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Center:(6)CHIEKOさんの参画

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未完成の『ひきコミ』も持ち込まれ、それ関った女性3人が並んで写真に納まった。<br>
 
未完成の『ひきコミ』も持ち込まれ、それ関った女性3人が並んで写真に納まった。<br>
 
8月に入って、いくつかの地方紙に載っている。<br>
 
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[[Category:『引きこもりと暮らす』|1-2-6]]
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2011年7月16日 (土) 21:09時点における版

(6)CHIEKOさんの参画(文通サークル)

1999年の暮れに、この企画への力をCHIEKOさんにお願いしました。
CHIEKOさんは、この企画の文通システムを一緒に考えてくれましたし、自ら『じゃマール』誌にも投稿した。
彼女は、引きこもりの体験者ではなく福祉関係の仕事に就いている人です。
CHIEKOさんの投稿した文章です。
「心の交流をしませんか 対人不安で悩んでいる方、『心の手紙交流会』会員になり、相談したり友人作りをしませんか。390円切手で案内書送付」
2000年3月22日発売号に載ったものです。
これにたいして約30名ぐらいの人から返事がきました。
彼女の感想では「精神的にかなり重い人」がいるという印象でした。
CHIEKOさんは、これらの人に返事を書く一方で、4月29日の案内もしていたのです。
こうして一方では文通のしくみをつくり、一方では文通のよびかけをしていった。
手紙もぼつぼつ集まるようになり、先のスタッフの人とこれらを1冊の冊子にまとめる作業に入ろうとしていた。
そのころ、たぶん5月の連休のころだったと思う、ある新聞記者がきました。
この文通サークルのことを始めから取材に来たのか、人生模索の会の取材できたのか、もう忘れてしまいました。
私は手紙を見ながら、この文通サークルについて話しました。
しばらくして(1か月後)、それが掲載されました。
この新聞記事への問い合わせは、百人ぐらいにはなったと思う。
その問い合わせのあった人たちによびかけて、文通サークルのスタッフ会議というのを始めました。
先の情報センターのスタッフ会議に参加した人のうちの数人もまじえ結局12人。
6月17日にスタッフ会議ができました。
文通サークルの主旨、すすめ方から話しました。
そして集まっていた手紙を読み、交流会的なこともします。
手紙を読んで「この人には私が手紙の返事をします」という人もいます。
同じメンバーを中心に、半月後に第2回のスタッフ会議をしました。
7月2日です。
このときは、冊子名を『ひきコミ』とすることが決まった。
ワープロやパソコンを持つ人には、手紙の入力を分担してもらいました。
表紙を担当したのは龍鬼さん。
いま『ひきコミ』の題字の原型(手描き)をつくった人です。
こうして7月末には、『ひきコミ』準備号ができた。
実は7月16日に講演会「引きこもりからの再出発」というのを予定していた。
これは人生模索の会の4月29日の延長でした。
同時に訪問サポートトカネットの新登録学生への説明をかねた内容もありました。
その講演会自体はまずまずの成功でした。
いちばんの内容は、『ひきコミ』原稿にかかわったスタッフが協力したことでしょう。
この作業と取り組みを通して、これらの引きこもり経験者たちはとても親しくなったと思います。
そこにある通信社の記者が来ていて私は取材を受けた。
未完成の『ひきコミ』も持ち込まれ、それ関った女性3人が並んで写真に納まった。
8月に入って、いくつかの地方紙に載っている。

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