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心の帰る場所

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2016年12月13日 (火) 10:30時点における版

心の帰る場所

39歳・男性・O(オー)さん

私が引きこもり(一人で外出はするものの、学業就労など社会参加できない社会的引きこもり)になったきっかけは「大学受験の失敗」でした。
理不尽な校則で生徒を縛り付ける、綺麗ごとばかりヌカす教師達。
偏差値の低さもあってか、何が一体楽しいのかいつもヘラヘラして浮わついている生徒連中。
こんな高校と関わっている自分が嫌で嫌で仕方なかった私の卒業時の進路は「浪人」でした。
卒業前「俺、○○大学(5流大学)受かったぜ!」とか、
「私、推薦で○○短大受かった!!」などと、
生徒の合格の声を聞くたびに、「短大、5流大学ごときで喜んでるバカ連中」と思いきり見下していた自分を思い出します。
「自分はお前らとは違う」といつも思っていましたから。
「この高校、生徒連中を絶対見返す! 鼻を明かす!」
この一心で、有名大学入学を決意し、新年度はスタートしました。
この1年間はバイト、予備校、勉強と、ひたすら意地を張って、頑なに浪人生活を送っていたと思います。
予備校校舎で楽しげに戯れている男女にムカつきながらも。
それなのにです。まさかまさか、受験に全滅不合格。
要領の悪さか努力不足か日東駒専といわれる中堅レベルの大学すら受かりませんでした。
この時は本当に頭が真っ白になりました。
と同時に「自分は一浪しても大学に受からない、あの偏差値45の生徒連中より劣るダメ人間」という思いで愕然としました。
ここからです。私が強がりから脆さへ、心の闇へ、谷底へ、一気に突き落とされたのは。
強烈な「劣等感」「自己否定感」を生まれて初めて味わった19歳の私は、一応二浪を選択するのですが、すでに気力がなく5月には予備校に通わなくなっていました。
この年の成人式も逃げるように欠席です。
それから気付けば、二浪、形だけの三浪、22歳、23、24、25、26、27歳‥と延々8年。現実逃避、引きこもりを続けていました。
8年間通して仕事もろくにせず、酷い生活ぶりではあったのですが、22、23歳の時は特に酷かったと思います。
甘い母親に付け込み、運転免許代30万をもらって、そのお金をパチンコなどのギャンブルで散財したり、家に帰らず明け方までネットカフェでゲームをし、入り浸っていたり‥‥。
また、父親にはこうなった教育責任を擦り付け、「産んだのは親の責任だろ! だから一生俺を養え!!」などと、とんでもない悪態をついたり。壁を蹴って壊したり。
とにかく荒れていたし、逆に落ち込みも酷かったし、感情の波が凄かったです。この時期は。
この8年間、さんざん親に迷惑を掛け、社会の役にも立てず、どうしようもない生活ではありました。
でも、望んでそうしてた訳ではありません。
本当は、親に迷惑も掛けたくない。本当は、人生を充実させて人の役にも立ちたい‥。
でも、
「自分は人より劣っている」(劣等感)
「自分は駄目な人間」(自己否定感)
この思いが全身に、鉛のようにのし掛かって動けないんです。
実は先ほど書いた免許代30万使い込む話も、免許を取りに教習所の門の前までは行ったんです。
自宅から通える範囲の教習所三か所、入り口まで行きました。

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