みんな食堂
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2021年2月14日 (日) 13:06時点における版
みんな食堂
所在地 | 北海道札幌市豊平区 |
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TEL | |
FAX |
子どもたちが過ごす夜の居場所。“第二のお母さん”が見守る食堂は、母も子どももサポートする
札幌市豊平区にあるコミュニティーラジオ局「FMアップル」が、4年前に始めた「みんな食堂」。
ここでは月1回、親子が集まって一緒にご飯を食べている。
「みんな食堂」で勉強に励む子どもたち
この「みんな食堂」を運営する、FMアップルの放送局長・塚本薫さんは、子どもたちにとって“第二のお母さん”のような存在だ。
食堂の人たちは、親子の困りごとの解決にも力を尽くす。
しかし、北海道内でも新型コロナウイルスの感染が拡大し、食堂は休止を余儀なくされた。
子育ての“孤独”さが強調される時代に、解決していくヒントを探っていく。
前編では、「みんな食堂」に来た一人の少女と母親の成長。
そして、食堂で勉強を教える大学生を通して、血のつながらない人たちが作る“家族”の存在や、地域の人が“親代わり”としてサポートする心強さに迫っていく。
一緒に夜を過ごす居場所に
札幌市豊平区平岸地区は、明治時代からリンゴ栽培で栄えてきた。
その後、高度成長期を経てリンゴ園は住宅地に姿を変えたが、リンゴ並木は今も街のシンボルだ。
コミュニティーラジオ局「FMアップル」は、2016年からこの場所で「みんな食堂」を開いている。
2019年春のある日も学校帰りの子どもたちが、宿題をしたり遊んだりしながら、食事ができるのを待っていた。
この食堂を運営するFMアップルの放送局長・塚本さんは、ここに一人で来る子にも来た理由は聞かないという。
「名前や住所を聞いたりしない。ここで顔を合わせて『元気だね』って、それを確認しながら心の交流をする、そんな居場所だと思います」
「みんな食堂」では2018年の秋からは毎月の食事会に加えて週に1回の学習会も始めることになった。
学習会が始まって間もないこの日は、5人の小学生が集まっていた。
ここで食べる食事を楽しみにしている子も多く、メニューを聞くと「やったー!」と大喜びだ。
学習会の先生役は、大学生の深堀麻菜香(まなか)さんだ。
深堀さんが「みんな食堂」へ向かって歩いていると、深堀さんの姿を見つけた女の子が抱きついてきた。
子どもたちは深堀さんをまるで姉のように慕っている。
宿題が終わらない子どもは、深堀さんの予定を聞き出すなど、学習会以外でもどうにかして会えないかお願いしていた。
休憩時間用のご飯を作る塚本さんもその様子を見ながら、「みんな麻菜香が好きすぎて、一緒にいたいだけでしょ」と会話に混じる。
まるで家庭の中の一幕のようだ。
「みんな食堂」を始めた理由について塚本さんは「親が忙しかったり、経済的な困難があったり、子どもたちの背景はさまざまだが、一緒に過ごす夜の居場所になれば」と考えたそうだ。
「彼らの親は忙しいと思います。共働きで両親が遅くまで働いているご家庭もあるし、シングルだったり、夜遅くまで働いていたりする家庭もあります。
私もそうでした。子どもに手作りのご飯を置いてきているからということを逃げ道にしていました。
一人で食べるご飯がすごく寂しかったんだろうなって、今になってすごく思います」(塚本さん)
塚本さんは先生役の深堀さんに特別な感情がある。「まなちゃんが自分で道を切り開いているのは“エライ!”と褒めたい」。
勉強も親子もみんなでサポート
学習会で先生役を務める深堀さんは、経済的に厳しい中で育った。
私たちが“子どもの貧困”というテーマで取材を始めた5年前に彼女に出会った。
「お金の取り立ての電話が来たり、インターフォンが鳴ったり。
電気代を払っていないということで電気が止まったとき、母がその日残業で夜10時まで帰ってこなかったので、ずっと電気がつかずに真っ暗な中にいました」(深堀さん)
3歳のとき、父親は正規の仕事を失い、本州に出稼ぎにいったものの、お金を送ってこなくなり、中学生のときには連絡が取れなくなった。
ローンが払えなくなった家を手放し、母親と2人の妹と一緒に引っ越しを余儀なくされた。
そして高校2年生で、札幌のNPO法人「カコタム」で学習支援のボランティアを始めた。
深掘さんは「勉強ができるかどうかが、お金の格差で決まってほしくない。
お金が無くても勉強ができる子もいるので、お金がないことですべてのことを諦めてほしくない」と語る。
自身の将来については、正規の仕事に就いて母親を安心させたいと語っていた。
「正規の仕事に就いて収入を得て、仕事とお金の面でちゃんとしていけたら貧困を抜け出せるんじゃないかな…」。
2017年3月、深堀さんは高校を卒業した。
母親が働きながら、足りない分は生活保護を受けていたが、生活保護世帯からの大学進学は原則として認められていない。
深堀さんを別世帯とすることで大学進学は可能になるが、学費は奨学金やアルバイトで賄うことになる。
お金の心配をしながら卒業を迎えたが、深堀さんは大学が独自に設けている返済不要の奨学金を利用。
また学習支援のボランティアをしていることを知った人が、一部学費の支援をしてくれることになった。
深堀さんは、大学へ進学することを決めた。
小学6年生で12歳のななみさん(2018年当時)にとって、深堀さんは大事な相談相手だった。
「お母さんは仕事の疲れもあるし、自分が相談するともっと疲れると思う。
あまり心配を掛けたくないから、家族の次に身近な人に相談することが多い」と、女手一つで育ててくれる母親には心配をかけられないと思っている。
最初は1人で来ていたななみさん。2019年2月に訪れると、毎月の「みんな食堂」に、ななみさんの母親・アキさん(仮名)も来ていた。
人と関わることが苦手ではじめは緊張する様子だ。
その原因は、小・中学生のときに受けていた“いじめ”にあるという。
「学校の臭いを嗅いだり、教室の前に来たら苦しくなって。
ここで倒れたら大騒ぎになると思って、教室の前を通り過ぎて階段を下りて帰りました」と明かすように、アキさんはななみさんの参観日に6年間、行くことができていない。
2019年3月、ななみさんの小学校の卒業式に出席する母親のアキさんの隣には「みんな食堂」の深堀さんがいた。
アキさんは「心強かった。温かい気持ちになれたし、落ち着いていられました。
誰かが来てくれることは、今までの私たちになかったので、すごくうれしかった。
外に出るのもイヤだったし、誰にも会いたくなかったけど、連れて行ってくれたり、つなげてくれたりすることでちょっとずつ人の中に入っていける」と明かす。
親子を支えている深堀さん。その姿を見ていたななみさんは、自分もそんな人になりたいと思うようになっていったという。
ななみさんは「深堀さんはみんなを笑顔にしているから、見ていていいなと思うし、自分も将来、周りを笑顔にしたい」と笑った。
子どもや保護者が求めていることを
2019年4月、ななみさんの中学校の入学式には「みんな食堂」の塚本さんが付き添った。
母親のアキさんは、新しい仕事に就くための職業訓練を受けなくてはならないこともあり、塚本さんに「代わりに見届けてほしい」とお願いをしたという。
これは初めてのお願いごとだった。
中学生になったななみさんの姿を見て、目に涙を浮かべる塚本さん。
「最初は『食堂でご飯を食べよう』だったのが、いつの間にか『勉強したい』になって。
親代わりというのはおこがましいですが、こうした依頼が来て、私は子どもたちが求めていることをやればいいんだと入学式を見て思いました。
“これから何かをやろう”というよりも、“子どもや保護者の求めていることをやる”」(塚本さん)
ななみさんも「自分の入学式を(塚本さんに)見てもらってうれしかった。第二のお母さんみたい。
ママがいないときに支えてくれるお母さんみたいな感じ」と嬉しそうな顔だ。
塚本さんが食堂と学習会を始めたきっかけは、自分の子育てに経験にあった。
「どうせ、どうでもいいんでしょ。仕事の方が大事だもんね。参観日とか来なくてもいいから」
そう子どもから言われた塚本さんは、仕事の合間を縫って参観に行ったところ、同級生の保護者の言葉にショックを受けたという。
「そのとき、一緒にいたお母さんに『来られたんだね』って言われて。
『うちのお母さんは忙しいから、参観日なんて忘れていると思うし、来ないよって言ってたよ』ってその方に言われたんです。
それに驚いてしまって…。あの子は心の中でそう考えているんだと思ったときに、すごく胸が痛かった。
あの頃、“みんな食堂”があったら絶対に行かせてました」
「人が怖い」と話していたアキさんも、「みんな食堂」に度々顔を出すようになっていた。
食事のあとは塚本さんと片付けをしながらおしゃべりで盛り上がる。
国の就業支援制度を利用し、保育士の資格取得を目指していたアキさんは、専門学校に通いつつ、空いた時間にも勉強を続けた。
「2人で生きていくのに何の資格もなかった。
(ななみに)最後に見せるチャンス。“あんなやつでも頑張っていた”と思ってもらえたら」と前を向く。
ななみさん、そしてアキさんを側で支える深堀さんは、不登校や引きこもりなどの若者を支援するNPO法人「訪問と居場所 漂流教室」で毎月行われている交流会に、アキさんを誘った。
ここでもボランティアをしている深堀さんは、アキさんに「無理をせず、自分たちを頼ってほしい」と伝える。
安心できる場所ができたことで、少しずつ変わっていくアキさん。
岩見沢市で行われたイベントにもななみさんとアキさんは親子でボランティアとして参加。
障がいのある子とその家族、ボランティアが1泊2日のキャンプを楽しむイベントで、2人は子どもたちをサポートしていた。
このイベントに参加した理由についてアキさんは、塚本さんのように“人のために何かできれば”と思うようになっていったからだと言う。
ななみさんにも将来の夢ができた。
「お医者さんになりたい。障がいのある子でも元気を出してもらいたいし、心と命を救いたい」
後編では、深堀さんが学習支援のボランティア講師として、勉強を教えていた中学生の少年のその後に迫る。
「経済的に自立したい」と考え、自身の道を歩き始めたときに、新型コロナウイルスによって道が閉ざされてしまった少年。
そして、同じくコロナの影響により「みんな食堂」や勉強会ができなくなってしまった「FMアップル」の取り組みを追う。
(第29回ドキュメンタリー大賞『りんごのまちで育つ子へ 親子を支える「みんな食堂」』前編)
北海道文化放送
〔2020年12/7(月) FNNプライムオンライン〕
「顔を見てご飯を食べたい」コロナ禍だからこそ子どもたちをサポートする札幌のコミュニティーラジオ局の奮闘
札幌市豊平区にあるコミュニティーラジオ局「FMアップル」が4年前に始めた「みんな食堂」。
ここでは、月1回、親子が集まって一緒にご飯を食べている。
FMアップルの放送局長・塚本薫さんは、子どもたちにとって“第二のお母さん”のような存在。
そして、食堂の人たちは、親子の困りごとの解決にも力を尽くす。
しかし、北海道内でも新型コロナウイルスの感染が拡大し、食堂は休止を余儀なくされた。
子育ての“孤独”さが強調される時代に、解決していくヒントを探っていく。
後編では、NPO法人が行う学習支援でサポートを受けながら勉強をしていた中学生の少年の成長とその後に迫る。
「経済的に早く自立したい」と考え、自分の道を切り開いていくが、新型コロナウイルスによってとん挫する。
そして、同じくコロナの影響により「みんな食堂」や勉強会ができなくなってしまった「FMアップル」の取り組みを追った。
成人式に晴れ着を…
経済的に厳しい中で育ってきた大学生の深堀麻菜香(まなか)さん。
塚本さんが開く「みんな食堂」の学習会で子どもたちに勉強を教え、保護者のサポートも行っている。
金銭的な不安を抱えながらも大学へ進学し、20歳になっていた深堀さんは「将来の自分を想像できませんでした。
中学生になったら、「高校どうしよう」。
高校生になったら「大学どうしよう」と、一段階先のことすら考えられなかった。
その時、その時を生きるのが必死で、今しか見えてなかった」と振り返る。
毎年、区の成人式で司会を行っている、FMアップルで放送局長を務める塚本さんは、2019年の成人式も司会をするにあたり、20歳を迎えた深堀さんのことが気になっていた。
そこで、新成人の深堀さんと母親をラジオ局へ呼び、あるものを見せた。
それは成人式で着る晴れ着。深堀さんに着てほしいと差し出したのだ。
「自分が着られるとは思ってなかった。本当にうれしい」と笑顔を見せた深堀さん。
中学生のときに父親がいなくなり、この町に引っ越してきたため、成人式の会場に知り合いはいない。
しかし、式で司会を務める塚本さんが近くにいることが心強かった。
深堀さんも「今回は麻菜香ちゃんでしたが、着物を着られない子がいるかもしれないという実感が湧きました」と、来年以降は地域の人々の協力を得て、サポートしていく考えだ。
さらに塚本さんは晴れ着姿の深堀さんをラジオ局へ呼んで出演してもらうことにした。
マイクに向かって成人したことの抱負を語る深堀さんを、まるで母親のように見つめる塚本さんは幸せそうな表情だ。
「自立したい」とラーメン店を開店
2019年4月、札幌中央区にラーメン店がオープンした。
店長は18歳(当時)の遥輝(はるき)くん。
4年前、当時高校2年生だった深堀さんは、札幌の認定NPO法人カコタムが母子家庭や生活保護世帯の子どもを対象に開く、学習支援の教室でボランティア支援を始めた。
そこで勉強を教えていたのが、当時中学3年生の遥輝くんだった。
遥輝くんは母子家庭で母親には持病があり、家に残して外に出るのは不安だったという。
不登校の時期もあったが、自分が動いたら何か変わるかもしれないと参加していた。
ボランティア講師のサポートを受けて臨んだ高校受験は、見事合格。
遥輝くんはいつしか「将来、子どもたちのために何かしたい」と思うようになる。
一方で、「なるべく早く経済的に自立したい」とも考えた遥輝くんは、「親が働けない、働いていない時点でほかの家とは違う。
さらに、病気ってなると違う。ほかの家と同じような生活をしていたらいつ終わるか分からない」と将来への不安をこぼしていた。
遥輝くんは進学した高校を1年で中退し、ラーメン店でアルバイトする決断をした。
2019年は1月1日から働いていた。
初詣帰りの客で混雑する店で手際よくラーメンを作る。
「単位は取っていたので籍を残しておけばと言われたんですけど、中途半端は嫌い。
どちらかにしようと思って、学校を辞めて。なんとかやっています」
かつて勉強を教えていたボランティアたちは中退したことを聞き、心配していた。
しかし、遥輝くんは時々、教室を訪れて近況を報告してくれた。
こうした遥輝くんの姿に深堀さんは「引きこもることもなく、縁を切ることもなく、自分から顔を見せに来てくれる。
細く弱くつながっているだけでもいいかなと思います」と嬉しそうだ。
そして4月に自身のお店をオープン。開店の日に訪れた深堀さんに、自慢の味噌ラーメンをふるまった。
遥輝くんは、深堀さんのようにサポートしてくれる人たちを「昔から知っている人たちは『独立した』と言ったら来てくれたりして、本当に親戚みたい」と感謝する。
店を閉めて帰ると22時。それから売上を計算していく。
なんとか経営を軌道に乗せようと朝から晩まで頑張っていた。
さらに遥輝くんは、自分が勉強のサポートを受けたNPO法人の学習支援に通う子どもたちを店に招待した。
ボランティアに支えられたように、自分も何かしたいと、温かい1杯を子どもたちへおくる。
15歳のときの夢を叶えた遥輝くん。「メシさえ食えていれば元気に遊ぶことができる。
勉強もできる。メシを食うときに元気出ていればいいかな」と笑う。
新型コロナウイルスの影響が…
そんな中、地域の人たちが集まる「みんな食堂」にも新型コロナウイルスの影響が襲った。
北海道は2月に独自の緊急事態宣言を出し外出自粛になり、全国に先駆けて学校も一斉休校に。
もちろん「みんなの食堂」や学習会も中止となってしまった。
休校が続いていた3月初め、深堀さんとななみさんたちはある場所へ向かっていた。
母子家庭で育つ、現在中学生のななみさんは、小学生の頃から「みんな食堂」でご飯を食べたり、深堀さんに勉強を教えてもらったり、親子でサポートをしてもらったりしたことで、深堀さんを慕っている。
向かった先は、不登校や引きこもりの若者の支援をするNPO法人「訪問と居場所 漂流教室」。
感染予防をしつつ、フリースペースを開放していたこの場所でご飯を作り、勉強をして、久しぶりの一緒の時間を楽しんだ。
「学校もない、居場所もない、結局家にいるしかない。
でも、家に居づらい人も一定数いて、そうなったときに『漂流教室は開けます』と言ってもらえた」と、ホッとした表情を見せる深堀さん。
休校中の子どもたちの食事を心配していたため、この日一緒に食べることができて安心したと話す。
休みの間、自分で食事を作っている子もいたという話を聞いた深堀さんは、「この状況だから仕方がないとはいえ、子どもたちの日常が奪われてしまった。
その代わりに楽しいことが出来たらいいなと思います」と現状に複雑な心境だ。
順調だった遥輝くんのお店にも、新型コロナウイルスの影響が及んでいた。
客足は2月から次第に減っていき、外出自粛要請を受け、売上は以前の3分の1にまで落ち込んだ。
「いろいろ考えることはありすぎてパンクしそう」と明かし、それでも「コロナの影響を受けても生き残ったらかなり強いと思う」と前を向いていた遥輝くんだったが、4月初めから無期限での休業を余儀なくされた。
新型コロナウイルスの影響で、大学生の就職も厳しくなると言われている。
子どもたちに勉強を教えていた深堀さんも卒業が1年後に迫り、自分の将来について考える時期が訪れた。
母親の峰子さんは、企業に就職して生活を安定させてほしいと願っていたが、深堀さんは企業で働かず、卒業後は子どもと関わるNPO法人で働こうと決めていた。
苦労して育ててくれた母親の気持ちは分かっていたが、思いは変わらない。
新型コロナウイルスの影響で経済は厳しさを増し、深堀さんはかつての自分のような子供が増えるのではないかと心配している。
大人に気を遣って子どもが口にできない不安や悩み、そんな思いを受け止めたいと思っている。
「子どもたちの話を聞くのが一番。漠然と抱えたモヤモヤや言葉にできないことを発散できるのがいいかな。
人に言えない、友達とも会えない中で、話せなかったこととか、行き場所のなくなった子どもたちの気持ちを受け止められたら」
3月には、ななみさんの母親・アキさんが専門学校を卒業し、保育士の資格を取得した。
心に浮かんだのは応援してくれたななみさんのことだった。
アキさんは「ななみはよく我慢してくれた。
(中学校の)入学式に行かないのに、文句も言わずにずっと味方でいてくれたなって」と娘への気持ちを明かし、娘に卒業できたことを報告した。
コロナ禍だからこそできること
新型コロナウイルスの感染拡大は治まらず、「みんな食堂」と学習会は休止が続いた。
そこで塚本さんは、臨時休校が長期化する中で親子向けの番組を始めた。
「マイクの向こうに親子がいることを想像してやっています。
先が見えない、休校の延長もあって、親子のみなさんが喜んでくれたらいいなと思います」
4月、緊急事態宣言が出されると子どもたちと会うことも難しくなり、深堀さんは通信アプリを使って学習支援を始めた。
コロナ禍のなかでも、家庭環境によって学力に差が出ないようにしたいと思っているからだ。
勉強以外にも子どもたちから来る質問に答えていく。
「子どもたちの悩みも聞いたりします。
友達に会えなくて寂しいとか、勉強が遅れていることを不安がっている子もいる。
でもやっぱり、顔を見て一緒にご飯を食べたい」
5月、緊急事態宣言が延長された中、自身のラーメン店を無期限休業している遥輝くんは、求人の減少もあって、なかなか新しい仕事を見つけられずにいた。
「こうなるとは思っていなかった…」と悔しさを口にする。
食品関連の工場で働こうとしたが、直前に体調を崩してしまった。
「なんとか元の生活に戻すことを考えないと、ほかのことを考えている余裕がない」
新型コロナウイルスの感染拡大によって、当たり前にできていたことがどんどん難しくなっている。
一緒にご飯を食べること。好きな人と会うこと。勉強をすること。
深堀さんたちは、そうしたことを守りたいと考えている。
“また会える日まで”子どもたちのためにできることをする、「みんな食堂」の奮闘は続いていく。
(第29回ドキュメンタリー大賞『りんごのまちで育つ子へ 親子を支える「みんな食堂」』後編)
北海道文化放送
〔2020年12/7(月) FNNプライムオンライン〕