Center:2001年4月ー兄のいじめを受けた弟の対人不安
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相談者=母。相談者=20歳、男、家族構成=父、母、兄、本人。<br> | 相談者=母。相談者=20歳、男、家族構成=父、母、兄、本人。<br> | ||
− | + | 拝啓、暑さ寒さも彼岸までと申しますがまだまだ寒いですね。<br> | |
− | + | 突然お手紙をさしあげ失礼します。 <br> | |
+ | 子供のことですが、二男は小さい時に長男からいじめられ、例えば包丁をもってきて、明日まだ命があると思うなとか、テレビゲームのカセットを買いにいかされたり、ゲームをさせてもらえず見ていろとか、誰かこないか見張っていろとか。<br> | ||
+ | 私が入院した時(1996年4月~5月直腸脱で)おまえの小遣いでおれの食べ物を買ってこいとか、食器を洗えとか、いろいろあったのです。 <br> | ||
そして、最初の頃はおれ(長男)は学校へ行かなかったので、おまえ (二男)だけは学校を休むなとかいっていたのが、二男が学校でいじめられていると きいて、長男も二男の気持ちがわかるから学校へ行くなといい、母親である私も二人の事がわからず二男は長男をまねをしていて学校へ行かないと思っていました。<br> | そして、最初の頃はおれ(長男)は学校へ行かなかったので、おまえ (二男)だけは学校を休むなとかいっていたのが、二男が学校でいじめられていると きいて、長男も二男の気持ちがわかるから学校へ行くなといい、母親である私も二人の事がわからず二男は長男をまねをしていて学校へ行かないと思っていました。<br> | ||
長男が不登校になったのは、中学二年生の二学期からで、家庭内暴力もあり児童相談所から月1回の(学校の先生と母親と長男とが)カウンセリングがあったのですが、あまり効果もなく二年生の時でカウンセリングを止められました。<br> | 長男が不登校になったのは、中学二年生の二学期からで、家庭内暴力もあり児童相談所から月1回の(学校の先生と母親と長男とが)カウンセリングがあったのですが、あまり効果もなく二年生の時でカウンセリングを止められました。<br> | ||
− | + | 母の私ともとっくみ合いのケンカをしましたが、長男は本気でないことがわかっていたので怖いとは思いませんでした。<br> | |
− | + | しかし二男は小学5年生の時だったので怖かったとあとで言っていました。<br> | |
− | + | ||
− | そんな状態でしたので子供の気持ちを理解するゆとりがなかったのです。 二男は今でも学校へ行きたかった、長男みたいにカウンセリングをうけたかったと言っています。<br> | + | 二男も不登校になったのは中学二年の二学期からでした。<br> |
− | 母親と長男によその人と話ができない状態にされたといっています。 | + | その時は父親も亡くなっていました(夫は平成3年に亡くなりました)。<br> |
− | + | 夫は亡くなるまえから 私もパートで働いていました。<br> | |
+ | また、夫は二男でしたが両親と同居で私が養父の面倒を見ていました(養父は脳溢血でした)。養母は養父の面倒を見るのがいやで畑仕事をしていました。<br> | ||
+ | 養父が亡くなり私はパートで働くようになりました。<br> | ||
+ | また、養母も寝たきりになり私が働きながら世話をしていました。<br> | ||
+ | 平成元年に2年半ねたきりで亡くなりました。<br> | ||
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+ | そんな状態でしたので子供の気持ちを理解するゆとりがなかったのです。 <br> | ||
+ | 二男は今でも学校へ行きたかった、長男みたいにカウンセリングをうけたかったと言っています。<br> | ||
+ | 母親と長男によその人と話ができない状態にされたといっています。 <br> | ||
+ | 二男は平成8年に中学校を卒業しました。<br> | ||
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+ | 平成9年春頃(長男がこわいので、あとできいた話しです)学校へ行きたいと言って不登校児を面倒みている人がいる人を知っている人がいたのでその人をたよりに上京しました。<br> | ||
+ | しかしそこはトイレは共同、風呂なしの部屋しかありませんでした。<br> | ||
+ | D学園に入学しましたが友達もできず、通学時間が地下鉄で40分もかかり、朝から夕方までの学生生活には耐えられませんでした。<br> | ||
約1か月位で帰りたい帰りたいと言いだしました。私も同情しました。<br> | 約1か月位で帰りたい帰りたいと言いだしました。私も同情しました。<br> | ||
− | + | そこで通信教育をすることになり親元にもどってきました。<br> | |
− | + | 長男とは一緒に生活したくないというので部屋を借りてあげました。<br> | |
− | + | そこでの生活は最初は淋しくて淋しくて泣いていたとのことです。<br | |
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− | + | 私も電話がかかってくるとすぐに行ってあげていました。<br> | |
+ | 通信教育のカセットテープと本があってもあまり勉強していませんでした。<br> | ||
+ | そうこうしているうちに私が出血性胃潰瘍になり入院することになりました。<br> | ||
+ | 二男には連絡する時間がありませんでした。<br> | ||
+ | 私は即入院でした。平成10年でした。<br> | ||
+ | 二男には大検の手続きがあったのですが一人ではできず母との連絡もとれず困っていたようでした。<br> | ||
+ | ある時長男に会い、私が入院していることを知り毎日見舞いにきてくれるようになりました。<br> | ||
− | + | 私は拡張型心筋症になりました。 <br> | |
− | 毎日が本屋で立ち読み(マンガ)するようになりました。 | + | 母の面倒を見なくてはならなくなり長男と一時和解しました。<br> |
− | 仕事も求職情報誌を買ってTELしてみるかいといっても嫌だといいます。 | + | しかし長男は二男をいじめていました。長男はその時働いていました。<br> |
− | + | 二男は長男と顔を合わせるのがいやでいやでいました。<br> | |
+ | 長男は二男を精神科へつれて行ってこいといいだしました。<br> | ||
+ | 二男は手をひんぱんに洗うようになっていました<br> | ||
+ | 二男は毎日の生活の買い物はしてくれていました。<br> | ||
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+ | 平成11年に二男はW市にひっこしました。<br> | ||
+ | その当時はテレビタレントにあこがれていたようです。<br> | ||
+ | 姓名判断に相談に行きました。<br> | ||
+ | 自分で私と相談して改名しました。<br> | ||
+ | 親元では自転車にのってあっちこっち行っていたのがW市は道路がせまいので自転車にのれなくなりました。<br> | ||
+ | 毎日が本屋で立ち読み(マンガ)するようになりました。 <br> | ||
+ | |||
+ | 今では20才になったので、働かないといけないと自覚しましたが、人とのコミュニケーションがとれないので、私が二男の所へ行った時に、私の知人に仕事をさがしてもらうように頼みましたが、中卒、原付バイクの免許しかないので、あまりいい返事はありませんでした。<br> | ||
+ | 車の免許を取るように言っても車は恐 いといっています。<br> | ||
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+ | 仕事も求職情報誌を買ってTELしてみるかいといっても嫌だといいます。<br> | ||
+ | 私も月1回病院へ通院しているので、1か月ずっと二男の所へは行っていられないのです。<br> | ||
+ | 二男は洋服を買うのも私(母)一緒でないとできないのです。<br> | ||
+ | 私とは話ができるのですが(怒ったり、いろいろ感情をぶっつけます)他の人とは、あまり(ほとんど)話ができないのです。<br> | ||
+ | 仕事をしたいといってもあれは嫌だ、これは嫌だといっていてはダメなのはわかっていますが、どうしようもないようです。<br> | ||
+ | よきアドバイスをお願いします。<br> | ||
====【回答】==== | ====【回答】==== | ||
− | ニ男のYさんの相談ですね。 | + | ニ男のYさんの相談ですね。 <br> |
− | + | 年齢とからだは大人ですが、精神的にはまだ子どもです。<br> | |
− | + | 子どもであって、ときどき大人の面をみせる、そう思って方策を考えることが一つ。<br> | |
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− | 友達になりやすい人たちの所に入っていくことです。 | + | 子どもが仕事につくのは適当ではありません。<br> |
+ | アルバイトはものによってはいいと思いますが、社会生活、社会性の前提となる部分をまずつくらなくてはなりません。<br> | ||
+ | それは人間関係をどう結ぶのかがわかっていないと思うからです。 <br> | ||
+ | 人間関係とは何かを説明しても、それは身につきません。<br> | ||
+ | 実際に人と関わっていくしかないのです。<br> | ||
+ | このところで、行きづまっています。<br> | ||
+ | この点に目をつぶって、先に行こうとすると、何をつついても立ち止まり、また元にもどります。<br> | ||
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+ | この人間関係のところをどうすれば、切り開いていけるのでしょうか。<br> | ||
+ | 私は少し勇気がいると思います。少しです。<br> | ||
+ | 友達になりやすい人たちの所に入っていくことです。<br> | ||
+ | 友達になりやすい人たちのいる所とはどこでしょうか。<br> | ||
+ | 私のところに来て下さい。同じような人間関係で苦労している人たちが集まっています。<br> | ||
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この人たちは、人に裏切られた、いじめられた、人間不信がある、そんな自分を弁解しなくてもいい、まず人の話をきいているだけでいい、そのいう人たちが おり、そういう場です。<br> | この人たちは、人に裏切られた、いじめられた、人間不信がある、そんな自分を弁解しなくてもいい、まず人の話をきいているだけでいい、そのいう人たちが おり、そういう場です。<br> | ||
− | + | 友達になりやすい人のなかで、人間関係とはどんなことなのかを実際に経験していくことができます。<br> | |
− | + | どんな立派な人間関係の本を読んでも人間関係は少しもうまくできません。<br> | |
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+ | しかし、友達になりやすい、互いに人間関係で苦労した人たちの中では、安心して居ることができます。<br> | ||
+ | 安心して居れば、やがて人と話ができるようになります。<br> | ||
+ | そのうち気のあう人がいれば友達になれます。 <br> | ||
+ | こういう友達づくりが、Yさんにとっていま必要なことです。<br> | ||
+ | 仕事についてもこういう人間関係のできる職場というのはまずありません。<br> | ||
+ | 仕事場は仕事をするところです。<br> | ||
+ | 仕事をする中で人間関係は生まれますが、まだYさんには壁が高いので、登ることができません。<br> | ||
− | + | 友達ができやすい所に行き、時間をかけて友達をつくる。<br> | |
− | + | 友達といろんなことが話し合えるようになるとその人を通して、人間関係が広がります。<br> | |
+ | 人間関係が広がることを、社会性が身につく、とも言います――社会性は単に友達関係ばかりではありませんが、重要な要素です。<br> | ||
+ | 仕事、アルバイトはその後でしょう。<br> | ||
+ | 友達ができれば、アルバイトの体験などを聞かせてくれる人もいます。<br> | ||
+ | その人の体験をきくのが、本当にアルバイトをしていくときの役に立つでしょう。<br> | ||
+ | 立派な仕事像を中心にせずに、できることから始めるのがいいわけです。 <br> | ||
Yさんに、私のところに来るように言ってください。<br> | Yさんに、私のところに来るように言ってください。<br> | ||
[[Category:不登校情報センター・五十田猛・論文とエッセイ|2001年04月]] | [[Category:不登校情報センター・五十田猛・論文とエッセイ|2001年04月]] |
2011年5月13日 (金) 00:41時点における版
兄のいじめを受けた弟の対人不安
〔2001年4月17日〕
相談者=母。相談者=20歳、男、家族構成=父、母、兄、本人。
拝啓、暑さ寒さも彼岸までと申しますがまだまだ寒いですね。
突然お手紙をさしあげ失礼します。
子供のことですが、二男は小さい時に長男からいじめられ、例えば包丁をもってきて、明日まだ命があると思うなとか、テレビゲームのカセットを買いにいかされたり、ゲームをさせてもらえず見ていろとか、誰かこないか見張っていろとか。
私が入院した時(1996年4月~5月直腸脱で)おまえの小遣いでおれの食べ物を買ってこいとか、食器を洗えとか、いろいろあったのです。
そして、最初の頃はおれ(長男)は学校へ行かなかったので、おまえ (二男)だけは学校を休むなとかいっていたのが、二男が学校でいじめられていると きいて、長男も二男の気持ちがわかるから学校へ行くなといい、母親である私も二人の事がわからず二男は長男をまねをしていて学校へ行かないと思っていました。
長男が不登校になったのは、中学二年生の二学期からで、家庭内暴力もあり児童相談所から月1回の(学校の先生と母親と長男とが)カウンセリングがあったのですが、あまり効果もなく二年生の時でカウンセリングを止められました。
母の私ともとっくみ合いのケンカをしましたが、長男は本気でないことがわかっていたので怖いとは思いませんでした。
しかし二男は小学5年生の時だったので怖かったとあとで言っていました。
二男も不登校になったのは中学二年の二学期からでした。
その時は父親も亡くなっていました(夫は平成3年に亡くなりました)。
夫は亡くなるまえから 私もパートで働いていました。
また、夫は二男でしたが両親と同居で私が養父の面倒を見ていました(養父は脳溢血でした)。養母は養父の面倒を見るのがいやで畑仕事をしていました。
養父が亡くなり私はパートで働くようになりました。
また、養母も寝たきりになり私が働きながら世話をしていました。
平成元年に2年半ねたきりで亡くなりました。
そんな状態でしたので子供の気持ちを理解するゆとりがなかったのです。
二男は今でも学校へ行きたかった、長男みたいにカウンセリングをうけたかったと言っています。
母親と長男によその人と話ができない状態にされたといっています。
二男は平成8年に中学校を卒業しました。
平成9年春頃(長男がこわいので、あとできいた話しです)学校へ行きたいと言って不登校児を面倒みている人がいる人を知っている人がいたのでその人をたよりに上京しました。
しかしそこはトイレは共同、風呂なしの部屋しかありませんでした。
D学園に入学しましたが友達もできず、通学時間が地下鉄で40分もかかり、朝から夕方までの学生生活には耐えられませんでした。
約1か月位で帰りたい帰りたいと言いだしました。私も同情しました。
そこで通信教育をすることになり親元にもどってきました。
長男とは一緒に生活したくないというので部屋を借りてあげました。
そこでの生活は最初は淋しくて淋しくて泣いていたとのことです。
私も電話がかかってくるとすぐに行ってあげていました。
通信教育のカセットテープと本があってもあまり勉強していませんでした。
そうこうしているうちに私が出血性胃潰瘍になり入院することになりました。
二男には連絡する時間がありませんでした。
私は即入院でした。平成10年でした。
二男には大検の手続きがあったのですが一人ではできず母との連絡もとれず困っていたようでした。
ある時長男に会い、私が入院していることを知り毎日見舞いにきてくれるようになりました。
私は拡張型心筋症になりました。
母の面倒を見なくてはならなくなり長男と一時和解しました。
しかし長男は二男をいじめていました。長男はその時働いていました。
二男は長男と顔を合わせるのがいやでいやでいました。
長男は二男を精神科へつれて行ってこいといいだしました。
二男は手をひんぱんに洗うようになっていました
二男は毎日の生活の買い物はしてくれていました。
平成11年に二男はW市にひっこしました。
その当時はテレビタレントにあこがれていたようです。
姓名判断に相談に行きました。
自分で私と相談して改名しました。
親元では自転車にのってあっちこっち行っていたのがW市は道路がせまいので自転車にのれなくなりました。
毎日が本屋で立ち読み(マンガ)するようになりました。
今では20才になったので、働かないといけないと自覚しましたが、人とのコミュニケーションがとれないので、私が二男の所へ行った時に、私の知人に仕事をさがしてもらうように頼みましたが、中卒、原付バイクの免許しかないので、あまりいい返事はありませんでした。
車の免許を取るように言っても車は恐 いといっています。
仕事も求職情報誌を買ってTELしてみるかいといっても嫌だといいます。
私も月1回病院へ通院しているので、1か月ずっと二男の所へは行っていられないのです。
二男は洋服を買うのも私(母)一緒でないとできないのです。
私とは話ができるのですが(怒ったり、いろいろ感情をぶっつけます)他の人とは、あまり(ほとんど)話ができないのです。
仕事をしたいといってもあれは嫌だ、これは嫌だといっていてはダメなのはわかっていますが、どうしようもないようです。
よきアドバイスをお願いします。
【回答】
ニ男のYさんの相談ですね。
年齢とからだは大人ですが、精神的にはまだ子どもです。
子どもであって、ときどき大人の面をみせる、そう思って方策を考えることが一つ。
子どもが仕事につくのは適当ではありません。
アルバイトはものによってはいいと思いますが、社会生活、社会性の前提となる部分をまずつくらなくてはなりません。
それは人間関係をどう結ぶのかがわかっていないと思うからです。
人間関係とは何かを説明しても、それは身につきません。
実際に人と関わっていくしかないのです。
このところで、行きづまっています。
この点に目をつぶって、先に行こうとすると、何をつついても立ち止まり、また元にもどります。
この人間関係のところをどうすれば、切り開いていけるのでしょうか。
私は少し勇気がいると思います。少しです。
友達になりやすい人たちの所に入っていくことです。
友達になりやすい人たちのいる所とはどこでしょうか。
私のところに来て下さい。同じような人間関係で苦労している人たちが集まっています。
この人たちは、人に裏切られた、いじめられた、人間不信がある、そんな自分を弁解しなくてもいい、まず人の話をきいているだけでいい、そのいう人たちが おり、そういう場です。
友達になりやすい人のなかで、人間関係とはどんなことなのかを実際に経験していくことができます。
どんな立派な人間関係の本を読んでも人間関係は少しもうまくできません。
しかし、友達になりやすい、互いに人間関係で苦労した人たちの中では、安心して居ることができます。
安心して居れば、やがて人と話ができるようになります。
そのうち気のあう人がいれば友達になれます。
こういう友達づくりが、Yさんにとっていま必要なことです。
仕事についてもこういう人間関係のできる職場というのはまずありません。
仕事場は仕事をするところです。
仕事をする中で人間関係は生まれますが、まだYさんには壁が高いので、登ることができません。
友達ができやすい所に行き、時間をかけて友達をつくる。
友達といろんなことが話し合えるようになるとその人を通して、人間関係が広がります。
人間関係が広がることを、社会性が身につく、とも言います――社会性は単に友達関係ばかりではありませんが、重要な要素です。
仕事、アルバイトはその後でしょう。
友達ができれば、アルバイトの体験などを聞かせてくれる人もいます。
その人の体験をきくのが、本当にアルバイトをしていくときの役に立つでしょう。
立派な仕事像を中心にせずに、できることから始めるのがいいわけです。
Yさんに、私のところに来るように言ってください。