民俗学のかたわら仕事を替えながらも続けています
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2018年2月8日 (木) 00:05時点における版
民俗学のかたわら仕事を替えながらも続けています
〔2015年1月〕
ライオン丸
私は、大学院の修士課程で民俗学を専攻し、研究していました。
ですが、次姉と父が相次いで亡くなったことから、心の病にかかってしまい、精神的に不安定で、一つの職場に定着できません。
老人ホームの寮母、不二家のファミレスのウェイター、甘味喫茶の調理補助、ラーメン屋、ファッション雑誌の編集アシスタント、宗教雑誌の編集、指圧のお店、芸能プロダクションのエキストラのスカウト、老人向けの宅配の弁当の盛り付け、塾講師等、いろいろな仕事を転々としました。
長く続いたのは、美容院の割引チラシの街頭での通行人への配布、葬儀会社の生前予約のチラシのポスティイングだけでした。
介護福祉の専門学校へ進学しましたが、資格は取得できませんでした。
福祉への関心はあり、サーフサイドセヴン茅ヶ崎ファーム(児童養護施設)やばらの庄(有料老人ホーム)、グループホーム百合ヶ丘(認知症高齢者施設)のボランティア募集に応募したりしました。
それで、川崎市のデイケアに通いました。
デイケアでは、スポーツやバレーボール大会、合唱、料理等のプログラムがありました。
忘年会もあり、実行委員をつとめました。
川崎市の経営する八ヶ岳青少年自然の家で、デイケアのキャンプもあり、その中でハイキングやキャンプファイヤーや牧場見学などがありました。
キャンプの実行委員やキャンプファイヤーの実行委員もやりました。
デイケアと併設されている就労支援センターにも参加しました。
この施設では、等々力競技場の椅子拭きや、川崎市の緑が丘霊園での草刈りなどの就労訓練、さらに登録して働いている人たち同士の就労者の会という軽食やゲームなどの交流会もありました。
このセンターの推薦で、神奈川障害者職業能力開発校OA実務コースに進学し、職業訓練を受講しました。
終了後、学校の先生と、民間の仕事サポーターという団体の人たちの協力で就職活動をして、相模原市内の郵便局の郵便窓口の補助の仕事をし、がんばりました。
センターの担当の人も応援に職場を訪問していただいたり、ときどき喫茶店で、担当の人と職場の現状について面談をしました。
これと並行して、社会教育推進全国協議会東京23区支部でも活動し、会の通信の読者欄に投書したり、「震災ボランティア」「沖縄の夜間中学」、「国分寺市の社会教育」等をテーマにした学習会にも参加しました。
そのなかで郵便窓口は、年末は年賀状販売とお歳暮で、行列ができるほど、殺人的に忙しく、なにもできない私は肩身が狭くなり、二年ほどでやめざるをえなくなってしまいました。
まわりの人はみんなひきとめてくれました。
その後、某NPO法人の日中一次支援施設(知的障害者のデイサービス)で、非常勤職員をしながら、ニチイ学館立川校へ通学し、介護職員初任者研修を受講しました。
ですが不器用な私は、実技が苦手で、実技試験も一回でパスできず、時間がかかってしまいました。
それでも期限ぎりぎりでなんとか終了し、資格も取得し、国立市内で在宅、小平市内の施設で、実習をおこないました。
その後、就職活動をして、川崎市麻生区王禅寺の日吉地区のレストヴィラ王禅寺という介護付き有料老人ホームでケアスタッフをしています。
排泄介助や食事介助等、慣れるまで大変で、先輩方に厳しく指導され、落ち込んだこともありますが、なんとかやっています。
それとは並行して、大学院で専攻した民俗学の研究も続けています。
社会人になってからは、政治学など、社会の動きにも研究範囲を広げ、日本の文化や社会を民俗学、政治学の視点から研究しています。
休日には、美術館・博物館・図書館に通い、読書を通じて、研究をしています。
いま興味のあるテーマは、浪曲や少林寺拳法やなぎなた等の日本の伝統文化と、勤務先の日吉地区の民俗です。
浪曲では、二代目広沢虎造の「清水次郎長伝」に関心あります。
大学時代に韓国語の授業で一緒だった地理学科の女の子が体育会少林寺拳法部だったので、少林寺拳法にも関心を持ちました。
私の住む川崎市にも少林寺拳法川崎柿生道院や川崎生田道院等の道場があります。
先日、川崎市の麻生区の麻生区民祭にも行きましたが、地元の少林寺拳法の演武もやっていました。
群馬の伝統行事をフィールドワークしていたときに、JR高崎線の新町駅近くで、国体のなぎなたの会場になったことを記念する記念碑も見ました。
以前に、八王子市の障害児学童保育施設でアルバイトをしたことがあります。
そのプログラムに体育館でトランポリンをするものがあり、その施設でご婦人方がなぎなたをしていたのが印象に残っています。
日吉は、都心へのベッドタウンとして開発の進む川崎市の中でも多摩丘陵の里山や自然の残る貴重な地域です。
山王神社、延命地蔵尊、眞宗寺川崎霊園、たま日吉台病院、王禅寺清掃場、ヨネッティー王禅寺など特色のある史跡があります。
山王神社は、王禅寺という地域の名刹の鬼門除けに建てられた村の鎮守で、安永の時代には大風で大破し、その後、再建されました。
田舎の鎮守という昔の面影を残しており、境内には「御旧跡地御神木山王権現」と刻まれた石碑があります。
参道途中には、稲荷の石祠が二社あります。
神社の下には石仏群があり、地蔵六基、庚申塔二基、地神塔一基、地蔵菩薩供養塔一基、馬頭観音一基があり、地蔵の中には子を抱いたものもあります。
眞宗寺には、川崎大仏や池田満洲夫デザインの梵鐘、観音や水子地蔵等の石仏、集められた石仏群があります。
ヨネッティー王禅寺は、王禅寺清掃場の余熱を利用した温水プールやフィットネスなどのスポーツの施設です。
かつては、日吉会館という昔ながらの地域の集会場もありました。
今でも畑を利用して、地域のどんどん焼きもおこなわれています。
村の旧家の入り口に馬頭観音の石碑が残っていてお花が供えられているところも印象的です。
村の共同墓地には古い五輪塔や地蔵などの石造物が残っていますが、周辺には山を切り崩して、特別養護老人ホームの建設が進められています。
今後も民俗学、政治学の研究、仕事など頑張っていきたいと思っています。