気まぐれ八百屋だんだん
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全国各地に広がる「子ども食堂」の名付け親とされる東京都大田区の近藤博子さん(58)が「気まぐれ八百屋だんだん こども食堂」を開いてから八月末で丸五年を迎えた。<br> | 全国各地に広がる「子ども食堂」の名付け親とされる東京都大田区の近藤博子さん(58)が「気まぐれ八百屋だんだん こども食堂」を開いてから八月末で丸五年を迎えた。<br> | ||
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〔◆平成29(2017)年9月3日 東京新聞 朝刊〕 <br> | 〔◆平成29(2017)年9月3日 東京新聞 朝刊〕 <br> | ||
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'''宮崎県・鹿児島県 / 憲法ルネサンス =こども食堂 全国へ 思いやりの輪 200カ所超に'''<br> | '''宮崎県・鹿児島県 / 憲法ルネサンス =こども食堂 全国へ 思いやりの輪 200カ所超に'''<br> | ||
2010年春、近くの小学校へ入学した男の子は、一緒に暮らす母親が病気で食事を作れず、朝食と夕食はバナナ。<br> | 2010年春、近くの小学校へ入学した男の子は、一緒に暮らす母親が病気で食事を作れず、朝食と夕食はバナナ。<br> | ||
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2017年9月15日 (金) 19:11時点における版
気まぐれ八百屋だんだん
所在地 | 東京都大田区 |
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TEL | |
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子どものあした 子ども食堂「だんだん」5年で延べ3000人 大田区から共感全国へ「誰でも受け入れてくれる」
全国各地に広がる「子ども食堂」の名付け親とされる東京都大田区の近藤博子さん(58)が「気まぐれ八百屋だんだん こども食堂」を開いてから八月末で丸五年を迎えた。
店を訪れた子どもたちは延べ三千人以上。
なかなか子どもが集まらない悩みを抱える店もある中、だんだんは子どもだけでなく、大人も含めて誰でも集える地域の居場所になっている。
無農薬野菜や自然食を売る店の奥で毎週木曜夜、子ども食堂が開かれる。
「お帰り」。誰かが来るたびに近藤さんが明るい声で迎える。
小学生や中高生だけでなく、子連れのお母さん、一人暮らしのお年寄りも。自由に食事をしたり、しゃべったりしている。
七年前、近藤さんは近くの小学校の副校長から「母親の具合が悪く、給食以外はバナナ一本で過ごしている子がいる」と聞いた。
その後ろ姿を想像し、胸が締め付けられた。
他にもそんな子がいるのではないか。みんなで食事ができる場を作ろうと二〇一二年八月に始めた。
「子ども一人で来ていいんだよ」と呼び掛ける気持ちを込め、「こども食堂」と名前をつけた。
料金は、大人五百円、大学生までは子どもとして「ワンコイン」。
子どもは百円だったが、払わずに帰る子の顔が暗いのが気になった。
それで「一円でもゲームのコインでも一枚払ったことが大事。次も堂々と来て」と今春変えた。
一枚払った後、表情が明るくなった。
もともと百円で塾講師らに勉強を見てもらう「ワンコイン寺子屋」などを開いており、子ども食堂以外の日に中高生が涼みに来ることも。
育児に悩む母親も相談に訪れる。「家以外の居場所が毎日そばにあるのが大事」と近藤さん。
小学生の時から弟と通う都立大田桜台高校二年の真鍋太隆(たいりゅう)さん(17)が言う。
「ここは誰でも受け入れてくれる。小さい子から高齢者までたくさんの人がいて話が聞ける。こんな場所ない」
貧困対策を考えたわけではないが、ハッとすることがある。「ここでしかお肉を食べられない」と言う子やお代わりを何度もする子。後から「家にお金が無くて大変だった」と明かされたこともある。近藤さんは言う。
「貧困対策とみられると、誰でも来づらくなる。子どもも大人も皆が来られる場所になった時、自然と支援が必要な子も来てくれる。いろいろな子どもがいて、いろいろな大人がいる。それぞれの存在が受け入れられる居場所になれば」
◇ネーミング分かりやすく
子ども食堂の取り組みはここ数年で全国に広がった。
約二百五十店が参加する「こども食堂ネットワーク」事務局の釜池雄高(ゆたか)さん(40)は「分かりやすく心をとらえる名前の力は大きい。私も何かできるかもと思わせ、多くの共感を生んだ。これまで子どもが一人で行ける場所もあまりなかった」と説明する。
ネットワークが昨冬実施した参加団体へのアンケートで課題も浮かんだ。
主に「食材や資金、場所、ボランティアなど人の継続的な確保」「支援が必要な子を含め子どもたちにどうつながるか」の二点。
釜池さんは「子どもがあまり来ないと悩む店もあるが、学校関係者など地域とつながって信頼を得て、協力してもらうことが大事だ」と語る。
〔◆平成29(2017)年9月3日 東京新聞 朝刊〕
宮崎県・鹿児島県 / 憲法ルネサンス =こども食堂 全国へ 思いやりの輪 200カ所超に
2010年春、近くの小学校へ入学した男の子は、一緒に暮らす母親が病気で食事を作れず、朝食と夕食はバナナ。
昼の給食が頼みの綱で、先生が保健室でおにぎりを食べさせることもある。
東京都大田区の近藤博子さん(57)は小学校の関係者からこんな話を聞き、バナナを1人で食べている子どもの姿を想像してみた。
すごく寂しいだろうなと思った。
悲しくて仕方がなかった。
何かできないか。
友人と相談し、子どもが1人でも利用できる食堂を開けないかと思い描く。
○店はシェアスペース
近藤さんは歯科衛生士として長年働いた経験から、生活の中で重要なのは「食」と考え、08年に東急池上線蓮沼駅のそばで、無農薬野菜や自然食品のお店「気まぐれ八百屋だんだん」を開いた。
だんだんは出身地、島根県出雲地方の方言で「ありがとう」の意味だ。
店内では「手話教室」や小中高校生が100円で塾講師らに勉強を見てもらう「ワンコイン寺子屋」などが開かれ、地域の人が集う「シェアスペース」でもあった。
広くはないが、以前は居酒屋だったので、台所やカウンター、6畳ほどの小上がりがあり、食堂は開ける。ただ、どんなメニューがいいのか、材料費はどうやって捻出するかなどを話し合っているうちに時間がたち、朝夕バナナだけの子は養護施設へ移ってしまった。
「何もできなかったと悔やんだ。1人で食事をする『孤食』の子は他にもいるだろう。
もうやるしかないと思った」 12年8月29日、近藤さんは「子ども食堂(その後、こども食堂)」と名付け、だんだんで野菜カレーや煮物などを300円で提供。ワンコイン寺子屋に通う子どもたちや親子連れが訪れた。
○食材の寄付も相次ぐ
こども食堂は当初、第2、第4水曜だったが、毎週木曜に。
食材の寄付も相次ぐ。現在は子ども100円、大人500円で、持ち帰りも可能。毎回20~40人が訪れる。
昨年12月15日は近藤さんとボランティア6人がエビ春巻きとブロッコリーのポン酢あん、ポトフなどを作った。
3歳の男児と一緒に月1、2回来るという母親は、こども食堂で印象的なこととして「中学生が子どもと遊んでくれたこと」を挙げる。
「旦那が遅くて」とこぼす女性もいた。
70代の男性は「昔は丈夫に育ってほしいから、女の子に『トラ』なんて名前を付けた」と隣の親子連れに教えていた。
翌週の22日。
クリスマスが近いので、メニューはフライドチキンなどで、ケーキも付いた。
「うちの子は大勢で食べるのが好きみたいで、雨でもここへ来たがる」と4歳の男児を連れた母親。
見学に来た長野県茅野市の農業鈴木健司さん(81)は「1人の食事は味気ないし、いい取り組みだ」と感心していた。
近藤さんは「子ども1人でも、親子連れでも、子ども同士でも、1人で食事するよりは何人かでという大人でもいい。近所の家でわいわいという感じの異年齢交流ができれば」と願っている。
こども食堂は次第に知られるようになり、いまでは全国各地で開設されるまでになっている。
交流・連絡団体の「こども食堂ネットワーク」に参加している食堂は200カ所を超えるという。
〔◆平成29(2017)年2月20日 西日本新聞 朝刊(共同通信)〕