Center:発達障害・精神障害の受け入れ①
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T=不登校・引きこもりの人の中に「発達障害」の人が一定数存在することが社会的に認知されてきたことに鑑み、 <br> | T=不登校・引きこもりの人の中に「発達障害」の人が一定数存在することが社会的に認知されてきたことに鑑み、 <br> | ||
同センターは社会的使命に基づき受け入れを開始した[2]。 <br> | 同センターは社会的使命に基づき受け入れを開始した[2]。 <br> | ||
− | + | しかし、前述の通り、同センターは月会費500円なのでお金を掛けて態勢を整えられない、 <br> | |
常駐スタッフも松田理事長しか居ないという状況で、十分な受け入れが出来るのかは疑問である。 <br> | 常駐スタッフも松田理事長しか居ないという状況で、十分な受け入れが出来るのかは疑問である。 <br> | ||
「“一般+α”のコミュニケーションスキルを備えた人でないと接することが難しい発達障害の人」に <br> | 「“一般+α”のコミュニケーションスキルを備えた人でないと接することが難しい発達障害の人」に <br> | ||
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それを参考にしてください。 <br> | それを参考にしてください。 <br> | ||
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それ以前にも通所者のなかに自覚しない・意識していない発達障害の人が参加していたと思います。<br> | それ以前にも通所者のなかに自覚しない・意識していない発達障害の人が参加していたと思います。<br> | ||
自覚していた人もいたでしょう。 <br> | 自覚していた人もいたでしょう。 <br> | ||
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M=(6)私は誰かが発達障害であるないはあまり気にはとめてきませんでした。 <br> | M=(6)私は誰かが発達障害であるないはあまり気にはとめてきませんでした。 <br> | ||
ただ個人対応レベルでは気質や性格特性はよくみるようにしているつもりです。 <br> | ただ個人対応レベルでは気質や性格特性はよくみるようにしているつもりです。 <br> | ||
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それは「受け入れる・受け入れない」に決定的な要素ではなかったということです。 <br> | それは「受け入れる・受け入れない」に決定的な要素ではなかったということです。 <br> | ||
2013年12月22日 (日) 00:18時点における版
発達障害・精神疾患の受け入れ①
〔2010年06月02日〕
〔2012年09月09日に転載、それまでのアクセス数634件〕
4-2発達障害・精神疾患の受け入れの項に入ります。
ウィキぺディアへの記載者はT=、私の感想・意見はM=の形にして分けています。
T=不登校・引きこもりの人の中に「発達障害」の人が一定数存在することが社会的に認知されてきたことに鑑み、
同センターは社会的使命に基づき受け入れを開始した[2]。
しかし、前述の通り、同センターは月会費500円なのでお金を掛けて態勢を整えられない、
常駐スタッフも松田理事長しか居ないという状況で、十分な受け入れが出来るのかは疑問である。
「“一般+α”のコミュニケーションスキルを備えた人でないと接することが難しい発達障害の人」に
「一般未満のコミュニケーションスキルしか持たない引きこもり経験者」が接した場合、
双方にとって学びの体験となるか、トラウマ体験となるかは、態勢が整えられていない同センターにおいては大博打となろう。
M=(1)執筆者T=が紹介している[2]には数本の原稿があります。
そのうち「発達障害と不登校 不登校・引きこもりの支援現場での実感」(2009年5月)にこの点に関する実践的な記述があります。
それを参考にしてください。
M=(2)発達障害を受け入れてもいいと思ったのは2005年前後です。
それ以前にも通所者のなかに自覚しない・意識していない発達障害の人が参加していたと思います。
自覚していた人もいたでしょう。
発達障害を「受け入れる」としたのは、既に不十分ながら対応していたと気づいたからです。
M=(3)「受け入れる」とはいえ、発達障害者専門に受け入れるのではないし、
従来の不登校・引きこもりを受け入れることの範囲で「受け入れる」のです。
M=(4)執筆者が問題にしていることは、「受け入れる」とした後に新たに発生したのではなく、
それまでの発達障害的な人への“自然発生的”な対応の不十分さを指して、「受け入れる」としたことを結びつけて問題視したのです。
執筆者の感覚でこの人は発達障害なのに、フリースペースとして適切に対応していない、と感じていたのでしょう。
それはありうると思います。
M=(5)この対応の不十分さは、個人レベルでみれば、引きこもりの人にも、
発達障害の人にも、“友達をつくりたいだけ”の人に対してもいえることです。
発達障害の人だけが問題ではないのです。
そういう状態であっても、フリースペースを必要とする人がいましたし、“修行”の場として役割はもっています。
M=(6)私は誰かが発達障害であるないはあまり気にはとめてきませんでした。
ただ個人対応レベルでは気質や性格特性はよくみるようにしているつもりです。
言い換えるならば(可能性の1つとして)執筆者T=も発達障害があるのかもしれません。
それは「受け入れる・受け入れない」に決定的な要素ではなかったということです。
M=(7)不登校・引きこもりの経験者の中から発達障害者を見つけて対処することは恣意的にしかできません
(医師に発達障害ではないと診断してもらった人を受け入れるような事態を招きます。その診断も懐疑的に見られやすいです)。
発達障害の状況は多様であり、発達障害の1つの要素があるからといってその人が発達障害者と自動的に分類されるのではありません。
医師ではない私には発達障害の診断権限はなく、主眼は対人関係づくりの面からの可能性を見つけようとしているはずです。
M=(8)障害があるなしに関係なくまずは人間として関わるのが基本姿勢です。
障害のあるなしで識別する(仮に識別できるとして)のは私には“大博打”であり、人間差別につながりかねないと思えます。
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