Center:2006年7月ーひきこもりの社会的背景
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目次 |
ひきこもりの社会的背景
〔『ひきコミ』第34号=2006年7月号に掲載〕
長期間“ひきこもる”人が多くなった原因・理由・背景・・・社会の変化
一時的に"ひきこもる"というのではなく、人が長期の"ひきこもり"という状態になるのには、特別の背景があります。
前回は「ひきこもりの歴史的背景(社会性を身につけるのが難しくなった社会)」を書きました。
同じことをもう一度やります。
この10年間に、ひきこもりの人が増大したのは、主に後天的要素によります。
このような鋭敏な感覚をもち、繊細な感性の人たちが成育する環境(空間的、時間的、人間的な)の変化があり、先天的な感覚・感性の要素が維持され先鋭化されたのです。
それらをまとめて社会的な環境の変化という言葉で記述しましょう。
これが先天的要素につぐ多くの人がひきこもる第2の背景になるのです。
社会的な環境の変化というのは、全体としてもまた基盤としても、日本社会が物質的に相当にゆたかになり、便利になったことがあげられるでしょう。
その物質的なゆたかさを成し遂げたことの反面には人間としての生きにくくしている条件をも、肥大化させているのでしょう。
一つのことの達成は、その内側に次のテーマを含んでいるのです。
家族の変化・・・核家族化
この社会的な環境の変化の実例にはたとえば家族関係の変化があります。
戦前の家父長的な家族関係は戦後になって崩れました。
しかし民主的というべき家族関係が根付いたわけでもありません。
全体的には少しは"民主的"に近づきましたが、それ以上に世代間分離による核家族化が進んだように思います。
家父長制が機能する世代が切り離されたのです。
最近はその核家族がさらに崩れつつあるのかもしれません。
しかし、この核家族が圧倒的に増加したことが、子どものひきこもりの1つの背景に組み込まれているように思います。
家族関係の変化との関連で、家庭または世帯は、その地域から分離されたのです。
1960年代に象徴される農村から都市への人口移動の一面はこの点です。
最近では田舎に残した父母を、都市で世帯をもった子どもが"遠距離介護"するなどの形で表面化しているのもこの事情の1つです。
都市域での団地や新興住宅地、各地の大型マンションの増加は、世帯の分離(孤独の発端)と結びつく家族の形成であり、それが数十年の蓄積をしてきたのです。
この時間帯のなかである程度のコミニティは形成されてはいるのですが、この新しいコミニティに入れない人もまた多数生まれています。
こういう新タイプの世帯(家族)で子育てをした世代の子どものなかに、ひきこもりになっている人が多いように感じるのです。
いわば地域的共同体がまだ生み出される以前、そこに入っていけない家族(地域共同体が崩壊しているといっても大差はないでしょうが)の人たちの子育てです。
こういう家族、地域共同体の変化とともに、地域自体の変化もあります。
たとえば広場が喪失しています。
コンクリートやレンガが敷かれた広場ではなく、子どもたちが工夫して遊べるのを許容される遊び場、土や砂や木や植物があり昆虫がいる、より自然な広場、遊び場の喪失です。
その1つの結果が、地域における子どもの異年齢集団の消失です。
子ども集団の消失は、これを主原因とするのはいきすぎでしょうが、1つの要素です。
学校・家庭での教育環境の変化
学校教育もこれに関係しています。
学校教育は多くの面で変化しています。
高校教育が事実上義務教育レベルになったこと、かなり競争的な内容になり、子ども同士の関係に競争的な要素が持ち込まれるようになりました。
それとあわせて学習塾、進学塾の役割が増大しています。
これらの塾の様子は多様ですが、進学指導や勝ち抜くタイプの目標を揚げ、知識の偏重(または積み込み型)になるところが多く、対人関係づくりを促進するタイプのものは多くありません。
一方ではスポーツクラブ、ピアノ教室など、将来の職業を視野に入れた特訓的内容の運動系、文化系の子どもの養成組織も広がっています。
これが子ども同士の交流に競合的、勝ち抜き的要素を持ち込むのに役割を果たしていることは否めません。
社会の物質面での変化
物質面の変化も社会に大きな影響を与えています。
家庭・家族・地域の変化とは、いいかえれば住宅と住宅環境という物質面の変化ということができます。
衣料、食べ物、学習用品や遊び材料などの変化も大きいと言わなくてはなりません。
車社会といわれ道路交通網の発達と自然環境の後退も影響しています。
食べ物に関しては、保存食品の改良により、食糧供給の安定性は比較できないほど向上しました。
その一方で、農業や各種の化学物質の添加や希少ミネラルの不足による子どもの健康面への影響が大きくなっています。
アレルギーや花粉症はこれらに関係することでしょう。
母乳に代わる人工乳は、一筋の光明をもたらした反面で、母乳から切り離された乳児を大量に生み出しました。
栄養とは別の母乳のもつ役割が、子どもの成長の過程で作用し、成長をゆがめているのです。
紙オムツの普及、歩行援助具などは乳児期・幼児期の子どもと家族を助ける役割をもたらした反面、"不快体感"や乳幼児期の成長の粘りを弱めてきたように思います。
同じことは、遊具や遊び場にも生じています。
子どもの遊びから行動的な要素を低下させ、人間関係につながる要素を少なくしました。
テレビ、ゲーム、パソコンなどの電気・電子的機器が子どもの生活の中に持ち込まれるごとに、子どもの行動性や対人関係づくりにつながる要素は除々に削除されていったように思います。
この数十年に社会で起きた、大きな変化のはてに
すなわち、衣食住を中心とする物質的条件がこの数十年の間に大きく変化しました。
子どもの成長・発達の環境条件が大きく変化したものです。
これらがひきこもりの背景にはあります。
しかし、これらを元に戻すことはできません。
私たちは、成し得たことの反面には、失ったものも大きかったことを知らなくてはならないのです。
進歩には両面があるということでしょう。
その自覚のうえに、失ったものを回復する、あるいは代替になる要素を持ち込んだり、失ったものを軽減したり、捕捉するものを用意していく道を探求することになるのでしょう。