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居場所の運営の注意点

提供: 不登校ウィキ・WikiFutoko | 不登校情報センター
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すぐには行けない人もいるでしょう、そこに行けばいつも満足とはいかないでしょう。それは社会も同じです。<br>
 
すぐには行けない人もいるでしょう、そこに行けばいつも満足とはいかないでしょう。それは社会も同じです。<br>
 
いまの自分のいるところを確認し、そこに向かって動き出す勇気が必要です。居場所の経験はその中間目標になります。<br>
 
いまの自分のいるところを確認し、そこに向かって動き出す勇気が必要です。居場所の経験はその中間目標になります。<br>
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2024年1月11日 (木) 09:55時点における最新版


居場所の運営の注意点

居場所の運営の注意点(他者否定と自己肯定の葛藤)
1か月ほど前に「松田武己の問題になる弱点」を考え、ブログでも数回に分けて書きました。
不登校情報センターという居場所から離れていった人を想定したもので、主に通所者との関係を考えた部分です。いくつかの意見が寄せられかなり参考になりました。
すべてを言い表してはいませんが、中心点を書きます。
松田武己の弱点はこれにとどまるわけではありません。それは承知していますので誤解なく。
(1)
Pさんから「松田さんは周りの人との関係による人との距離の差がないと思います」と聞きました。
居場所にはいろいろな人が来て、目に見えない程度のトラブルや行き違い・すれ違い・思い違いが発生しています。
それらが何かのとき表面化したとき特定の誰かを優遇するのではなく、私は「客観的な事実に即して公平に向き合う」スタンスをとろうとします。
このスタンスをPさんから見ると人との距離の差がないわけで、かなり納得できます。
ところが当事者においてはそこに合点できない部分がありそうなのです。
Qさんが当事者らしい気持ちを解説してくれました。メールで送ってもらったのでその部分を引用します。〔 〕内は私の補足です。
《自己肯定が育っていない人に、「他者肯定」を求めるのは早過ぎるのです〔松田のスタンスは「他者肯定」を求める、少なくともそちらに向いているのです〕。
自己肯定=他者肯定でバランスが取れます。しかし、当事者においては自己否定=他者否定が多いです〔そこから始まる人が多くいるのは認めなくてはなりません〕》。
〔当事者間の目に見えない状態のものを含めて〕トラブルになっている時の状態はどちらかが具体的な方法で「自己否定⇒他者否定」を繰り返しているときじゃないでしょうか (親子関係、同性関係、異性関係、対人関係で起こります)。
生い立ちや感覚の繊細さで心が弱っているとき、攻撃を受ければ相手を放っておける状態でないのです。周りで見ている人たちも同じです。
自己肯定の回復システムを飛ばして他者肯定をすると、「自己否定<他者肯定」になるでしょう。〔この指摘が素晴らしいと思いました!〕
そうするとどうなるかというと、圧倒される、のみ込まれる、そして自我崩壊、自己の消滅にさえなります。
そういう心の状態であると知っておくことは大切だと思います。
それでも博愛主義を通したくなるのならなおさらです。
〔松田の「客観的な事実に即して公平に向き合う」スタンスは、こういう状態を無視する博愛主義に映るわけです〕
当事者トラブルで唯一抵抗できる方法あるとしたら「怒りの放出」だと思います。いわば身を守るための手段のNOですね。
〔当事者はほとんど「怒りの放出」をしないまま収めようとします。「怒りの放出」を向ける相手を他に探すしかなくなります〕。
博愛主義であると少数派で攻撃的に出ている方が輪に入れずにいるので、そちら側に肩入れしたくなるかもしれません。〔公平であるといいながらどちらかというと輪に入れずにいる方に肩入れしているようになる、と見えるのです。そうすると…〕
対等の気持ちからこだわりに移動しています。〔そういうスタンスはこだわりにまでなっていませんか、という指摘です〕。
そうすると、攻撃されている側にだんだん集団生活に無理が出て来ます。
〔確かに何人かはぶつぶつ言いながらそのうち来なくなったと思いますが、何も言わずに去っていった人も多いはずです〕
私は、PさんとQさんの意見を聞いて、ひきこもり当事者の集まる居場所を設定する意味や役割を改めて考えさせられ、理解した気がするのです。
それは私の取っていたスタンスの限界、「松田武己の問題になる弱点」を指しているのです。他にも意見を寄せてくれた方がいます。考えを深める機会になり感謝します。
(2) 
居場所とは、このような対人関係のトラブルやすれ違い経験する一方で、共感や喜びを経験する場です。
それにより他者を知る・人間の多様性を知る、そして自分を知る、社会を理解していきます。そこでの生き方を体験的に学び、身に着ける機会を得る場です。
ひきこもり状態の人に居場所への参加を勧めるのはこういう意味からです。
すぐには行けない人もいるでしょう、そこに行けばいつも満足とはいかないでしょう。それは社会も同じです。
いまの自分のいるところを確認し、そこに向かって動き出す勇気が必要です。居場所の経験はその中間目標になります。

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