感情表現の少ない子ども
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2021年9月26日 (日) 10:54時点における版
感情表現の少ない子ども
私は小さな子どもが好きです。
私の身近にいて私が子どもの姿を認め、その動きやことばを見ながら子ども好きを改めて確認します。
もともと子ども好きであるとはあまり意識していませんでした。
ひきこもりの人が私の周囲に集まり、私が子どもを見ている姿から私が子ども好きであると教えられて、そうだと納得したわけです。
子どもが喜んでいる、元気にはしゃいでいるという時ばかりがいいのではありません。
ふくれっ面をし、怒っているときも好きです。いたずらするときなんかもそうです。
子どもは遊びの名人で、そういうときなんかは惹きつけられるほどです。
ところで振り返るに私の小さな子ども時代は感情表現が少なく活発とは言えない気がしています。
ただ小さな子ども時代の記憶はあまりありません。
幼児期の記憶は誰にとってもそう多くの記憶はないはずで、記憶が少ないこと自体はそう珍しくはないでしょう。
それでも小さなころにあまり活発で表情ゆたかな子どもではないと思うのは、わずかな記憶と小学校の1年生のころの次の記憶によります。
小学校に入学した直後の出来事です。
一人廊下に立っていたら(たぶんヌボーとしていたのでしょう)、一人の男の子、名前はJくんとしますが特に体格がいいわけではない、が急に足をかけてきてJくんに倒されたのです。
Jくんはそのとき「死んだ!」と指さしました。
ちょうど二グループに分かれて対抗戦の最中らしく、その場に居合わせたぼくは相手側の一員と見えたようです。
倒すことは相手方の戦闘員を無力化することであり、だから「死んだ!」になるのです。
倒されてようやくそこで戦争ごっこが行われていることに気づきます。
そういうぼくは倒されたまま集団は勢いで向こう側に離れていきました。
周辺事態の傍観者なのです。
夏に近くなったころです。
小学校の前に浅い川が流れており、そこで数人が遊んでいました。
突然呼びかけられて数人が並んで写真を撮ることになりました。
他の数人はその写真の中に遊びの途中であることがわかる生き生きした姿が映っています。
ぼくはそこに通りかかったところのようですが、一緒に写真を撮ろうと呼びかけられて並んだのですが、事態をよくわからないままボヤっとした感じでいます。
私がその時よりも前の記憶は少ないのに、小学校の入学前の時期をあまり元気活発とは言えない、感情表現が乏しい子どもであったと思うのは、この記憶があるからです。
その私が大人になったいつのころからか子ども好きになり、子どもに惹きつけられ関心を持つようになったのは、この子ども時代の回復願望があると考えるのですがどうでしょうか?
(2021年9月26日)