家族の歴史的変化に関する補論
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des Privateigenthums und des Staats. 戸原四郎・訳、岩波文庫、1965)は、史的唯物論の見方の基礎を次のように説明しています。 | des Privateigenthums und des Staats. 戸原四郎・訳、岩波文庫、1965)は、史的唯物論の見方の基礎を次のように説明しています。 | ||
「唯物論の見解によれば、歴史における窮極の規定要因は、直接的な生命の生産と再生産である。しかし、これ自体はまた二種類のものからなる。一方では、生活手段すなわち衣食住の対象の生産と、それに必要な道具の生産であり、他方では、人間自身の生産すなわち種の繁殖である。特定の歴史時代の特定の国の人間がそのもとで生活する社会的諸制度は、二種類の生産によって、すなわち、一方では労働の、他方では家族の発展段階によって、制約される。労働がなお未発達であればあるほど、その生産物の量が、したがってまた社会の富が制限されていればいるほど、社会秩序はそれだけ強く血縁的紐帯に支配されて現われる。だが、この血縁的紐帯にもとづく社会の編成のもとで、労働の生産性はだんだんに発展し、それにつれて私有財産と交換が、富の差別が、他人の労働力の利用可能性が、したがってまた階級対立の基礎が発展してくる」(9-10p) | 「唯物論の見解によれば、歴史における窮極の規定要因は、直接的な生命の生産と再生産である。しかし、これ自体はまた二種類のものからなる。一方では、生活手段すなわち衣食住の対象の生産と、それに必要な道具の生産であり、他方では、人間自身の生産すなわち種の繁殖である。特定の歴史時代の特定の国の人間がそのもとで生活する社会的諸制度は、二種類の生産によって、すなわち、一方では労働の、他方では家族の発展段階によって、制約される。労働がなお未発達であればあるほど、その生産物の量が、したがってまた社会の富が制限されていればいるほど、社会秩序はそれだけ強く血縁的紐帯に支配されて現われる。だが、この血縁的紐帯にもとづく社会の編成のもとで、労働の生産性はだんだんに発展し、それにつれて私有財産と交換が、富の差別が、他人の労働力の利用可能性が、したがってまた階級対立の基礎が発展してくる」(9-10p) | ||
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2021年11月23日 (火) 21:02時点における版
家族の歴史的変化に関する補論
“血縁的な” 戦闘的部族の位置。
災害の多い日本の国土に即した、「災害国土論」(?)とでもいうべきものをインターネット上で見たことがあります。毎年日本の各地が台風・強風、洪水、土砂崩れ、地震、火山爆発などに襲われます。それへの対応をしてきた積年の防衛や対処が日本人の生活や精神文化を生み出したというものです。
砂漠地域における家族を「自然への対抗が最も顕著に現われているのはその生産の様式である。すなわち沙漠における遊牧です。人間は自然の恵みを待つのではなく、能動的に自然の内に攻め入って自然からわずかの獲物をもぎ取るのである。かかる自然への対抗は直ちに他の人間世界への対抗と結びつく。自然との戦いの反面は人間との戦いである」…この戦闘的生活様式が家族に特性を与え、「形式から言えば部族の共同社会は同一の祖先から出た血族であるとのイデーによって結合している。…部族の全体性が個別的なる生を初めて可能にする。…沙漠的人間は、かくして社会的・歴史的なる特殊性格を形成する」(64-66p)。 和辻さんは砂漠におけるこの “血縁的な” 戦闘的部族の家族構成の具体的な記述はしていません。おおよそ前近代的な集団的な大家族集団としておきます。21世紀に入り“アラブの春”という政治的変動が生まれたのはこの産業と家族関係の変化によるでしょう。それでも旧来の家族関係はこの地域に根強く続いています。
このような家族とその居住形態は、一般には中世の経済的な基盤である農業が成立したことを前提にしています。「農地にできる土地を開発しつくし、安定した耕地で集約農業を営む段階を迎える。その時期は、近畿地方で13世紀後半から14世紀ごろ、東国や九州ではおよそ1世紀遅れて14世紀後半から15世紀ごろとされている。つまり、日本列島の社会は、およそ室町時代に江戸時代に通じるような農業環境を手に入れたことになる」(47p)。
室町時代のこの農業=経済的基盤の状況が、日本の中世の大変革期の根底にあります。その政治的・軍事的変動の嵐が峠を越えた江戸時代に封建的な身分制度が固まります。家族関係における戸主の権限の拡大、家父長制の成長と強化が進んだと思えます。鎌倉時代から室町時代までは例えば女性の役割と地位、家族内の兄弟間も平等とは言えないまでも柔軟な関係であったと思わせます。むしろ明治期になって、江戸時代の家父長制の固定化が進んだとさえ推測しますがどうでしょうか。
◎日本中世の大変化を農業の確立という経済社会関係の基本的な変化によるだけではなく、西谷さんは家族形態における大変化を加えてみています。これはエンゲルス(Friedrich Engels、1820-1895)の史的唯物論の立場に重なります。 F.エンゲルス『家族・私有財産・国家の起源』序文、1884、Der Ursprung der Familie, des Privateigenthums und des Staats. 戸原四郎・訳、岩波文庫、1965)は、史的唯物論の見方の基礎を次のように説明しています。 「唯物論の見解によれば、歴史における窮極の規定要因は、直接的な生命の生産と再生産である。しかし、これ自体はまた二種類のものからなる。一方では、生活手段すなわち衣食住の対象の生産と、それに必要な道具の生産であり、他方では、人間自身の生産すなわち種の繁殖である。特定の歴史時代の特定の国の人間がそのもとで生活する社会的諸制度は、二種類の生産によって、すなわち、一方では労働の、他方では家族の発展段階によって、制約される。労働がなお未発達であればあるほど、その生産物の量が、したがってまた社会の富が制限されていればいるほど、社会秩序はそれだけ強く血縁的紐帯に支配されて現われる。だが、この血縁的紐帯にもとづく社会の編成のもとで、労働の生産性はだんだんに発展し、それにつれて私有財産と交換が、富の差別が、他人の労働力の利用可能性が、したがってまた階級対立の基礎が発展してくる」(9-10p)