伝統工芸品
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'''越後寺泊大工 梅津元吉の地機'''<br> | '''越後寺泊大工 梅津元吉の地機'''<br> | ||
令和3年9月29日(水)晴れ<br> | 令和3年9月29日(水)晴れ<br> | ||
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このほか、会津田島の細井家にも「天保11年(1840)越後国間瀬 大工 柏原源蔵」の記録がある。<br> | このほか、会津田島の細井家にも「天保11年(1840)越後国間瀬 大工 柏原源蔵」の記録がある。<br> | ||
筆者は未確認だが文献上では、嘉永3年(1850)に田島の蚕桑稲荷神社にも柏原源蔵義紀の記載があるという。<br> | 筆者は未確認だが文献上では、嘉永3年(1850)に田島の蚕桑稲荷神社にも柏原源蔵義紀の記載があるという。<br> | ||
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2021年11月24日 (水) 12:04時点における版
伝統工芸品
種類・内容 | |
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所在地 | 〒 福島県昭和村 |
運営者・代表 | |
TEL・FAX |
昭和村文化財保護審議会委員長 菅家博昭(大岐)
越後寺泊大工 梅津元吉の地機
令和3年9月29日(水)晴れ
午前9時から正午まで、村内大芦地区民家土蔵(松下屋)の民俗資料の搬出作業。
村教委2名、からむし振興室1名、からむし工芸博物館1名、小野川民具整理班1名と私の6名。
役場のトラック1台、私の軽トラック1台で大芦個人土蔵から小野川分校(民俗収蔵庫)に運んだ。
内容は本紙写真でも紹介するが、特記すべきことは、いざり機(地機)に、「明治八年乙亥 越後国寺泊村大工本吉細工 持主五十嵐伊平次」(1875年)と墨書記銘があった。
詳細は後述する。機台後方が細くなっており、杼を打つ際の衝撃を吸収する仕掛けと思われる。
糸車2台、杼3本(二形態)、ウシワク1台、竹筬(おさ)19本、シンシ8本(未完成竹1本)、ワク多数(絹用?小型とからむし枠)。
ヒキイタ6、金具(ヒキゴ)6,オボケ(苧桶)1。カッツア(土寄せ具)。ほかに「明治六年氏子札」。
ミソコガ(桶)「明治三十五年十二月末之 赤田五十嵐氏 細工 歳六十七才 忠平作」の記銘。
明治四十年蚕紙貯蔵箱 日本蠶(蚕)業株式会社(仲御徒町)の張り紙。
「大正三年 屋敷風水図 玉梨 中井伝蔵易清選之」
「大正十四年十月 大芦村支部主催 真綿講習会 講師 山本きぬ 大芦会員 五十嵐フデヨ」の墨書板。
木箱「越後国間瀬郡 寺泊宿 大工 本吉」記銘。
大工 元吉(もときち)とあり元吉が所有していた箱で、本人が書いたと思われる。
呼称はもときち、出あろう(本吉とも表現された機機台銘は所有者が書いたと推定される)。
令和元年10月号の『広報しょうわ605号』で紹介したが、今回の調査地から近傍の赤田屋土蔵の解体前調査で、文久2年(1862)越後寺泊 大工梅津元吉が建てたことが判明している。
したがって、土蔵建設から13年後、松下屋のいざり機は寺泊の大工梅津元吉の製作と判明した。
この間も大芦、あるいは奥会津地域で大工仕事をしていたものだろう。
からむしを販売した収入を越後大工が回収しているという社会の構図である。
享和三亥年(1803)8月大吉日 越後国三島郡間瀬村 棟梁 丸山伝蔵 同 小平
大世話人 大工 柏原六蔵(両原の不動堂)広報しょうわ・令和2年2月号)。
両原では八幡神社を柏原源蔵・要蔵が文政7年(1823)に建ている。
このほか、会津田島の細井家にも「天保11年(1840)越後国間瀬 大工 柏原源蔵」の記録がある。
筆者は未確認だが文献上では、嘉永3年(1850)に田島の蚕桑稲荷神社にも柏原源蔵義紀の記載があるという。
〔広報しょうわ 令和3年11月号〕