聴覚だけでなく皮膚からも音情報を集める感受性
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2015年11月12日 (木) 23:01時点における版
聴覚だけでなく皮膚からも音情報を集める感受性
〔2015年2月27日〕
引きこもりになる人は相当に感覚が鋭いと感じることは多いです。それにも個人差があり、どの部分がどうというのは一律ではありません。
嗅覚がいい人、味覚がいいと思える人、そして聴覚がいい人というように特徴というかズレがあります。
室内で話しているのですが、外の様子がよくわかるような人がいます。ほんとにわずかな音でも聞こえているのでしょう。
ある人と話しているときのことです。「何かいる」というのです。
確かに耳では音は聞こえてはいないのに、何かの気配を感じました。振動を感じるといえばいいのでしょうか。
音にすれば非常に低い音になるのでしょうが、通常の人の耳では拾えないようなにぶくて太い響きです。
これは耳ではなく、皮膚感覚または身体感覚でとらえていたように思います。
それ以降は、気をつけていると時たまそういうことがあります。
聴覚とは空気の振動を感覚器官がとらえることです。
しかし、人の耳がとらえるのはある範囲の音の波長です。その範囲は人により多少の違いがあり、聴覚の優れている人はこの範囲が広いのでしょうか。
しかし、それだけではないとこの時から考え始めました。
耳以外でとらえる空気の振動を皮膚感覚でとらえるとなると、これは皮膚にも聴覚に匹敵する役目があることになります。
ひきこもりの感覚の鋭いというのは皮膚感覚が鋭くて、周囲の音を皮膚からも集めているように思います。
このことを、私は傳田光洋『皮膚感覚と人間のこころ』(新潮選書、2013)を読む前に書いておくべきでした。
この本ではそこを解き明かしています。自分も気づいていたというのは出し遅れ感はありますが…。
体毛の消失も同じ本で書かれています。
私が「体毛の消失と感情表出の発達」を書いたのは2005年2月です(「五十田猛・論文とエッセイ」に掲載していますから見てください)。