日本遺伝学会は色覚多様性と決めました
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2021年2月1日 (月) 10:47時点における版
日本遺伝学会は色覚多様性と決めました
これまで色盲、色弱は色覚異常と言われています。
日本遺伝学会は色覚異常をやめ色覚多様性にすると決めました。
色覚多様性とはなかなかの表記法です。
私の場合はうろ覚えですが“赤緑色弱”ではないかと思います。
はじめて色弱がわかったのは小学校1年か2年の時です。
検査表があり、他の子が読めて自分には読めないページがある、逆に自分だけが読めて他の子は読めないページがある。
それにより色弱と判断されました。
そのときはちょっと特別視された記憶があります。
その時点で“赤緑色弱”といわれたか、後だったか、よくわかりません。
後にこの検査表は石井式色覚検査表と知りました。
大学病院勤務時代に医療事務として担当した眼科の医師といろいろ話したこともあります。
中学か高校時代に“赤緑色弱”というのを意識していた時期があると思いますがは
っきりしません。
高校のとき就職試験である会社に履歴書を送ったところ不採用になりました。
返された履歴書の「色弱」と書いたところに赤のアンダーラインを引かれていた記憶は鮮明です。
担任のF先生がそこを指して「これが理由かも」とつぶやいていました。
実はその会社はデザイン会社です。
当時はレタリングなどの商業デザインの通信教育を受けようとしていたので関心はあったのです。
しかしこの通信教育をやめた理由はもともと通信教育が無理だったためかもしれません。
結局あやふやなまま過ぎました。
逆に考えれば色弱によりこれという不都合がその後の生活ではなかったとも言えます。
目についていえば斜視の方がもう少し何かがあったと思います。
車の運転に全然関心が向かなかったのは、斜視や色弱とは関係ないとしてきたのですが…。
さてこのたび日本遺伝学会が色覚異常を、色覚多様性と決めました。
身体のいろいろな独特性を異常を使わずに表記する面でいいと思います。
社会生活のうえで身体的に異常とされることで引き起こされることはいろいろあります。
知らなければ何もないのに、知らされるがゆえに不都合が発生するものです。
そういうものを表現のうえで多様性というのはよさそうです。
似たような用語に「障害」があります。
「少数者」も時と場合によって社会的な不都合になるときがあります。
しかし、障害と判断や診断されることの全部がマイナスや不都合というのではありません。
私は自己判断により、アスペルガー障害ないしは自閉症スペクトラムと考えています。
世にはこのような診断を受けた人も多くいます。
私の場合は、知り合いの臨床心理士さんがアスペルガー障害の特色を詳しく話しているのを聞いていた時のことです。
臨床心理士さんから話の感想を聞かれたときの答えは「自分の子ども時代のことを聞いた感じがしました」。
臨床心理士さんも私の感想を聞いて、これまでの振る舞いからして納得できるところがあったように思います。
そうか、自分はアスペルガー障害だったんだと理解した時です。
それがわかったときの気分は楽になったという感じです。
自分を理解する1つの手がかりを得たようにも思いました。
色弱、斜視、アスペルガー障害、そのほかに私には食べ物の好き嫌いが多い(たぶん味覚過敏)などの身体特徴がありますが、すべてつながっているように思います。
中学2年の時に調べた知能指数はかなり高かったのですが、これも関係するかもしれません。
これらはいい悪いの価値判断ではなく、TPOによっていい場合もあればまずいこともある、という状態におけるのです。