豊島子どもWAKUWAKUネットワーク
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2017年3月19日 (日) 14:36時点における版
豊島子どもWAKUWAKUネットワーク
所在地 | 東京都豊島区 |
TEL | 090-3519-3745 |
FAX |
子ども食堂 もっと広めたい 草分け 都内のNPO開設のノウハウ 本に
子どもに無料か低料金で食事を提供する子ども食堂を開設するためのノウハウなどをまとめた本「子ども食堂をつくろう! 人がつながる地域の居場所づくり」(明石書店)が、出版された。
著したのは、子ども食堂の草分け「要町あさやけ子ども食堂」(東京都豊島区)を運営するNPO法人。
事務局長の天野敬子さん(57)は「子ども食堂の可能性を広げるヒントになれば」と話す。
本を出したNPO法人は、二〇一三年の「あさやけ」を皮切りに、区内で四つの子ども食堂を運営する豊島子どもWAKUWAKUネットワーク。
子ども食堂の開設方法を紹介する講座を開くとすぐ満席になり、全国から問い合わせや見学の依頼が舞い込むため、本にまとめた。
Q&A形式で開設のノウハウを紹介したほか、子ども食堂に助成金を出す団体のリスト、開設時に保健所への届け出が必要かなど手続きに関しても載せた。
WAKUWAKUの理事らによる座談会も掲載し、自治体の事業委託を受けることの是非や、利用者が増えすぎて本当に食事が必要な子が入れないジレンマなどを語り合っている。
子どもが自由に遊べるプレーパーク(冒険遊び場)や、学童保育の預かり時間後に小学生らが過ごす「夜の児童館」など、WAKUWAKUが取り組む他の事業にも触れ、さまざまなアプローチで子どもの貧困問題を解決しようとする強い思いが伝わる。天野さんは「私たちはおせっかいだから、どこまででも踏み込んでやりたくなってしまう」と笑う。
全国に約三百以上あるとみられる子ども食堂は「人がつながる地域の居場所であり、子ども支援の入り口になる」と指摘する。
「子ども食堂に決まった形はない。関わる人が、その地域のニーズをくみ取りながら運営してほしい」と促した。
本は四六判、百九十六ページ。千四百円(税別)。
普及後押し 全国ツアーも
NPO法人豊島子どもWAKUWAKUネットワークなどでつくる実行委員会は先月下旬、子ども食堂を全国に広げるために、各地で講演会やシンポジウムを開く「広がれ、こども食堂の輪!」と題した全国ツアーをスタートさせた。
今後一年間で四十七都道府県での開催を目指し、運営ノウハウの共有や、関係者間のネットワークづくりを後押しする。
東京都新宿区で九月二十八日にあったキックオフイベントでは、WAKUWAKU理事長の栗林知絵子さん(49)が「子どもへの支援を考えるきっかけにしたい」と趣旨を説明した。
超党派の国会議員でつくる「子どもの貧困対策推進議員連盟」のメンバーや、政府の担当者も出席した。
子ども食堂の運営者や支援者らによるパネルディスカッションもあり、各地の事例が報告された。
NPO法人ちばこどもおうえんだん(千葉県)理事長の湯浅美和子さんは、市営住宅の集会所やカフェでの実践例を挙げ、子ども食堂の運営者から「支援が必要な子どもをどう見つけたらいいのか」という相談があると紹介した。
子ども食堂の名付け親で「気まぐれ八百屋 だんだん」(大田区)の近藤博子さんは「(子ども食堂は)子ども自身の自己肯定感を高める場にもなっている」と強調した。
全国ツアーは栃木県(十一月十六日)、千葉県(来年一月十五日)、茨城県(同二月二十二日)など十八カ所で開催する予定。
詳細は実行委(全国老人給食協力会内)=電03(5426)2547=へ。
〔◆平成28(2016)年10月22日 東京新聞 朝刊総合首都版〕
こども食堂の輪 全国へ
「広がれ、こども食堂の輪!全国ツアー」のキックオフイベントが28日、東京都内で開催されました。
主催は、同実行委員会です。約150人が参加しました。
全国ツアーは、こども食堂の活動を自治会や婦人会、行政関係者に理解してもらい、「一部の人たちの取り組み」から「地域住民の誰もが理解し関わっていける取り組み」へと広げることが目的です。
実行委員代表の栗林知絵子さん(特定非営利活動法人豊島子どもWAKUWAKUネットワーク理事長)は、こども食堂はただ食事を提供するだけの場所ではなく、その地域の子どもたちが安心して生活し、豊かに成長できる「居場所」でもあると強調しました。
全国各地の取り組みも交流しました。
「信州こども食堂ネットワーク」の青木正照さんは、こども食堂が子どもだけではなく、多世代の人々も交流できる「居場所」になっていると話しました。
「特定非営利活動法人ちばこどもおうえんだん」の湯浅美和子さんは、「条件は一切付けず、誰でも気軽に来ることができる場所にしたい。そうすれば苦しんでいる子どもたちにも届くかもしれない」と述べました。
〔◆しんぶん赤旗 2016年9月30日〕
子どもに明日を=「食堂」開設の参考書 東京のNPO法人出版
子ども食堂の立ち上げの準備や運営のこつをまとめた本「子ども食堂をつくろう 人がつながる地域の居場所づくり」が出版された。
東京で子ども食堂を運営するNPO法人「豊島子どもWAKUWAKUネットワーク」が製作。体験談を交えながら、運営の課題や解決例を記した参考書のような一冊となっている。
全5章で、第1章は同ネットワークが子ども食堂を開設した経緯を説明。
コンビニの食事を1人で食べていた母子家庭の中学生を地域ぐるみでサポートしたことをきっかけに、孤食の子どもや赤ちゃんを抱えたシングルマザーたちに月2回食事を提供していると紹介している。
第2章は「子ども食堂のつくり方講座」と銘打ち、Q&A形式でアドバイス。
運営者と専門家による座談会や、東日本にある33の子ども食堂の場所や連絡先も掲載している。
栗林知絵子理事長(49)は「住民一人一人ができることを持ち寄って、子ども食堂が成り立っていると分かるはず。本を参考にして、各地に取り組みが広がればうれしい」と話す。
問い合わせは同ネットワーク=090(3519)3745。
〔◆平成28(2016)年8月30日 西日本新聞 夕刊〕
僕が立派になることが恩返し 「いま子どもたちは」登場、福祉事務所に借金の男性
進学や生活のために稼いだアルバイト収入約95万円を福祉事務所に納めることになった――。
昨年11月、「いま子どもたちは」にそんな当時19歳の男性が登場した。
掲載後、「支援したい」との問い合わせが相次いだ。今年20歳になった男性は新たな仕事に就き、いま沖縄で暮らす。
寄せられた支援で全額を支払うことができたという。
問い合わせの電話や手紙、メールは十数人から朝日新聞社に届いた。
男性を支援してきたNPO法人「豊島子どもWAKUWAKUネットワーク」(東京都豊島区)の栗林知絵子理事長(49)が、支援を申し出た人と男性をつないだ。
男性は5人から計78万円を受け取った。自分で稼いだ金額と合わせ、1月までに全額を福祉事務所に支払うことができたという。
男性が最初に「いま子どもたちは」に登場したのは高校2年の2013年8月。
母と2人暮らしで生活保護を受けていたが、アルバイトが福祉事務所に発覚し、稼いだ全額を納めるよう迫られていた。
昨年11月の記事は、男性のその後を追った内容だった。千葉市の女性(62)は男性に直接会って50万円を渡した。
「3年前に記事を読んでから、ずっと気になっていた。大学進学を目指して働いていたのに、どうしてそのお金を国に返さなければいけないのか。制度の不備だと思った」と話す。
夫と相談のうえ、支援を決めたという。
神奈川県のシングルマザーの女性(41)は「職場は普段ボーナスがないのですが、特別に4万円の支給があったので」と2万円を支援した。
「私は周囲に支えてくれる人がいた。男性は偶然恵まれない家庭に生まれ、働いたお金も借金になってしまった。やり切れない気持ちになった」。
高校生の一人息子がおり、人ごとと思えなかった。
「これからも前向きに、精いっぱい生きて欲しい」
横浜市の50代のパート女性は「大学生と高校生の息子3人の児童手当が通帳に20万円残っているので支援したい」と手紙を寄せた。
男性からは「借金を無事返済できました」とお礼の手紙が届いた。
女性は「苦労や困難があっても、どうかくじけず生きていって」とエールを送る。
大阪府の女性(57)は小学生の2人の息子を抱えて離婚。仕事を掛け持ちしながら育てた。
「すぐに使う予定のない100万円を無利子、返済期限なしで使っていただければ」とメールを寄せた。
男性にお金を貸すには至らなかったが、「救われたと聞きほっとした。今後は周囲の助けも借りながら自分を大切に生きて欲しい」と話した。
「豊島子どもWAKUWAKUネットワーク」の栗林理事長は
「家庭環境に恵まれなかった男性にとって、自分のことを真剣に考えてくれる大人がいたことは、今後、困難を乗り越えていく支えになるはず」と話す。
高校卒業後、地元の住宅設備機器の販売会社に就職した男性は、「借金から解放され、すごく前向きな気持ちになれた」と言う。
新たな仕事に挑戦したいと4月に営業の仕事に転職。現在は沖縄で暮らす。
進学を諦めたわけではないが、当面は仕事を頑張り、将来に向けてお金をためるつもりだ。
「僕が立派な大人になることが、支援して下さった方々への恩返し。だから誰も知らない土地で頑張れている。本当に感謝しています」
もっと厳しい境遇の中で頑張っている子もいる。
いつか、そんな子どもたちの力になりたい。男性はそう考えている。
◇男性が登場した「いま子どもたちは」
○「欲しいって言わない」(2013年8月28、29日付)
当時高校2年生。母と東京都板橋区のアパートで、生活保護を受けながら暮らしていた。
母から食べ物もお金ももらえず、「働いて」と言われ、アルバイトを続けた。収入の一部は大学進学にあてるつもりで、税理士になるのが夢だった。
ところが、収入を申告していなかったため、稼いだ全額の約70万円を福祉事務所に支払うことに。
「遊びに使ったわけじゃない。何で俺が『借金』を背負わなきゃいけないんだろう」。進学は諦めた。
○「あれから」(2015年11月29日付)
返済総額は最終的に約95万円になった。高校卒業後に就職し、仕事に必要な運転免許の講習代約17万円を会社に借りた。
月の手取り約16万円から福祉事務所や会社への返済、寮費などを払うとほとんど残らない。
「いつか会計士になって、力を試したい」
〔◆平成28(2016)年7月22日 朝日新聞 東京朝刊〕