太田勝己
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2001年、不登校情報センターという民間の不登校・引きこもりの居場所に通い始める。<br> | 2001年、不登校情報センターという民間の不登校・引きこもりの居場所に通い始める。<br> | ||
2002年7月、作品「眠りイヌ」制作。<br>このころから不登校情報センターのイベントに積極的に参加し、対人関係の不安があまりなくなってくる。<br>2003年、作品集「rain」の制作を始める。2005年に「rain」は1万点になる。<br> | 2002年7月、作品「眠りイヌ」制作。<br>このころから不登校情報センターのイベントに積極的に参加し、対人関係の不安があまりなくなってくる。<br>2003年、作品集「rain」の制作を始める。2005年に「rain」は1万点になる。<br> | ||
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2005年11月22日、34歳の生涯を閉じる。<br> | 2005年11月22日、34歳の生涯を閉じる。<br> | ||
2023年1月22日 (日) 09:58時点における版
太田勝己
プロフィール
1971年3月9日、大阪で生まれる。父・慧、母・伸子の3人兄弟の次男。
幼いころから周囲に気遣いをし、何事にもまじめにとりかかり、自分の考えはしっかり持っていた子ども時代だった。
高校に入学する時点で、対人関係で乗り越えられないものがあった。
大学2年生ころから世の中の矛盾についていけず、不登校になり、いわゆる社会的ひきこもりになる。
1998年ころ作品「レインメーカー」を描き始める。
2001年、不登校情報センターという民間の不登校・引きこもりの居場所に通い始める。
2002年7月、作品「眠りイヌ」制作。
このころから不登校情報センターのイベントに積極的に参加し、対人関係の不安があまりなくなってくる。
2003年、作品集「rain」の制作を始める。2005年に「rain」は1万点になる。
2005年9月、独自のホームページ「ART BANANAFISH」を、不登校情報センターのホームページ内に公開する。
http://www.futoko.info/kojin/artbananafish/newpage1.htm
2005年11月22日、34歳の生涯を閉じる。
2006年2月25―26日、遺作展「青の時空」が開かれる。
東京都中央区佃島の小坂クリニックが会場。
好きな作家はヘンリー・ダーガー、アンディ・ウォーホル、奈良美智。
「rain」以外の作品に「東京モンスター」、「家出」が『COMICガム』(ワニブックス)に紹介されました。
「rain」をはじめ多数の作品は、不登校情報センターに保管されています。
出典:『COMICガム』(ワニブックス)1998年VOL.12。≫
『不条理ものまんが集』(あゆみ書店)⇒あゆみ書店で発行の本
太田勝己作品展
〔ART BANANAFISH〕[1]
「不条理」系マンガ[2]⇒『不条理ものまんが集』に所収。
太田勝己作品展その後 [3]
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