行き先もなくいきなり出てきた感じです。とりあえず私のところに1泊しました。
その間に父親と携帯でのやりとりがあり、父の援助でウィークリーマンションに行くことになりました。
さらにその後になるとどうなるのかはわかりません。
期間社員や派遣社員の雇用打ち切りによるホームレス化、社会不安・生存不安が注目されていますが、こちらのケースは家族内事件の要素をはらんだまま推移しています。
2人のケースは、2人ともある程度エネルギーをもっているからできていることです。
もう一人、同じく区内在住の30代の青年、Cくんのばあいも心配です。
彼も数年前に来ていましたが、それが途絶えてしばらくぶりに昨年秋に顔を見せました。
そのときは苗字が変わっていました。
何かの理由があるはずですが聞いていません。
彼が話せるのを待っていると考えて下さい。
全体の表情がさびしく、うつろで、喜怒哀楽を表わせません。
無表情といっていいでしょう。
私にはこのCくんの方がより深刻な事態になっていると思います(もちろん問題の大きさはそれぞれですから、比較はできませんが)。
そして引きこもり生活になっている人の切迫の形としては、Cくんのようなのが多数を占めるはずです。
この型では暴力よりも精神障害や自死が心配になります。
引きこもり(ニートも大半はこの範囲にはいる)に対する東京都の対応は就労支援に向かっています。
その対応の方向は親に代わっての就労圧力に感じる人が多くて、利用しづらいようです。
就労に向かう力を得るには、対人不安、対人不信にならないだけの対人関係を積むことが前提ですが、そういう過程はあまり考慮されていません。
その部分を着実に重ねられる場が必要だと考えます。
いまのところ東京都の対応は家族に代わり引きこもりに就労圧力をよりうまく与える方向のもので、それに耐えられる状態になった人には有効と思える程度です。
Cくんのような状態には対応できないので、「病院に行きなさい」で終わります。
病院ではなんらかの診断名をもらって薬をのむようにされていきます。
Cくんは自分でそれだけではよくないと経験的・本能的に感じて「人と関わる場」を求めているのです。
医療での対応と平行して「人と関わる能力を身につける」「社会に入り働ける能力を身につける」ことができる行政的な施策を望みます。
医療での対応は、とくに精神医療の内容に関係しますので行政的なことは中心にはなりません。
この点は私にはよくわからないところです。
就業支援の行政的施策は、やや空回りになっているように思えます。
「対人関係づくり」に重きを置く、より実態に即したものに比重を移していくように求めます。
例えば就業支援機関の取り組み過程は2段階にします。
第1段階は職業指導よりも心理専門職などの支援者が関与することです。
プログラムにフリースペースの要素を多くする、技術習得過程に受講者同士の交流の要素を持ちこむ、など教育的要素を多くします。
この段階をおおよそ修了した人が第2段階の就業支援が重点になる過程に入るのがいいと思います。
その一方で、家族間の問題を緩和し、解決に向かう環境をつくるために、
(1)一時避難場所になる施設を置く。親が自宅を離れていく例もありますから、当事者(子ども側)と家族の両方あるのが望ましいです。
(2)家族の外部からの穏やかな介入を制度としてつくる。
たとえば当事者(子ども側)からの要請により支援者などが家族に説明する、非強制的に介入できる仕組みをつくる。
(3)引きこもっている当事者と支援者が接触する機会(家族の要請による自宅訪問)を支援する。
…などが考えられることです。
家族内の暴力や殺傷につながる状態を、警察力で対処するのは困難で限界があります。
社会一般の理解を待つのは報道機関や社会的運動の役割ですが、行政機関にそれを預けるのもまた無理難題を要求することになり、無策です。
未成年の虐待などには児童相談所の介入ができるようになりました。
成人(18歳以上)にはこれという手段はなく、いきなり殺傷事件などの形で表面化します。
私がみている事情はその事件になる以前の状態でしょう。
事件の前に強制的ではなくて、家族(全員または一部)の何らかの同意や家族への説得により、支援者や専門職の人が家族と関わっていける通路のできることが求められていませんでしょうか。