さらにストレスの役割を考え続けています
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エレーヌ・フォックス『脳科学は人格を変えられるか』文藝春秋、2014<br> | エレーヌ・フォックス『脳科学は人格を変えられるか』文藝春秋、2014<br> | ||
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2017年12月23日 (土) 21:01時点における最新版
さらにストレスの役割を考え続けています
〔2014年7月28日〕
先日来、ストレスについて考えています。
気質・体質的に感受性が強いので周りからストレスをうけやすい、それが不登校やひきこもりの子どもの一面です。
たとえば受験が近くなるとイライラするのは不登校経験者に限りませんが、ストレスの表われと考えられます。
不登校セミナー(27日)の場で出たのは家族へ当たること(暴力など)でした。
これは退行的なストレスの発散方法の1つ、周囲の人へ向かうストレスの発散方法です。
身近な家族、とりわけ母親に向かうことが多いものです。
退行であるとともに依存的な出方ですし、それを超えて支配的な様相になることもあります。
陰性反応であり、他害的でもあります。
ストレス自体は価値中立的なものですし、ストレスをなくすことはできません。
しかし、このような退行的、陰性、依存型、他害型(ときには自傷型)のストレス発散の方法はできるだけ避けたいところです。
ストレス自体は価値中立的とはいえ、長い間ストレスにさらされると、身体的な痛み、疲れが表われ、不安が高じて心身の病的な症状につながるからです。
また暗示を受けやすいことが知られています。
こういうストレス発散方法に直面するとストレス自体に悪の印象を持ちます。
価値中立的などと澄ましておれません。
ストレスの陽性の発散方法、軽い運動や好きな音楽、気心の知れた人とのおしゃべり、本人にとっての楽しいこと、休息や睡眠…など個人特性に合わせたストレス発散方法を見つけたいものです。
このあたりまで考えたのですが、セミナーで出されたことを思い出しながら、ストレスについて考え直してみたのです。
予想外のことや、自己矛盾(? 説明不十分)に気付きました。
予想外なこととは、忍耐・辛抱・我慢などというのは心理学や精神科学の対象になっていないことです。
ウィキペディアで調べた範囲ですが、仏教由来のことばのようです。
英語のpatientやendure はどこから出てきた言葉なんでしょうか。
さらに自己矛盾があります。私はある局面における依存を肯定します。
先日(7月7日)も「依存しながら依存を通して自立に向かうのです」と書いたところです。
ところで「退行的、陰性、依存型、他害型(ときには自傷型)のストレス発散の方法はできるだけ避けたい」と一つに絡げたのがダメなのかもしれませんが、整合性のある説明ができません。
取り下げるつもりはありませんが、精密に表現しないとまずいと思っているところです。
エレーヌ・フォックス『脳科学は人格を変えられるか』文藝春秋、2014