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山田ルイ53世

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==山田ルイ53世==
 
==山田ルイ53世==
===[[:カテゴリ:周辺ニュース|周辺ニュース]]===
 
ページ名 [[山田ルイ53世]]  (ひきこもりの動き、ひきこもり経験者) <br>
 
 
'''「神童」から「ひきこもり」へ! お笑い芸人・山田ルイ53世の学校観'''<br>
 
'''「神童」から「ひきこもり」へ! お笑い芸人・山田ルイ53世の学校観'''<br>
 
漫才コンビ「髭男爵」の山田ルイ53世さんは、8歳と1歳8ヵ月の姉妹の父。<br>
 
漫才コンビ「髭男爵」の山田ルイ53世さんは、8歳と1歳8ヵ月の姉妹の父。<br>
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4時間目が始まる前、僕は誰にも何も言わずに家に帰りました。<br>
 
そして夏休み以降、学校にいけなくなったのです。<br>
 
そして夏休み以降、学校にいけなくなったのです。<br>
 
 
そのトラウマからか、僕は娘が幼稚園に入ってから小学2年生になる今まで、毎朝「うんこ出た?」と訊き続けてきました。<br>
 
そのトラウマからか、僕は娘が幼稚園に入ってから小学2年生になる今まで、毎朝「うんこ出た?」と訊き続けてきました。<br>
 
うちの奥さんもあくまで健康面を把握するためですが「出た?」と尋ねます。<br>
 
うちの奥さんもあくまで健康面を把握するためですが「出た?」と尋ねます。<br>
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[[Category:教員養成セミナー|やまだるい53せい]]

2021年4月18日 (日) 15:37時点における版

山田ルイ53世

「神童」から「ひきこもり」へ! お笑い芸人・山田ルイ53世の学校観
漫才コンビ「髭男爵」の山田ルイ53世さんは、8歳と1歳8ヵ月の姉妹の父。
「一発屋」を称していますが、近年はその文才が注目され、執筆やコメンテーターの仕事も増えています。
代表作の1つ『ひきこもり漂流記』では、「神童」と言われ有名私立中学に入学したものの、2年生の夏以降6年間ひきこもったご自身の経験を明かし評判を呼びました。
決して楽しい学校生活を送ったわけではない山田さんは今、自分の子どもを学校に通わせる立場になって教育や学校についてどう考えているのでしょうか。
子どものうんこが気になる

―ご自身はひきこもりを経験されています。
保護者として、娘さんにとって学校はどんな場所であってほしいですか。
僕がひきこもったのは、中学2年生のときでした。
詳しいことは『ひきこもり漂流記』に書きましたが、私立中学入学後、毎朝5時起きで満員電車に2時間揺られ授業を受けて部活もやり、帰宅後には大量の宿題をこなすというかなりハードな日々を送っていました。
正直しんどかったのですが、成績は上位でサッカー部でもレギュラーを獲得するなど、「優等生の山田君」という周囲の目が気持ちよく苦にならなかった。
そんなある朝、降車駅から学校までの道のりでうんこをもらしてしまったのです。
幸い誰にも見られず学校のグラウンドのトイレに入り、パンツを洗って固く絞ってまたはきました。
2時間目の授業までは何ともありませんでした。
しかし、3時間目の授業中に、クラスがざわつき始めた。
水洗いしたパンツが夏の暑さで乾いて、匂いが復活。コーヒーの「焙煎」と同じです。
4時間目が始まる前、僕は誰にも何も言わずに家に帰りました。
そして夏休み以降、学校にいけなくなったのです。
そのトラウマからか、僕は娘が幼稚園に入ってから小学2年生になる今まで、毎朝「うんこ出た?」と訊き続けてきました。
うちの奥さんもあくまで健康面を把握するためですが「出た?」と尋ねます。
小さい頃は娘も素直に答えていたのですが、最近は「何で毎朝うんこ出たか訊くの?」とイライラしている。
去年の暮れにはついに怒り出して、僕が訊くと大声で「でーたーよー! かたかったーよー!」と。
あれ?ご質問は何でしたっけ?
(記者・カメラマン一同爆笑)
学校は「できるようになる」でなく「好きになる」場であってほしい
元ひきこもり芸人 髭男爵・山田ルイ53世さん
―「保護者として、学校はどんな場所であってほしいか」という質問です(笑)。
ああ、そうでした。父親は「貴族」ですが、娘に特別な教育を施しているわけではありません。
ただ唯一心掛けているのは、「世界は君がしたこと、言ったことには反応するんだよ」と伝えるために、娘の言動には絶対にリアクションするということです。
芸人として、お客さんが無反応という寂しさは身に染みていますから(笑)。
僕は、学校が「できるようになる」というより、「好きになる」場であってほしいです。
そうであれば、娘の成績がよかろうが悪かろうが構いません。
勉強は「できる・できない」という“評価”だけではなくて、「好き・嫌い」ということがより大事だと考えるからです。
僕は子ども時代、格別好きでもないのに「褒められたい」と思うあまり、勉強やスポーツを頑張りました。「パブロフ感」満載。
結局疲れきって、ひきこもりになり「人生が余ったな~……」とむなしくなった。
それは自分を形づくるものが自分の中になく、すべて学校にあったからかなと。
“評価”しかなかった。これは高リスクです。
ですから、教師を志望される読者の皆さんには、子どもの「好き」を引き出してほしいです。
教員養成課程にも「好きをつくる」を入れてほしいくらいです。
娘のことに話を戻せば、奥さんは娘が宿題を放り出そうとすると怒るのですが、僕はそれも不毛だと思っています。
勉強が嫌いになったら意味がありませんから。
「ハードル」をくぐって生きる
―昨年はコロナ禍による学校の臨時休業もありました。
休業で教師という存在について、改めて考えたことはありますか。
休業中は、僕と奥さんが先生役で、時間割をつくって勉強するという学校コントをしました。
そこで感じたのは、先生の役割がとても多いということです。
勉強を教えるだけなく、健康や心の状態の確認から、食事の指導まであります。
しかも、本当の教室では30人以上の子どもがいるわけです。
さらに専門家でもないのに、かつての僕のような不登校の子どもの対応もあります。
僕が気になるのは、学校も含めた世間一般での「美談の常態化」です。
「川で溺れている子犬を助けるのは当然」になってきている気がする。
例えば教師なら人格がすぐれていて当然という「徳」のハードルがあります。
「金八先生」や「GTO」のお陰で、「熱血で当たり前」というハードルもあります。
僕はテレビのコメンテーターとしても言ったことがありますが、先生は勉強を教える以外に何でもかんでもやろうとしなくていいと思います。
世間は「夢を与える」「内面まで成長させる」ような先生をもてはやしますが、そういうアプローチがしんどい子どももいます。
「平熱先生」がいたっていいはずです。ハードルを越えずにくぐることを教えてもいい。
学校は大事だけどすべてではない
山田ルイ53世さんが推薦文を寄せた『ひきこもり国語辞典』(時事通信社・刊)
ー「平熱」の先生に子どもたちは付いてきますか?
僕は付いてくると思います。僕が言うのも何ですが、過剰なキャラ付けは必要ない。
そもそも子どもに「刺さる」言葉なんて、そんなに吐けるものではないですよ。
「何にでもなれる!」と言う先生がいましたが、それが現実ではないことは子ども心に知っていました。
僕も若い頃は「マイク一本で天下とる」と意気込んでいましたが、いつの間にかシルクハットかぶる奇妙な漫才師に(笑)。
「自分をあきらめる」という選択をした結果、それなりに食えるようになりました。
同じように大多数の先生も、人格高潔で子どもを魅了する「スーパーティーチャー」にはなれないでしょう。
読者の皆さんが晴れて教員採用試験に合格したとしても、翌日から急に徳が上がるわけでも熱血漢になれるわけでもありませんよね。 世間一般の教師像と自分にギャップがあっても、苦しむ必要はありません。
漫才師にもいろんなスタイルの芸があるように、先生も多様でいいと思います。
学校は大事ですが、すべてではない。行かなくても貴族くらいにはなれます(笑)。
ですから「先生は聖職だ」とハードル上げる必要はないですよ。 山田ルイ53世
お笑いコンビ・髭男爵のツッコミ担当。兵庫県出身。
地元の有名私立学校・六甲学院中学校に進学するも2年生でひきこもりに。
大検を経て愛媛大学法文学部に入学も中退。
上京し芸人となる。著書に『ひきこもり漂流記』(新潮社)、『一発屋芸人列伝』(角川文庫)、『パパが貴族』(双葉社)など。
*『月刊教員養成セミナー 2021年5月号』より
〔2021年4/9(金) 教員養成セミナー〕 

髭男爵・山田ルイ53世さん「ハードル下げ『普通』見直そう」 ひきこもり経験者と家族 本音語るシンポ
それぞれの体験を通し、ひきこもり問題について考えたシンポジウムの登壇者ら=1日、北中城村・イオンモール沖縄ライカム
ひきこもり経験者とその親ら5氏によるシンポジウム「不登校・引きこもりのホンネ」(主催・アソシア)が1日、北中城村のイオンモール沖縄ライカムであった。
本人とその家族双方に苦悩があることについて、中学2年から6年間ひきこもったお笑いコンビ「髭(ひげ)男爵」の山田ルイ53世さんは「ひきこもっている人も親御さんも、お互いにもっと(こうあるべきだという)ハードルを下げた方がいい。『普通』を見直そう」と訴えた。
小学3年の後半から不登校になった崎原旦陽(あさひ)さんは、母盛子さんと登壇した。
不登校時、盛子さんは旦陽さんを学校に行かそうとした。
カウンセリングを受けた病院、周囲からのアドバイスも同様で「それが正しいと思っていた」。
同時に、仕事で忙しく子どもとの時間をつくれなかった負い目があり「自分が悪い」と思っていたという。
一方、旦陽さんは、どうにか連れ出そうとする盛子さんの対応に「行きたいのに行けない気持ちを分かってもらえず、孤独だった。本当に苦しかった」と当時の胸中を振り返った。
小5の頃、盛子さんが部屋のドア越しに「キツかったんだね。無理して学校に行かなくていいよ」と言ったことで、旦陽さんは「やっと認められた」と感じ、徐々に盛子さんと顔を合わすことができるようになったという。
どうしてほしかったか、との問いに旦陽さんは「関わってほしいけど、関わり過ぎてほしくない。分かったふりをせず『分かりたいから聞きたい』というぐらいがいい」と話した。
山田ルイ53世さんは「みんなが思う『普通』が、とても高いレベルに感じる人もいる。(社会の)価値基準、『普通』を見直すことが絶対に必要だと思う」と強調。
「ひきこもりという状態は、人生のすごろくにあるマスだと思ってほしい。普通に暮らしていて起こる問題で、特殊じゃない」と語った。
〔2019年12/3(火)沖縄タイムス〕

【山田ルイ53世のお悩み相談】
不登校になった中学生の娘にかける言葉がわかりません。
<今回のお悩み>
はじめまして、山田さん。私は41のバツイチのダメな父親というか、男です。
複雑な家庭環境で育ち、25で子持ちの女性と結婚し、二人の娘と義理の息子二人がいました。
約9年前に離婚して独り身となりましたが、実の娘である長女が中学で不登校となり、今年通信制の高校へ入学して何とか前に進もうとしています。
私と元嫁に対してトラウマやコンプレックスが強く、本音をぶつけられない位、バカな親二人が傷つけてしまったんです。
私たちの言葉は今のあの子の心にどうしても届かないんです、力を貸して欲しいです。
(シンジ/ 男性/ 個人でリフォーム業、便利屋業みたいな事をしています、今は独り身で過ごしてます)
撮影・中島慶子
山田ルイ53世さんの回答
シンジさんと元奥様に対して、強い「トラウマやコンプレックス」を抱えるほど、「バカな親二人が傷つけてしまった」とのことですが、一体何があったのか、推し量る術もありません。

残念ながら、本音を曝け出すことをしなくなった娘さんとの関係をたちどころに修復する、“魔法の言葉”の持ち合わせなど、誰にもないでしょう。
いずれにせよ、「中学校で不登校」となった娘さんが、「通信制の高校へ入学」して前に進もうとしている。
今は、これが一番大事なこと。
「私たちの言葉は今のあの子の心にどうしても届かない」と悩むお気持ちは勿論分かりますが、今は親として、(既にそうされているとは思いますが)金銭面など彼女の環境を整えてあげるに止め、静かに見守るのが良いのではないでしょうか。
むしろ、“言葉で”届けようとするのは、逆効果かもしれません。
娘さんのケースとは違いますが、筆者も中学2年生から6年間引きこもりを経験しました。
当然、その間、学校へは通っていません。
結局、20歳手前で一念発起し、大検を取得して進学することになるのですが、以前の自分が思い描いていた将来には繋がらぬ道を、不本意ながら、それでも、何とか前に進んで行く……そういうときの心境やしんどさは、多少理解出来るつもりです。
今、彼女は、自分の人生を立て直すのに手一杯。
可能な限り“シンプル”でいたいのだと想像します。
相談者は現在、独り身。
娘さんに罪滅ぼしをしたい、そして、家族皆で暮らしていた日々が恋しい。
彼女の件を、今のご自分の生活の支え、モチベーションにし過ぎていませんか
。 あくまで筆者の想像で、見当違いであれば申し訳ないのですが、もしそうなら……それは相談者の「欲」でしょう。
今はいくら言葉を届けても、“新聞受け”に何日分も溜まっていくだけ。
しかし、電気メーターを見れば、円盤は静かに力強く回っている。
それでよしとしましょう。
例え、あなた達を拒絶する“部屋”であっても、その家賃を払い続けるのは親しかいないのです。
山田ルイ53世●お笑いコンビ、髭男爵のツッコミ担当。
本名、山田順三。
い頃から秀才で兵庫県の名門中学に進学するも、引きこもりとなり、大検合格を経て愛媛大学に進学。
その後中退し、芸人へ。
著書に『ヒキコモリ漂流記』(マガジンハウス)、『一発屋芸人列伝』(新潮社)、近著に『一発屋芸人の不本意な日常』(朝日新聞出版)。
〔2019年9/25(水) クロワッサンオンライン〕

山田ルイ53世 夏休み明けにひきこもった僕。しんどかったらひと休みしていい
山田ルイ53世さんは、小学生の頃から頭脳明晰、運動神経抜群で「神童」と呼ばれていたにもかかわらず、なぜ6年もの間、ひきこもりの生活を送ることになったのでしょうか。
父親になった今だからこそ感じることもあると言います。(構成=山田真理 撮影=本社写真部)
◆ある日、プツンと糸が切れて
僕がひきこもりになったのは、中学2年生の夏。
関西でそこそこ名の知れた中高一貫の進学校に通っていたのですが、登校途中に「大」のほうを粗相してしまい、
それをクラスメイトに知られた(と僕は思っていた)のがきっかけでした。
コミュニケーションのうまいやつなら、「あ、臭う? 実はウンコもらしてん」と笑ってしまえたのかもしれませんが、
僕はずっと優等生キャラだったので、プライドが邪魔をしてピエロを演じられなかったんです。
そこで何か、自分の中でプツンと糸が切れたというか。
たぶん、それまですごく無理をしていたんだと思います。
自宅から学校までは電車を乗り継ぎ2時間近くかかるうえ、朝夕のラッシュ時は圧死しそうなほどの混雑ぶり。
林立するサラリーマンの足の間で母親の作ったおにぎりを食べることもありました。
部活のサッカーも一生懸命やっていたので、帰宅はいつも夜の8時過ぎ。
それから宿題や予復習を済ませて、寝るのは日付が変わる頃……。中学生の子どもには明らかに負担が大きかった。
でもこの生活は、誰に強制されたわけでもないんですよ。
小学生時代、児童会長に選ばれるくらい一目置かれていた僕は、自分より地味なタイプの同級生が中学受験をすると聞いて「え、じゃあオレも」と、
親に無理を言って受けさせてもらったんです。
わざわざ電車に乗って私立中学に通っているのは、地元では僕くらい。
オレ、すごいやろ? そんなイヤらしい優越感、いや「神童感」が、通学しんどい、勉強しんどい、
同級生の家はみんな金持ちで公務員家庭のわが家との格差がしんどいってことを、なんとかカバーしていたんでしょうね。
「ウンコ事件」から間もなく夏休みに入ったのですが、それまでの僕なら1週間くらいで終えているはずの宿題に、まったく手がつけられない。
サボっている感覚はないんですよ。
「オレは頭がええから、明日から頑張ればすぐできる」と思っているうちに、明日があさってになり、しあさってになり、気がついたら夏休みの最終日になっていたのです。
始業式の朝、僕はベッドから出られませんでした。
宿題をせずに学校に行くなど、優等生の自分には考えられないこと。
そのままずるずると不登校になるわけですが、そのときも「明日は行く」「1週間もらったら、宿題なんてちゃちゃっと片づけて復帰しますわ」という感覚でした。
そして3年生になると出席日数が足りず内部進学できないことがわかり、地元の県立高校を受験するもあえなく失敗。
元の私立校で中3をもう一度やらせてもらうことになったのですが、これも結構な屈辱なんですよ。
かつての後輩と机を並べることも、同級生が同じ敷地内にある高校にいることも、テストの点が落ちていくことも。
「元・神童」のプライドはズタズタ。
運動もせずひきこもっていたので、ぶくぶくと太っていきました。
地元を歩けば、「あの優秀だった順三くんが……」という目で見られる。部屋の中に閉じこもっていても、近くの学校のチャイムや登下校の声が聞こえ、自分だけが普通でいられないつらさ、世間から取り残されていく恐怖に身をすくめていました。
◆母との距離感がずっとつかめなかった
両親にしてみれば、僕がなぜ不登校になったのか、わけがわからなかったと思います。
学校がしんどい様子は家で見せていなかったし、夏休みも「いつも通り宿題もやってますけど?」という顔で過ごしてきたのが、いきなりベッドから出てこなくなったわけですから。
お笑いでいえば、何の前フリもなく強烈なボケだけかますようなもので。(笑)
特に父の狼狽(ろうばい)ぶりはものすごく、始業式に起きてこない僕の脇腹にドロップキックをくらわすくらい激怒しました。
税関職員という職業柄、非常に堅物で家でも絶対的な存在。
そんな父に対して僕は家族で一番従順だったし、機嫌がよくなるツボを押さえてふるまうのが得意でした。
父は「高卒」という学歴にコンプレックスを抱えていたのかもしれない。
僕が有名中学に合格したのも自慢だったはずです。
そんな“できた息子”が、何の予兆もなく不登校という形で抵抗したのですから、パニックになるのも当然だったと思います。
毎朝、父がベッドから僕を引きずり出そうと格闘するのに疲れて勤めに出てしまうと、次に始まるのが母親の嫌み攻撃です。
「ええご身分やねえ。高い授業料払(はろ)てんのに学校にも行かんと、何様のつもり?」と、ねちねち。
しかも的を射た皮肉を全力でぶつけてくる。
父と違い、母とは昔から折り合いが悪かった。
母との距離感がずっとつかめないままだったんです。
僕にはそれぞれ5歳違いの兄と弟がいて、2人は母親派、僕が父親派という勢力図が、物心がつく頃にはできあがっていました。
幼稚園の頃、家に遊びに来た友だちに出したポテトチップスを、まだ赤ん坊だった弟にヨダレまみれにされ、台無しにされたことがあって。
強く叱りつけた僕を、母親が割り箸を持った手でバチーンと叩いたのです。
僕は「目を突かれる!」と、ものすごい恐怖を感じたのを今も覚えています。(笑)
兄はというと、厳しい父に反発し、僕が中学に上がる頃には地方都市によくいるヤンキーに。
母は、兄が高校卒業後に家を飛び出して本格的に不良になっても、かばい続けました。
あるときふらりと家に戻った兄がひきこもっていた僕とケンカになり、僕がボコボコに殴られ血まみれになっても兄の肩を持つ。
そんな母を見て、諦めに似た感覚を覚えましたね。
でも今になって考えると、学校にも行かず、昼夜逆転の生活で夜中に冷蔵庫をあさってはぶくぶくと太り、さらには服を着るのも面倒だからとパンツ一丁で家の中をうろついている息子と常に顔をつき合わせているのは、専業主婦だった母からすればきつかったと思います。
相当のストレスだったでしょう。
ひきこもっている間には、両親が不登校の子を持つ親の集まりに行ったのか、あまりうるさく言わず見守る態度に変わった時期もありましたし、
ひきこもりが3年、4年と長引くなかで「自立しろ」と言われ、実家近くのアパートで一人暮らしをしたこともありましたね。
「働かざる者食うべからず」という父の方針でコンビニのアルバイトもしましたが、店内に流れるJポップの歌詞が、当時の僕には地獄の苦しみ。
「前向きにがんばりましょう」「きっとあなたにしかできないことがある」みたいなキラキラしたメッセージにさらされると、学歴社会から外れ、何者にもなれない自分はどれだけ無価値なんだと、自己嫌悪に襲われるのです。
結局、何をしてもひきこもりから抜け出すことはできませんでした。
◆親自身の人生は犠牲にしてほしくない
転機が訪れたのは、20歳になる少し前。
職場での浮気がバレて左遷された父と、母に実家を追い出された僕とで、瀬戸内海の小島で暮らしていた頃でした。
テレビで成人式のニュースを見て、突如として「このままでは同世代の人間から完全に置いていかれる」と焦ったんです。
それから必死に勉強して大検を取り、四国にある国立大学へもぐりこみました。
しかしその大学も、芸人をめざして東京へ出るときに、あっさり中退してしまうのですが。(笑)
その後、お笑い芸人になり、コンビ「髭男爵」としてテレビに出られるようになるまでも、社会からはドロップアウトしたようなもの。
親としては、相変わらず「どうなってんねん」という気持ちだったでしょう。
今、僕が改めて思うのは、「ひきこもりは、こうすれば解決する」という正解は、たぶんどこにもないということ。
親にしてみても自分たちが知ることのできる範囲、考えられる範囲で、そのときわが子に良かれと思うことを、やれる範囲でやるしかないのではないでしょうか。
両親の僕への言葉も態度も、寄り添うようなものではなかったですし、ふるまい方はどちらかというと下手ではあったけれど、悪ではなかった。
もっとああしてくれればと、恨む気持ちもありません。
問題を抱えた子どもにうまく寄り添えないからといって、僕は親が悪いとは思わない。
子どもって自分の人生が始まったばかりでキラキラしているぶん、大人の人生を「もう終わりかけ」と軽視しがちじゃないですか。
しかし自分も人の親になり、あの頃の両親の年齢に近づいて思うのは、親には親の人生があり、毎日を愉快に過ごしたいと考えて当然だということでした。
だから僕は、もし子どもがひきこもりになっても、お母さんには仕事や、趣味のテニスサークルや陶芸教室をやめないでほしい。
子どものために親が人生を犠牲にすると、家の空気が沈んでしまいます。
それは子どもにも影響するし、そこまでしたって事態が好転しない可能性もある。
ひきこもりの子どもがいるとなると、世の中は「家族で解決すべき問題」という空気になります。
これはしんどいです。親だって、絶望的な気持ちになるんじゃないですか。
一つだけ言えるとしたら、ひきこもりは結局、お金の問題が大きいということ。
ひきこもったままで、何年生きていけるか。
親がいる間は年金で生活を維持できても、死んだらどうなるか。
親としても、たまには美味しいものも食べたいし、友だちにも会いたい。
そういうお金も含めて計算して、「あなたがひきこもれるのは、あと何年です」と説明したらいいと思いますね。
僕が自分の経験を『ヒキコモリ漂流記』という本に書いたのは、学校や仕事で悩んでいる若い人に、「ひきこもると、こんなに面倒くさいで」と伝えるためでした。
こうした取材でよく、「ひきこもっていた時間も貴重な経験では?」と聞かれますが、僕は完全に無駄だったと思う。
やっぱりその6年間、友だちと遊んだり勉強したり、花火やバーベキューをしたほうが絶対によかった。
コンビニで流れるJポップじゃないのだから、何でもかんでも意味がある、あなたの経験には唯一無二の価値があると言い過ぎるのも、どうなんでしょう。
無駄を無駄として放っておいてくれないのは、何もできない、何もしていない人を許してくれない社会の風潮にもつながる気がして、しんどいなあと思います。
◆学校のバッグなんて自由に持たせたらいい
この春、長女が小学校に上がります。
娘にはごく普通に、お友だちと仲良くして、みんなに溶け込むエキストラのようであってほしい。
僕自身が常に「何者かにならねば」という思いに苛まれてきたぶん、娘には穏やかな人生を歩んでもらえたら嬉しいのです。
もしある程度の年齢になって、好きなことや得意なことを見つけ、自分から集団を飛び出したくなったら、どうぞご自由に、と思います。
僕はそれを見守るだけです。
先日、ランドセルも届きました。
最近は「ラン活」と言って、ずいぶん早いうちから選ぶんですね。
表の革、裏地に留め具まで、組み合わせが380万通りもあるというんで驚きました。
全国の1年生を合わせても、そんなにおらんでしょう。(笑)
それにランドセルにそれだけバリエーションを持たせるなら、リュックやらショルダーバッグやら、おのおの自由に持たせたらええのに、と思うんです。
「自由に選べる」と言いながらあくまでランドセルという規定はある、というのがなんとも日本的ですよね。
そこを限定されたうえで「無限大の可能性」をつきつけられても、正直困ってしまいますよ。
そもそも不登校やひきこもりが生まれるのも、中学と高校が3年ずつ、20歳前後までに大学に入って新卒で入社という暗黙のルールがあり、それを外れるダメージを恐れているせいかもしれません。
しんどかったらひと休みして、数年間ひきこもる人がいてもいいではないですか。
何度もリセットして自分の人生を探せるような世の中になっていけば、子育てはもっと気楽で面白いものになるんじゃないでしょうか。
〔2019年9/6(金) 婦人公論.jp(構成=山田真理、撮影=本社写真部)〕

【山田ルイ53世のお悩み相談】引きこもりだった過去のせいで若く見られるのではと不安です。
<お悩み>凄く若く見られる事が悩みです。
初対面の方には20歳そこそこの大学生に思われていて、年齢を言うと驚かれる(引かれ気味)ので、年齢を言うのが恥ずかしいです。
私は見た目が小柄で華奢というのもコンプレックスなのですが、中学、高校と7年間不登校引きこもりをしていた経験もあるので、実年齢に精神面が追いついていないのだと不安になります。
周囲からはどうでも良い悩みだとよく言われます。
どうしたら、この劣等感から抜け出せますか?
(ぽろぽろ/女性/31歳、パート主婦。子どもはいません)

山田ルイ53世さんの回答
これはよく分かります。
僕は中学2年生から6年間引きこもっていました。
あくまで“自分は”ということですが、あの時間は無駄だった、学校に通って友達と遊んだり、勉強や部活に励んだりした方が充実していたのになと後悔しています。 同世代の人間と比べて6年分の経験値を貯め損ねたコンプレックスは厄介ですが、とは言え、特に不便もありません。
RPGゲームで言えば、開けていない宝箱、話しかけていない村人など取りこぼしはあるけれども、一応ゲーム進行には差し支えない……そんなところです。
引きこもっていた期間を、実年齢から引いてみるのはどうでしょう。
僕は現在44歳。
なので、6つサバを読んで38歳だと思って生活しています。
もしぽろぽろさんが、「あの7年は無駄だったな……」、「実年齢に精神年齢が追い付いていないのかな……」と苛まれているのであれば、その年月をわざわざカウントする必要など無い。
「私は24歳だ!」
と思い込む、そう決めてしまうのです。
「自分に嘘は付けない!」などと言う方もいますが、大丈夫……自分のことは結構簡単に騙せます。
劣等感にせよ優越感にせよ、ベクトルが違うだけで根っこは同じ。
誰かと比べることから生まれる感情です。
そして、「人の目ばかり気にして生きる」というのは、「スマホをいじりながら車を運転する」ようなもので非常に危険です。
そんなリスキーな行為を器用にこなすには、かなりの才能、能力が必要。
しんどい、辛いということは、そういう力が相談者には無いということに他なりません。
自分には無理だと諦めて、とっとと我がことだけに集中しましょう。
結局、それが一番、人生のコストパフォーマンスが良くなる方法だと思います。
山田ルイ53世●お笑いコンビ、髭男爵のツッコミ担当。本名、山田順三。
幼い頃から秀才で兵庫県の名門中学に進学するも、引きこもりとなり、大検合格を経て愛媛大学に進学。
その後中退し、芸人へ。著書に『ヒキコモリ漂流記』(マガジンハウス)、『一発屋芸人列伝』(新潮社)、近著に『一発屋芸人の不本意な日常』(朝日新聞出版)。
〔2019年5/1(水) クロワッサンオンライン〕

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