ひきこもりとは病人生活ではない
(→ひきこもりとは病人生活ではない) |
(→ひきこもりとは病人生活ではない) |
||
52行: | 52行: | ||
もう1つは個人のマイナス体験を解消することです。<br> | もう1つは個人のマイナス体験を解消することです。<br> | ||
個人対応の多くはこれに関係します。この部分でいわば持論を書きます。<br> | 個人対応の多くはこれに関係します。この部分でいわば持論を書きます。<br> | ||
− | ⇒'''[[依存を条件つきで必要と認める持論]]''' | + | ⇒'''[[依存を条件つきで必要と認める持論]]'''(2022年10月)<br> |
[[Category:不登校情報センター・五十田猛・論文とエッセイ|20240601]] | [[Category:不登校情報センター・五十田猛・論文とエッセイ|20240601]] |
2024年7月8日 (月) 13:21時点における最新版
ひきこもりとは病人生活ではない
〔会報『ひきこもり居場所たより』2024年6月号〕に掲載。
毎日新聞は8050問題を広く扱う企画を考えているようです。
先日(2024年5月)、同紙デジタル編集本部の記者さんと話すことになりました。
初めに「8050問題といっても大きなテーマなので、どのあたりから?」と聞いてみました。
「親が亡くなっても葬儀を出せないでそのまま自宅に置かれたままで、問題になる場合があるので…」と話し始めました。
大方の見当がついたので、「どうしていいのかわからない、孤立・孤独につながるようなところですね…」と私はいくつかの例を思い出しながら話しました。
私が話したのは、40代から50代になったひきこもり経験者、特に家族以外の人との結びつきが少ない人たちの状態です。
それぞれ状態は異なりますが、この人たちの親が亡くなったときも想像してみました。
実はすでに親が亡くなっている人もいますが、やはり心配の人もいます。この人たちには将来の孤独・孤立を心配して、結びつきをつくろうと努めている人もいます。
私自身がその結びつきの対象にされているのですが、同じ世代の人たちとのつながりなどを求めています。
この動きにも気になる人はいるのですが、ここでは省きます。
一段落したところで「親の方から見たらどうですか?」という問いかけがあり、これは親の会で話されたことを思い出しながら答えました。
新聞企画として何かを考えているようでしたが、私の側で気になっている点を考えながら話しました。
40代・50代では自分から何とかしようとしている人がいる一方で、そうとは言えない人が多数いることです。
動き始めた少数よりも動けない多くの人がいる点がもっと大きな問題なのです。
ここからは記者さんの件とは別の考察です。
一定期間のひきこもりの経験者(20代以上)のスタート的な行き先は医療機関、心理相談室、自治体や社会福祉協議会の開く講演会・相談会および居場所、あるいは家族会(親の会)あたりが多いです。
正確な人数は分からないですが、それらの総数は数十万人規模であろうと思います。
同世代のひきこもり総数(未成年を含めて146万人)の最大で3割程度、もしかしたら2割程度かもしれません。
東京都江戸川区は全戸調査に近いひきこもり人数調査を行ない、実数9096人(2021年)をカウントしています。
ひきこもりとする判断基準が大まかですが現状をよく表しています。
そのうち「何も必要ない、今のままでよい」とする人が32%います。
このまま受け取っていい場合も、外から関与を避けるケースもあります。
それにしてもかなりの割合です。
「何も必要ない、今のままでよい」以外にも家を出られない人もいます。
外出といっても近くのコンビニだったり、タバコを買うためだったり、時間も距離も短い人が少なからずいます。
家・自室にいるのですが、病人然としているわけでもありません。
たしかにウツ状態、不眠、過食、下痢や便秘、さらにはリストカットやオーバードーズをすることもあります。
それでも病人生活になっているわけではなく、体調のいいときは動き、外に出たりします。かといって人との接触は避けようとします。
普通の人にみられ、そう見られたいと望みます。
人間不信、社会不信、神経過敏、気にしすぎ、優しすぎる…これらは必ずしも病気ではないし、性格とも受け取られます。
これらは広義の精神状態になります。その中に精神病域の人も混じります。
そういう人であってのいつもそういう状態でいるのではありません。
そうするとこれらの全部を精神科的な対応(医学的な治療)ではなく、社会的な包摂の対応とするのがいいと思います。
まどろこしいのですが着実な方法です。
自治体や社会福祉協議会、教育相談や心理相談の対応の中心はこういう方向に進んでいると考えます。
就労を推進する若者サポートステーションなどでもこういう色合いを感じます。家族会(親の会)の話も多くはこういうベースだろうと思います。
そうならざるを得ないほど相手は手ごわいのです。
ところでこれらの対応は当事者を対応するべき対象とみる考え方です。
別の面から見る方法もあります。当事者から社会を見るときです。
彼ら彼女らは何を感じ、何を言っているのか。いろんな言い方を聞いたことがあります。
「自分を排除してきた社会に連れ戻そうとしているのではないか?」、「問題がいっぱい詰まっている人間世界に引き入れようとしているのではないか?」。
個人的な体験と結びつけて話す内容の結論はこういう種類です。
それは友達関係であり、教師の関係であり、親との関係であり、複雑な物語です。
これへの対応は2方向あります。
虐待やいじめや多種のハラスメントをなくすことです。
ハンディを持つ人が住みよい社会にすることです。それ自体が大テーマです。
そういうスタンスを持っていなくては歪んだ対応になると思います。
もう1つは個人のマイナス体験を解消することです。
個人対応の多くはこれに関係します。この部分でいわば持論を書きます。
⇒依存を条件つきで必要と認める持論(2022年10月)