Center:2006年4月ー乳児期ー存在不安の遠因が生じるとき
(→(2)引きこもりの人の、人間(自分と他人)に対する安心感の欠如と、人の感情を察知する高い能力) |
|||
52行: | 52行: | ||
そう考えると、彼(女)らの不安感、優柔不断で不決断、積極的な行動の少なさを、単純に「困ったこと」とは言えなくなりました。<br> | そう考えると、彼(女)らの不安感、優柔不断で不決断、積極的な行動の少なさを、単純に「困ったこと」とは言えなくなりました。<br> | ||
− | + | そこにこそ本質があるからです。<br> | |
+ | その要素をどう読みとるのかに関心が傾きます。<br> | ||
そのあとで少しずつ、これをどう生かすのかという方向に発想を傾斜するしかなくなったのです。<br> | そのあとで少しずつ、これをどう生かすのかという方向に発想を傾斜するしかなくなったのです。<br> | ||
2011年7月28日 (木) 09:13時点における版
目次 |
乳児期――存在不安の遠因が生じるとき
〔『ひきコミ』第31号=2006年4月号に掲載〕
(1)引きこもり・・・「胎児の第二段階」を経てこなかった人たち
人は未完成のままで生まれます。
遺伝子による本能行動により自ら呼吸し、母乳を吸う、その呼吸により体内に酸素を取り入れ、母乳により新陳代謝などの生理的な活動を活発に続けています。
生活的なことの全ては周囲の人間、とりわけ母親が生まれたばかりの赤ちゃん(いわば母体から離れた胎児)の世話をしなくてはならないのです。
子どもはしばらくの間、胎児の第二段階という姿で、完全に保護を受ける環境において生存する、そうするしかないのです。
これは他の動物、たとえばシカやサルなどの比較的高等な動物が生まれた直後から自ら動き回るのと対比してみることができます。
では人の胎児の第二段階、赤ちゃんという完全な周囲の保護によって生きる時期には、どんな意味があるのでしょうか。
それを逆説的に教えてくれるのが、おそらくはその時期に完全な保護を与えられずに子ども時代を迎え、その後成長を重ねていった人たちです。
私は、不登校情報センターという名称の取り組みを始めた当初から、十代後半から20代の青年たちと関わりました。
彼(女)らの現在の状態をもたらした背景は、そのかなり以前にあることがわかりました。
それらを聞き重ねるにしたがい年齢を遡り、やがて「結局は誕生直後まで戻って、問題の背景を考えることになるだろう」と予感するようになりました。
そのような予感を得てからかなりの時間が経っています。
私は、文献を読んだり、だれかの教授を受けてその背景を知る環境にはいません。
毎日のようにやってくる不登校や引きこもりを経験している十代後半から30代の人の姿のなかに、彼(女)らの生育歴の断片のなかに、そのわずかな証拠を見出し、それらを組み合わせ、解きほどき、再構成を企て、それがうまくいかずにあきらめる。
そんな作業を繰り返す。
そしてようやくおぼろげながらに見えてきたのが現在です。
(2)引きこもりの人の、人間(自分と他人)に対する安心感の欠如と、人の感情を察知する高い能力
そういう経過のなかでも、かなり早い時期に気づいたことがあります。
引きこもり経験者たちのさまざまな状態の奥には、人間を本当に信頼しきれていないところがあり、それは自分自身に対する不信感にまでなっています。
彼(女)たちには、人への安心感がない、それを取り戻す(というよりは、はじめて備える)過程、あるいは方法、期間が必要だろうということでした。
それは赤ちゃん時代には得られないものを、それぞれの到達年齢のところで、可能な方法で取り戻すことのように思います。
当時(そして今も)この人たちに対しては、それぞれのおかれた現状を認識して、そのうえに立って一つひとつ着実に前に進んでいく、そのために彼(女)らの中にあるすばらしさに目を向け、ほめていく(肯定していく)・・・おおよそこのような方法をとってきたように思います。
しかし、その対応方法は、彼(女)らにとっては最悪とはいえないけれども、少なくとももう一歩フィットしないレベルにとどまっていると思うことがあります。
この方法の効果の少なさに気落ちしていたことも多かったと思います。
自分の見る目の低さを棚上げして「困ったことだな」と思ったこともあります。
その一方では、そうなるだけの背景があることは推測できましたし、やがて徐々にそれがわかってきました。
彼(女)らは、私には察知できないものをごく当たり前のように察知している(らしい)ことに気づきはじめました。
これに気づくのには特別のアクシデントらしいものはなかったと思います。
むしろ反応表現の弱さにおいてそれらを見出した気がするのです。
たしかに反応のしかたは人それぞれであり、ある部分は強く、ある部分は平均的に、ある部分は弱いように思えます。
これは当然なのですが、それらの総和が、他の社会グループと比べて格別に少ない、弱いと思えるのです。
初期のころ(5~6年前まで)は、この枠組みの中で、彼(女)らの「人の感情を察知する力」が優れているように思えました。
しかし私が彼(女)らとの接触が日常的な環境になった時期から、この見方は少し変更され始めたと思います。
「人の気持ちを深く読み取れる」能力、感度は、彼(女)らが実際に表現している以上ではないかと思えるようになりました。
彼(女)らの反応(言動による反応、感情による反応)は、むしろ「見えない」方向に振れると思えたのです。
普通なら予測できる反応はなく、むしろ「退く、抑える」形になるのです。
爆発ではなく陥没において反応をみる目が必要であり、それは個人差はあるけれども相当程度に共通性があります。
そう考えると、彼(女)らの不安感、優柔不断で不決断、積極的な行動の少なさを、単純に「困ったこと」とは言えなくなりました。
そこにこそ本質があるからです。
その要素をどう読みとるのかに関心が傾きます。
そのあとで少しずつ、これをどう生かすのかという方向に発想を傾斜するしかなくなったのです。
(3)引きこもりの人が持つ、子ども時代の鮮明な記憶
さらに彼(女)らの話のなかで気づいたことがあります。
それは、その人と私との関係がどのようなものにたどりついているかに左右されますが、気軽になればなるほど彼(女)らの記憶(話)の内容は時代を遡ることになります。
しかし記憶は全体として鮮明であり、なかには「まるで昨日のことのように」10年前のことや20年前のことを話すのです。
少なくとも、私とある程度話ができる関係になると、小学校低学年ごろの「ある事件」を語ります。
「心の傷」をつくった、その人にとっての事件です。
しかし、それらの部分はほんの「序の口」です。
私との関係(このことばを繰り返していますが、それは信頼関係というよりも、気が緩む関係というのが実感に近い気がします)によっては、小学校入学前の状態を物語ります。
4歳から3歳と遡ることはそう極端なこととは思えません。
「私がオッパイを吸おうとしたとき、何か払われたような気がする」という遠い記憶を語った人もいます。
「オッパイを吸おうとした」というのも「払われた」というのも、両方とも「気がする」ことで確定的に語られたわけではありません。
問題はそのときの自分は、もしかしたら1歳とか1歳未満かもしれないことに注目しなくてはなりません。
人の記憶はいったいいつまで遡ることができるのでしょうか。
私は4歳のとき1枚の写真を撮られた記憶がその写真とともにありますが、その写真がなければこのときの記憶は表に出てこないでしょう。
実は5歳のときの記憶もほとんどありません。
「心の傷」になるような事件と結びついた記憶なら呼び出せるのでしょうか。
私にはたぶん3歳ごろの冬の炭火ごたつにもぐっていて、何かミニ爆発を起こした話を、母親や姉から聞かされたことはありますが、全く思い出せません。
5歳のとき左足の骨折になる事故があり、それと小学校入学ごろの記憶が断片的に思い出せるだけです。
これらは私の記憶力の低さによるものか、それとも物事を深く気にしないためなのかよくわかりません。
それらは原因ではなく、それまでの子育て(成長過程)の結果かもしれません。
私のことを基準にするのは必ずしもいい比較とはいえないでしょうが、ともかく引きこもり経験者たちは、かなり高い割合で幼児期、ときには乳児期(赤ちゃん)までの記憶を語ります。
私はこれらを全部そのまま信じているわけではありません。
どこかが事実を直接に表し、どこかが事実を乱反射させ表していると思います。
だが一人の人間にとっても、多数の人の経験としても、これらの記憶のなかには、ある動かしがたい事実の集積が発生源をつくっていると考えています。
実際に人間は、自分を守るために記憶さえも加工してしまうことは知られています。
しかし加工するには素材が必要であり、その素材とは子どもにとっての「事件」なのです。
これらを通して引きこもり経験者の乳幼児期体験を構成していくと、それが霧の景色の中におぼろに見えてくるようになります。
それこそが、胎児のまま世に出てきた人間の乳児期には、何が必要なのかを教えてくれるのです。
(4)引きこもりと児童虐待の関連性は?
近年、子どもの虐待が大きな社会問題になっています。
親の側はそれを「躾(しつけ)」と称しています。
初めのころは「下手な言い訳」だと聞いていましたが、本気で「躾」と考えているようです。
次々に明らかになる虐待で「躾のため」という言葉が繰り返されているからです。
「乳児が泣きやまないので、泣きやめさせるためにたたいた」という躾をまともに考えることはできませんが、その親たちは赤ちゃんを本当に知らないのでしょうか。
機械じかけの生きたオモチャとでも考えているような気がするのです。
このような親による乳児あるいは子どもへの虐待は、最近とみに浮上して社会問題になっていますが、今に始まったことではありません。
引きこもり経験者のある割合が、強弱さまざまなレベルの虐待の被害者なのです。
それは1960年代の高度経済成長の時代から増加し、1970年代以降にはあるレベルの高い発生を継続させています。
しかし、物事をわかりやすくするために単純化しすぎると誤解や事実に反する面も出てきます。
引きこもり経験者の大部分が虐待を受けた経験者ということではありません。
その背景は虐待の影響の一点に単純化できないのです。
1970年以降、日本社会は大きな変化をしました。
衣食住を中心とする日常生活、家族、学校、地域、あそびと友達関係、産業経済などをその例に挙げることができます。
一方では、子どもへの虐待を生み出す背景をつくり、他方では虐待とは別の要素になる「人の心の雰囲気のわかる」子どもを大量に生み出し、さらに乳幼児期の鋭敏な感覚察知能力をその後の成長の過程でも持続させる環境にしています。
この同じ事情は、かつては子ども期に虐待を受けた子どもも思春期ごろには高い割合で回復を遂げた条件を劣化させる役割をしていると思えるのです。
子ども側からの「事実」のことばを聞くには、一片のアンケート調査で知ることはできません。
逆にそれは間違った事実を宣伝する機会にさえなると思います。
子どもが、深刻な自分の事実を表現するには、豊かな受容と慰めの環境がなくてはならず、そうでなければ表現する内容を自分が持ちこたえる程度のことに限定せざるをえないのです。
しかもその影響(虐待やいじめに限りません)の色濃く残っている時期からはある程度(ときには10年、20年)経ていることさえ必要なのです。
当然「記憶の加工」の可能性もおり込んでいなくてはなりません。
(5)引きこもりの人への主要な支援内容は「ほめる」こと
さて周囲の人(以下「親と支援者」とします)が引きこもりの人たちに対して何をすべきかを問われたとき、私は「ほめる」ことをあげました。
それは彼(女)らの多くは自己否定感が強く、多くの阻止=禁止の経験をたどったことの回復を図るためです。
ほめつづけていけば引きこもりから回復できると単純な構図をもっているからではありません。
「ほめる」ことには多様な面と方法があります。子どもの言うことに「そうだね」と相づちを打つこと、「そうだったのか」という納得のことばは、子どもの受け入れです。
パソコンの技術を子どもから「教えてもらう」ことも「ほめる」系の言動です。
まだまだ多くの種類はありますが、ここでは、この程度にしておきましょう。
次は「親と支援者」がほめる視点を広げ、高めることです。
子どもの一つひとつの言動に対して、何をどの部分をどのようなタイミングで、どのようなことばや表現でほめるのか。
これは「親や支援者」の力量を問われるようなことです。
「親や支援者」が固定したままで、子どもがそれに近づくのではなく、子ども側の成長は「親や支援者」の成長を伴わないかぎり、行きづまるのです。
上のことと関連して、親が自分の人生目標をもつことも大切です。
子どもの方に親の人生目標を上載せすると、子どもはその心理的圧迫の下におかれ身動きしづらくなります。
一方、親自身は何か新しいものを察知する感度を伸ばしづらくなっていきます。
「ほめる視点」を広げることは、親の自己目標に接近する姿勢と結びつけて考えてもいい要素です。
「ほめる視点」を見つけるために、あれこれの参考書を読むのが不要というわけではありませんが、生きた現実社会のなかで、親が何かを察知する力を磨くことによって視点が広がるときの現実性にはおよばないでしょう。
以上の要素を含む「ほめる作業」を、私は引きこもり支援における重要な要素と考えています。
しかしそれでは十分ではないのです。それは引きこもり経験者が「ほめる作業」をうまく受けとめられないからです。
まさにザルで水をすくう感じです。
たぶん次の要素を含む支援内容が求められるからです。
理性や世間基準以上に感性、感情を大切にされ重視されること。
対人関係づくりの場につながること。
失敗のなかから得意分野や社会生活に必要な能力の芽がつかめること。
この3点を挙げておきます。
では「ほめる作業」はどんな役割をもつのでしょうか。
人間にとっての空気のようなもので、日常的にはそれに気づかないけれども、それがなければ生死にかかわるほど重大だということです。
この「ほめる」系の環境、空気の乏しい成長期間におかれた引きこもり経験者はかなり多いものと思います。
(6)引きこもりの人がほめられたときの反応の特徴
私の記憶のなかで、「ほめたとき」の反応で気づくことをいくつか挙げてみましょう。
当初の「困ったこと」から反応を一つひとつ見ることによって気づいたことです。
あまりほめられ慣れしていないためとか、ほめる方が恐縮するくらいとても強くそのほめられた内容を否定し、不適切であることを表現する。
周囲にいる人は、このような印象を持つことがあるのではないでしょうか。
たとえば絵のうまさに感心したときに「~さんに比べたら全然負けています」というように、ほかの人(ときには著名な画家)を引き合いに出し自己否定することもあります。
実はそれ以上に、自分の創作品を、自分以外のだれかに見せる機会をつくるのに長い年月を要します。
絶対的に大丈夫といえる条件が整わないと他人に見せるつもりはない、と決めているのではないかと思うこともあります。
創作品のように見せることができない、たとえば日常の生活やことばの場合、そのほめる場合、ほめ方によっては、あるときには好意的に受けとめるけれども、見せられた側が何かを見逃すとがっかりしたり、ときには無視されたと感じたりもする。
こういう反応する自分の態度を避けるために、なかなか見せないと思えることもあります。
これらのことは、何が表われているのでしょうか。
上の実例は実際にはごく一部を挙げているにすぎませんから、以下の箇条は必ずしも上の実例だけでは十分に説明できることではありませんが。
ほめられることの不慣れを超えて、身に余る事態での困惑、不適当な処遇感、次に何かを求められるのではないかという不安感さらには、恐怖感。
安全性の確認と消極的で受け身――安全な場が設定されていなければ表現しない。
創作品のばあいは、絶対的に安全な一人、気心の知れた数人の範囲を超えることは難しい。
自分の裁量を超えた人に伝わったときの自分自身の取り扱われ方への不安感。
対人関係において、自分を否定するのではないという安全確認。
自分は相手を否定するつもりはないけれども、何らかの形で自分の生の姿を表わす(さらす)ことにつながる危険性の回避。
責任感――その範囲は狭いけれども、その部分だけはしっかりと責任を負う行動を取ろうとする。
このような高い倫理性を保持しながら、一方では広い責任感を回避する傾向が同居している。
安全を確保するための深読み――自分と親しくしている人(A)がいる。
Aとあまり親しくしていない(B)がいる。
自分がBと親しくするとAと自分の関係がくずれるのではないかと気になる。
これを前提とした対人関係上の感情を優先したり、自分の感情抑制を図る。
これらは、反応の全部あるいは代表例を示しているわけではありません。
その反応の細やかさはまさに驚くべきほどのものだと思います。
それは突出表現ではなく、逆のへこみ表現です。
しかしその言動には、非常に多くの精神作用がぎっしりとつまっています。
あらゆる可能性を一つひとつ点検していって、自分なりの納得レベルまでもっていく。
そのうえで慎重に動く。動き始めたところでまた一つ何か要素がみつかると、それを点検していく。
これらの精神作用が優柔不断と不決断であり、動きがグズであり、ときには「動かない」選択につながるのです。
(7)得られなかった「胎児の第二段階」をどう取り戻すか
このような慎重さを重ねていくことで、守っているものがあります。
その遠因というべきか根本原因というべきか、それが赤ちゃん時代(胎児の第二段階)に母親から離れて存在するようになったときの、完全な保護が不十分であったために生じたことです。
本人にとっては遠い遠い記憶。意識の下に奥深く潜んでいる感覚。
それが人への不安となっていまに表われるのです。
赤ちゃん時代に絶対的ともいえる安全を得られなかった人は、このような形で20代や30代に入ってからも、静かにしかも堅固にわき起こってくる生命の不安感を持ち続け、表現しているような気がします。
J.ルソーは「人は2度生まれる。
1回目は存在するために、2回目は生きるために。
はじめは人間に生まれ、次には男性か女性に生まれる」と述べました。
1回目に「存在するために」生まれた後、乳児として母親の胎内にいたときと同じ安全な保護の下におかれることで、人間存在の安心感をえられる。
それがなければ人間存在の安心感は得られない、と追加してもいいのです。
この赤ちゃん(乳児)時代の安全があれば、思春期以後は「人間に生まれ」男性、女性として成長していきます。
もしこの乳児時代の安全がなく、しかもその後の回復過程が乏しければ、思春期以降は人間存在としての不安を抱え、それぞれ男性、女性として成長するよりも「中性になりたい」さまざまなレベルの人間存在の不安感をもつことになるように思います。
「生きている実感がない」「私はここにいていいのでしょうか」「生まれてこなければよかった」「存在の足元がぐらついています」。
これらは引きこもり経験者の不安感が強くなったときに発する言動です。
これらは存在不安、人間への不安感、さらには自分自身への不安感を表現することばです。
これらをどのように取り戻すのか。私にはその全体はみえません。
彼(女)らは「リセットしたい」とか「自分で自分を育て直す」気持ちでいるときもあります。
比較的安定しているときのことばです。
私はこのことばに重大なヒントがあると思います。
胎児の第二段階(赤ちゃん時代)そのものを取り戻すことはできません。
しかし、回復方法がないとは思えません。
たぶんその方法には、母の胎内と擬似的に同じ環境、完全に保護された中ですごす時間、その中での抱擁(ハグ)あるいは皮膚接触(スキンシップ)を伴うものが加わるものと思います。
ことばを裏返せば、子ども側が「赤ちゃん返り」できる安らげる環境での生活時間体験が必要であると思います。
それでも20代以上になるとこの取り戻し方法の男女差は比較的大きくなります。
私の印象では、女性は潜在的に感情の緊密な交流を必要としているし、男性は社会とつながるための綱(コード)を求めているように思えます。