不登校・引きこもりの解決とは社会にある問題全体の解決に重なる
(→不登校・引きこもりの解決とは社会にある問題全体の解決に重なる) |
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それはやむを得ませんが、結局ここまでを見通せないと途中の中間のことに終わるからです。<br> | それはやむを得ませんが、結局ここまでを見通せないと途中の中間のことに終わるからです。<br> | ||
中間的にも対応する意味があります。<br> | 中間的にも対応する意味があります。<br> | ||
+ | 少なくとも私はその積み重ねのなかから未来の展望を探り続けました。<br> | ||
しかし、次つぎと相談をしてくる人たちが表しているのは、社会の変動期において、この時代のこの世代の人たちがどうしようとするのかの手がかりのなさ、未来がとらえられない葛藤を打開する展望に関係します。<br> | しかし、次つぎと相談をしてくる人たちが表しているのは、社会の変動期において、この時代のこの世代の人たちがどうしようとするのかの手がかりのなさ、未来がとらえられない葛藤を打開する展望に関係します。<br> | ||
− | + | それは社会全体が持つものなのですが、その直積の影響(被害)を受け、もっとも敏感に感じ取るのはこの世代の人たちなのです。<br> | |
− | + | 成長期に出会う困難ほど人の生涯に大きく影響するものはないかもしれません。<br> | |
− | + | 不登校問題を社会的な解決という視点で見るなら、子どもが学校に登校するようになって問題がなくなる形ではないと思います。<br> | |
個別の不登校の子どもの問題を解決することはこのなかに含まれることですが、独自に対応することになります。<br> | 個別の不登校の子どもの問題を解決することはこのなかに含まれることですが、独自に対応することになります。<br> | ||
− | + | 社会的な解決は、子どもが学校に登校する・しないに関わらず、成長と発達に必要な学習能力や対人関係の力を身につける社会的な条件をつくることです。<br> | |
これまでは学校に行くことで子どもはその力を獲得してきました。<br> | これまでは学校に行くことで子どもはその力を獲得してきました。<br> | ||
不登校の子どもには登校とは違う形でそれらを達成でき方法ができる可能性も生まれます。<br> | 不登校の子どもには登校とは違う形でそれらを達成でき方法ができる可能性も生まれます。<br> | ||
− | + | そうすると人の成長にとって登校する意味が変わります。<br> | |
学校が相対化されることにより、不登校の社会的な問題が消失するのです。<br> | 学校が相対化されることにより、不登校の社会的な問題が消失するのです。<br> | ||
− | + | こう考えるとサポートの意味、とりわけ引きこもりのサポートの意味も違ってきます。<br> | |
“サポート”の根底はサポートの対象とサポートする側は同じ人間であることにたどり着きます。<br> | “サポート”の根底はサポートの対象とサポートする側は同じ人間であることにたどり着きます。<br> | ||
長いサポート活動のなかにはサポートの対象者を引き上げるという意識が優位であった時期もあります。<br> | 長いサポート活動のなかにはサポートの対象者を引き上げるという意識が優位であった時期もあります。<br> | ||
− | + | 相手の状態においてはそれが必要なことはいまもあります。<br> | |
しかし、基本的・一般的なことはサポートする側とサポートされる側には上下関係はありません。<br> | しかし、基本的・一般的なことはサポートする側とサポートされる側には上下関係はありません。<br> | ||
活動レベルが高くなれば多くの支援者がその方向に行くものと思います。<br> | 活動レベルが高くなれば多くの支援者がその方向に行くものと思います。<br> | ||
引きこもりというサポート対象になる人が経験していることは、要するに人間が、人類が経験していることです。<br> | 引きこもりというサポート対象になる人が経験していることは、要するに人間が、人類が経験していることです。<br> | ||
サポートする人間がもつ問題とかわらないのです。<br> | サポートする人間がもつ問題とかわらないのです。<br> | ||
+ | それはこの時代が大きく変わろうとするときに無意識的に対応するだけではなく意図的な目的をもって向かうことでも共通します。<br> | ||
*お返事の全体は、不登校情報センターのサイトの中に加筆修正のうえ掲載します。<br> | *お返事の全体は、不登校情報センターのサイトの中に加筆修正のうえ掲載します。<br> |
2014年1月27日 (月) 16:56時点における版
不登校・引きこもりの解決とは社会にある問題全体の解決に重なる
〔回答その10〕
質問されていることからはずいぶん離れた答えをしていると思われるかもしれません。
それはやむを得ませんが、結局ここまでを見通せないと途中の中間のことに終わるからです。
中間的にも対応する意味があります。
少なくとも私はその積み重ねのなかから未来の展望を探り続けました。
しかし、次つぎと相談をしてくる人たちが表しているのは、社会の変動期において、この時代のこの世代の人たちがどうしようとするのかの手がかりのなさ、未来がとらえられない葛藤を打開する展望に関係します。
それは社会全体が持つものなのですが、その直積の影響(被害)を受け、もっとも敏感に感じ取るのはこの世代の人たちなのです。
成長期に出会う困難ほど人の生涯に大きく影響するものはないかもしれません。
不登校問題を社会的な解決という視点で見るなら、子どもが学校に登校するようになって問題がなくなる形ではないと思います。
個別の不登校の子どもの問題を解決することはこのなかに含まれることですが、独自に対応することになります。
社会的な解決は、子どもが学校に登校する・しないに関わらず、成長と発達に必要な学習能力や対人関係の力を身につける社会的な条件をつくることです。
これまでは学校に行くことで子どもはその力を獲得してきました。
不登校の子どもには登校とは違う形でそれらを達成でき方法ができる可能性も生まれます。
そうすると人の成長にとって登校する意味が変わります。
学校が相対化されることにより、不登校の社会的な問題が消失するのです。
こう考えるとサポートの意味、とりわけ引きこもりのサポートの意味も違ってきます。
“サポート”の根底はサポートの対象とサポートする側は同じ人間であることにたどり着きます。
長いサポート活動のなかにはサポートの対象者を引き上げるという意識が優位であった時期もあります。
相手の状態においてはそれが必要なことはいまもあります。
しかし、基本的・一般的なことはサポートする側とサポートされる側には上下関係はありません。
活動レベルが高くなれば多くの支援者がその方向に行くものと思います。
引きこもりというサポート対象になる人が経験していることは、要するに人間が、人類が経験していることです。
サポートする人間がもつ問題とかわらないのです。
それはこの時代が大きく変わろうとするときに無意識的に対応するだけではなく意図的な目的をもって向かうことでも共通します。
*お返事の全体は、不登校情報センターのサイトの中に加筆修正のうえ掲載します。
(その1)支援方法を接触できる引きこもり経験者から学ぶ
(その2)不登校情報センターが支援団体になった経過
(その3)引きこもりの家族へのサポートの概略
(その4)親の会の始まりと役割
(その5)当事者にとっての居場所の意味と役割
(その6)対応は先天的・後天的なことの複合した理由により異なる
(その7)自活型の社会参加をめざす引きこもり支援策
*(その7)関係資料
(その8)引きこもり経験者が自活型の社会参加できる支援体制を考える
(その9)引きこもり経験者の興味・関心と気質的・文化的な背景
(その10)不登校・引きこもりの解決とは社会にある問題全体の解決に重なる