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体験記・森田はるか・引きこもり模索日記(7)

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==引きこもり模索日記(その7)==
 
==引きこもり模索日記(その7)==

2018年1月31日 (水) 16:00時点における版

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目次

引きこもり模索日記(その7)

著者:森田はるか(男性・東京都) 

三十代になって周囲をみると

私は「人生模索の会」活動中に三十代に突入した。
三十代を迎える時は二十歳になる時とは比べものにならないくらい嫌だった。
会の参加者で私と同年代や年上の人もいたが、同じ「三十代の引きこもり」でもそれまでの道のりは人それぞれである。
高校、大学までは普通に過ごしてきた人や、大検などで遅れて進学して二十代のほとんどを学生で過ごし、遅れて大学を卒業した人などは結構多い。
「学歴」はやはり無いよりはあった方がよいわけで、高校中退後や二十歳を過ぎてからも予備校や大学へ「進学」の選択が出来た人には正直羨ましく思う。
しかし私には元々「学校」というものによい思い出がないせいか、モラトリアムとしての学生生活などには憧れない。
私には「中卒引きこもり」のコンプレックスもあるが、「学歴」だけで食べていけるわけではないし、「大卒引きこもり」の人にも「大学まで出たのに就職も出来ないでフラフラして…」と世間から見られる悩みがあるだろうと思う。
コンプレックスなど考えたら切りがない。気持ちの持ち方、考え方次第だ。
また三十代で私と同じようにアルバイトが出来る程度まで回復している人もいるが、ほとんど社会経験のない人もいる。
いずれにしても、三十代の人は二十代の人とは比べものにならない危機感がある。
「女性の引きこもり」は当初意外だった。
女の人には「家事手伝い」という職業のジャンルがあり、「引きこもり」で悩むことなどないと思っていた。
男に比べれば圧倒的に数は少ないが悩んでいる人はいる。
しかし、個人差はあるが悩みの内容は男とは違う人が多いように見える。
リストカット系や異性に依存する人は女性に目立つ。
「引きこもり」ではなく、「帰宅拒否症」の人もいて、一人暮らしの引きこもりの男の家に寝泊まりしたり、女性とほとんど付き合ったことがない純情な引きこもりの男を都合よく利用して弄んでいるような女もいる。
自助グループの問題点として、社会復帰よりも男女間の恋愛にばかりに関心が行ってしまうことも挙げられるようだ。
ナンパ目的については悪く書いたが、ちゃんとした恋愛に発展するなら問題ないと思う。
参加者は男女共、多少は異性を意識して来ているものだ。
しかし自分の欲望だけで異性に迫ったり、ナンパだけを目的に来る奴はただの畜生だ。
またボランティアやカウンセラー気取りで来る人も所詮ナンパ目的などろくな奴がいない。
ボランティアやカウンセラーを気取るような奴には「お前はなに様なんだ?」と言ってやりたい。
無責任な偽善行為はやめてほしい。
私自身、会の活動を通じて彼女が出来た。
彼女は「人生模索の会」が始まったばかりの頃、個人的に連絡を取っていた一人だった。
いろいろな悩みを抱えながら頑張る、とても尊敬できる女性だ。
これまで、バイト先で知り合った女の子と付き合ったこともあったが、その時は自分の経歴を一切カミングアウトしなかったので、自分の方が疲れて自然消滅していた。
今はありのままの自分で彼女に接することが出来る。
付き合い始めの頃は「こんな自立も出来ていない自分に彼女を作る資格があるのか…」と悩むこともあった。
また頼りにされることが依存されているように感じてしまい、重荷に感じて少し距離を取った時期もあったが、距離を取ったことで彼女との関係は自分だけが依存されているのではなく、自分も彼女を必要としていることに気がついた。
彼女のおかげでいろいろな経験をさせてもらい、感謝していることも多い。
家が遠くて時間的、経済的に自由に会うのも容易ではないのだが、早く彼女の期待に応えられる人間になりたいと思っている。

自助の活動と仕事に就く目標は一致しない

「新ファーストステップ」は当初インターネット等でも呼びかけて参加者を募ったが、参加条件を厳しくし過ぎたこともあり、あまり人は集まらなかった。
どんなに参加条件を厳しくしても無神経な人は全く気にしないし、気にしなくてもいい人ばかりが気にしてしまうので、次第に参加条件は緩和していった。
「現在の募集要項は… ・社会的引きこもり、対人不安で悩む当事者、経験者(遊び、ナンパ目的、興味本位、ボランティア気取りはお断り)。
・本人の意志で参加し、社会参加への意欲のある人。
・同じ悩み、経験を持つ知人、友人を求める人。年齢、性別は問わず。
▽当会は引きこもり当事者、経験者だけの自助会です。
スタッフやカウンセラーはいませんので自己責任で参加してください。
会の目的は参加者同士の親睦です。
参加して悩みや問題が解決する訳ではありません。
常識と会の主旨をよく理解した上で参加してください。」

スタッフやカウンセラーが入ればもっとまとまると思うが、その「誰かに頼る」体質を改善したいし、利害関係のない所で対等な立場でものを話さない、見下した態度の人間を私は軽蔑する。
もちろん学習目的の学生など入れるつもりはない(いずれも信頼関係のある人は別だが)。
しかし現在のところ「新ファーストステップ」は活発な活動にはなっていない。
正直言って「人生模索の会」を呼び掛けた当時とは「引きこもり」を取り巻く環境も私自身の状況も現在は大きく変わっている。
私は「人生模索の会」で多くの人達と知り合い、友達も出来て一つの目的を達した。
今の私の目標は就職して仕事を安定し、経済的に自立することにある。
その目標と「引きこもり自助グループ」の活動は一致しない。
はっきり言って、本気で自助グループの活動をすれば、社会復帰への負担になるだけだ。
しかし実際就職活動は厳しい。
「引きこもり」の人は高学歴やいろいろな資格を持っている人が多い。
就職活動には大変有利で羨ましく思う。
「三十代にもなって、学歴もなければ定職に就いた経験も大した資格もない…」大抵は門前払いである。
正直、「履歴書など書くのも嫌だし、もう就職活動などしたくないので、なんでも良いから仕事を落ち着けたい」というのが本音だ。
私は別に偉くなりたいとか凄い金持ちになりたいとは思わない(もちろんなれれば嬉しいが)自分に相応した仕事が見つかり、生活が出来れば幸いだ。
出来ればホームヘルパーの勉強をしたので、介護関係の仕事に就くことを希望している。
しかし今続いているアルバイトを辞めて、新たに始めた仕事がうまく行かなかった時、「また引きこもってしまうのではないか…」という不安が今でもある。
以前のように孤独に悩むことはなくても、簡単に仕事が見つかる時代ではないし「また仕事に出られなくなったらどうしよう…」と考えると、思い切った行動が出来なくなってしまう。
ネガティブな性格は相変わらずだ。
失敗が許されないような社会ではあるが、その時の自分の気持ち、やる気を大事に結果を恐れず行動していきたい。
何事もダメな時はダメだし、うまく行く時はうまく行く。
なるようにしかならないのだ(自分に言い聞かせています)。

他の引きこもりの人達を見ても正直、将来はどうなのかと思う。
悪いたとえだが、「ホームレスは三日やったら辞められない…」と言う。
引きこもりの期間が長ければ長い程、「怠け癖」が付いてしまうのではないか。
引きこもりの人達の不安は「親が年を取って定年間近…」等、今そこにある危機ではなく近い将来への漠然とした不安だ。
私も含め、理解のない親に対して怒りや悲しみを感じていても結局は親の世話になり「引きこもれる環境」がある。
ただのお坊ちゃま、お嬢様のわがまま病としか思えない人もいる。
いずれにしても、外に出て傷つくよりは引きこもっていた方が楽だから引きこもっているのは事実だと思う。
同じ悩みを持つ人と知り合うことは大変貴重で良いことではあるが、危機感まで薄れ、引きこもりを肯定するような考えを持つと一生そこから抜けられない。
だからといって、無理に就職や働きに出ることにこだわる必要はないと思う。
施設によっては「引きこもり作業所」みたいな働く場を提供している所もあるが、能力のある人も多いのでSOHOやベンチャー等、自分で事業を始めることを考えた方が良いと思う。
しかし「引きこもり」という部分で共通していても、特技や能力など生産性のある部分ではなかなか共通しないので、まとまって事業を始めるのは難しそうだが…。
私は引きこもりの肯定はしない。
しかし自分にとって「一時避難場所」として必要な期間ではあった。
だがそれがあまりにも長くなってしまうと、なんの意味もない、無駄な時間になってしまう。
私も随分長い時間を無駄にしてしまった…。


一番の収穫は友達

なぜ自分は引きこもりになってしまったのか…。
原因が分かれば解決の方法も見つかるはずとよく考える。
学校、社会、親、自分…すべてに問題があったと思うがその割合はどうか…。
やはり自分にいちばん問題があったのは間違いない。
普通の人は学校や職場で嫌なこともあるが楽しいこともあるから頑張れているのだと思う。
「私は楽しいこともいらないから嫌なことを避けたい」「可もなく不可もない生活」を選択してきたと思う。
「引きこもり」は楽だ。ましてや親に理解があり、パソコンやTVゲームを持ち、時々引きこもりの集まりにでも参加していれば楽園生活だろう。
しかし勇気を出して一歩社会に出てみれば、引きこもりの世界よりも良いこと、楽しいことがこの世の中には結構あることを知っておいてもらいたい。
もちろん良いことばかりではなく嫌なことも多いが、いろいろな扉を開けてみる努力はした方が良いと思う。
引きこもりの人にはパソコン、インターネットが必需品のように言われるが、これらは「引きこもるための必需品」だと思う。
パソコンでインターネットを始めたからと言って引きこもりが直る訳ではないし、むしろ家に居ながらさまざまな情報が得られるのだから余計に引きこもるだろう。
もちろん、Eメールなどは手紙や電話よりもはるかに便利だ。
しかしパソコンの購入にも維持費にも金が掛かる訳だし、親、家族に理解がなければ「無職の引きこもり」の人が簡単に手に出来るものではない。
簡単に勧められても困る人は多いだろうし、私は「あれば便利だが、なくてもそれなりになんとかなる…」と思っている。
文通やメールによる交流は大変有効だ。やはり一人で悩んでいるのは一番良くない。私は「人生模索の会」で多くの経験させてもらえた。
なんといっても一番の収穫は知り合いや友達が出来たこと。
それぞれの事情で現在は連絡が途絶えてしまっている人もいるが、そのときどき仲良くしてくれた人、会の活動に協力してくれた人には大変感謝している。
もちろんすべての人とうまくいった訳ではない。
一時期は会での立場も考えて、けんかなどはしないように心掛けたが、全ての人とうまくやっていく必要などないはずだ。
多くの人が集まればどの世界でも人間関係にあつれきが生まれるのは当然だし、考え方の違いでも、感情的なものでも嫌いな奴を無理して好きになる必要はないし、媚びる必要もない。
これはどの世界でも言えることだ。
被害妄想の激しい人もいて困るが、自分が他人を攻撃しておきながら反撃されると被害者ぶる実に都合の良い自分勝手な人もいる。
自分が他人を攻撃すれば同じように、他人から自分も攻撃されることぐらい覚悟しておくべきだ。
会合では「学生時代の友達と久々に会った…」という話を聞くことが時々あった。
うちの両親も同窓会などがあると楽しそうに出掛けていた。
登校拒否、高校も中退して、その後引きこもりによる劣等感から学生時代の友達とは縁を切ってしまった私には羨ましく思えることだ。
バイト先などで仲良くなれた人がいても、仕事上の付き合いはその仕事を辞めてしまうとなかなか連絡も取りずらくなってしまう。
「人生模索の会」で知り合った人達とも、すべての人とこれからも付き合っていける訳ではない。
学生時代の友達にしても卒業後はその当時の関係とは変わっている訳で、やはりそのときどきの人間関係、人との出会い、共に過ごす時間を大切にしていきたいと思う。

私は常に「自分を変えたい…」と願ってきた。
今でもその気持ちはある。
「もっと明るく積極的になりたい」「もっと精神的に強くなりたい」、しかし、いつしか自分を変えることなど無理だと思うようになった。
「学校もダメ。仕事もダメ。なにをやってもダメな自分。しかしそれが自分、俺なんだから仕方がない。」「このダメな自分に付き合って行こう…」
…この開き直り、逆ギレの心境で生きるのが少し楽になった。
こんな心境になれたのはアルバイトなどで自分を認めてくれる人に出会い、少しでも自分に自信を持てるようになったからだと思う。
人の中で傷ついた心は、人の中でしか癒せないものなのだ。

この経験があったから今がある

私は最近まで、世の中、社会に対して怒り、妬み、憎しみしかなかった。
日本でいちばん孤独で不幸な人間だと本気で思っていた。
その怒りのエネルギーがモチベーションとなり、行動出来ていた部分もある。
しかし私がここまで回復出来たのは自分一人の力ではなく、いろいろな人に助けられてきたのは間違いない。
「人生模索の会」を始める機会を与えてくれた松田さんには批判的なことも書いたが感謝していることの方がはるかに多い。
また「人生模索の会」で出来た友達、バイト先で良くしてくれた人たちにも感謝している。
心配や苦労ばかり掛けている母にも、弟にも感謝しているし、父に出来なかった分も母には親孝行しなければいけないと思っている。
いま考えれば、いじめや引きこもりで辛い時期にも手を差し伸べてくれる人がいたのだが、自分の気持ちに余裕がなく、私の方からその手を振り払ってしまった。
「嫌な人」ばかりでなく「良い人」「自分にとって必要な人、大切だった人」をも遠ざけてしまったことは反省し謝りたい。
「引きこもり」などなんの役にも立たない、まったく意味のない無駄な経験だと思っていたが、この経験で多くの人達と繋がりが持てたのは全く予想もしないことだった。
まったく、世の中なにが起こるか分からない…。

「人生模索の会」は自分のために始めたことが人のためにもなった。
私はいずれ立場を変えて、今度は本当にボランティアのような立場で引きこもり問題に関われるようになりたい。
心の病気、問題は身体の障害と違い、目に見えない分理解されにくい。
心の病気で悩む人はとても繊細で良い人が多いと聞く。
実際「引きこもり」の人も良い人が多い。

 日本人はほぼ単一民族のため、皆と同じでなければいけない、個性を認めない民族である。
皆と同じでない者は差別され、いじめられ、迫害される。
また農耕民族のため、集団行動を強要する。集団からはみ出した者は生きていけないような風潮がある。
残念ながら、この世の中から差別や争いごとを無くすのは不可能だ。
せめて身近にいる人が良き理解者となることが大切だ。
そして世間体など気にせずに行動してほしい。
私は今もまだ「引きこもり」から完全に脱却出来たわけではない。
未だに消極的、話し下手、社交性の無さなどは変わらないが、長い時間を掛けて、少しずつ、ゆっくりと精神的な部分、考え方は大きく変わったと思う。
これからも、ゆっくりでも確実に前進してゆきたい。
無駄にしてしまった時間や後悔も多い…。
しかし「この経験があったから今の自分がある」と誇れる人生にしてゆきたい…。
(完)

体験記・森田はるか・引きこもり模索日記(1)
体験記・森田はるか・引きこもり模索日記(2)
体験記・森田はるか・引きこもり模索日記(3)
体験記・森田はるか・引きこもり模索日記(4)
体験記・森田はるか・引きこもり模索日記(5)
体験記・森田はるか・引きこもり模索日記(6)
⇒体験記・森田はるか・引きこもり模索日記(7)

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