個人支援は社会背景とのつながりの理解が必要
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2022年2月6日 (日) 17:59時点における版
個人支援は社会背景とのつながりの理解が必要
『ゆとり世代は、なぜ転職をくり返すか』(ちくま新書、2017)から引用した文章の中の一文です。
「ミクロな視点から、彼らの転職における意志決定だけを見ていたら見落とすことがあまりにも多すぎる…。
転職は何もその人の意志決定だけで行われるわけではない…。
むしろ大きな構造の一部が表出した姿ともいえる…」(172p)とあります。
同じことは、ひきこもりの支援についても言えるのではないでしょうか。
個人の心理状態のカウンセリング、家族の事情が関係している視点からの家族療法だけではありません。
就職相談における本人の職業適性やさらには本人の就業先希望についてさえも同じです。
それらは「大きな構造の一部」であって、その大きな社会構造や、行政制度、社会的な慣習などにも目を向け、それとの関連で事態を考えていかなくてはならないでしょう。
相談支援機関が日常業務として1つひとつの事例にそこまで入っていくことは現実的ではありません。
だから現在の支援方法はそれなりに適合性をもっていると認めなくてはなりません。
しかし相談を受ける側、カウンセラーやコンサルタント等の専門職の方には、各人の個別の事情を「大きな構造」との関係で意図的につながりを考えておかなくてはならないです。
少なくとも、「大きな構造」を形づくる、個々の項目の可否あるいは是非を明らかにする視点はもっていてほしいものです。
私のひきこもりパラドクスは、そういう視点から考えるものとみなすこともできます。
私はいろいろなひきこもり経験者に出会ってきました。
その人個人の特性に基づくその時点での心身の改善を心がけてきたはずです。
しかし何か不全感をもったのもここに関係します。
そこには2つの面があります。
1つは、以上に述べた社会全体の動向や構造からその人個人の様子を知っていくことです。
社会全体の様子からその人個人の特徴を表現することはこれまでは結局不十分でした。
おそらくひきこもり支援の全体があまりうまくいかない最大の理由は、社会全体の様子と個々のひきこもりのつながりをばく然としてしかとらえていなかったことにあります。
そこを見ればそれが個人の特性だけによるものではないこと、ました自己責任などに行きつくものではないと考えられるのです。
付け加えれば、日本の社会が、経済社会の変化の様子が、子ども時代を経験したその時代背景との違いをうまく把握してこなかったのです。
その社会の一部ともいえる家族の歴史と特質、子ども社会の変化も十分に知りませんでした。
身体科学に入る身体構造や精神医学についても……要するにあらゆる面で中途半端でした。
これまで続けてきたのは個人観察、一人ひとりをよく見ようとしてきたことです。
そこに終着点はありませんが、それと並行して時間と共に動いている社会と個人の関係を追究していきます。
もう1つの面は、その構造のなかをどう進んでいくのかは、その人自身の動きに任せられるべきではないかと感じていたことです。
言いかえるならひきこもりの援助において私の介入はできるだけ避けるのがいいと思ってきました。
ここは私の弱点とも受けとめられ、私から離れていった人の中にはそこを理由とする人もいたと思います。
介入の多いことは、そのひきこもり経験者の子ども時代からの経過を繰り返すことになるでしょう。
一人ひとりの意思と表現を生かす方法はそう言うものではないと考えたからです。
(2022年2月6日)