Center:2001年2月ー自分さがしの機会がなく退学
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2012年3月24日 (土) 22:28時点における版
自分さがしの機会がなく退学
*「進路指導のはざまで」『中学教育』2001年3月号。
中学校から高校への成長過程に、高校入試という関門があります。
しかし、それ以外に中学生と高校生には共通した区分けはないように思います。
私立中学高校6年制の生徒2人の母親が偶然に前後して相談に来ました。
一人は中学3年、もう一人は高校1年です。
内容は共通です。
(1)中3の和馬君は、昨年12月に退学し、公立中学校に転校しました。
高1の等君は2学期になりほとんど登校せず、11月に「もう行かない」と宣言しています。
いずれ退学でしょう。どちらも不登校なのです。
(2)和馬君は野球部です。等君はバレー部に属していましだが、その部活で行きづまっていました。
和馬君はレギュラーになれなかった、等君は体の故障が理由です。
(3)2人とも、親の意向による学校選びを自分なりに修正したい、親離れの葛藤、自分さがしの願望、学校通学の苦しさが混在しており、それを逸脱行為で表わしました。
和馬君は、タバコ、茶髪、ピアス、無断外泊(家出)など。
等君は茶髪、ピアス、携帯持参(校則で禁止)、飲酒、夜間徘徊と無断外泊などです。
よくみると他人に迷惑をかけているかどうか微妙で、“逸脱”とはいえある規範への精一杯の反抗である気がします。
2人のおかれた状態を考えてみましょう。
親のすすめで私立に入学した。通学目標であった部活が行きづまっている。
自分には何が向いているのかを探す 機会が学校にはない。
内向的性格の子にみられる対人関係不安による登校拒否は表れない。
そして自分さがしの姿が自然現象のように生活面で逸脱行為になる。
行動的な生徒にみられることです。
2人のおかれた環境と本人のもっている成長と自立のエネルギーが、 逸脱行為型の不登校になっているのではないかと思えます。
親や学校には不都合かもしれませんが、むしろ応援していい内容があるように思えます。
基本的には、2人の生活態度の改善を迫るよりも、親や学校の方に改善する内容があると思います。
子ども・生徒に自分さがし、自分の進路選びを考える機会を持てる教育システムが必要なのです。
こういう教育システムが見当たらないなかで、和馬君と等君は、“自制的”ともいえる逸脱行為の姿をとって、自分さがし、自立の方法を手さぐりしています。
そういう行為で、親に不登校や中退を受け入れさせるしか、方法を思いつかない気がするのです。
中3の和馬君は、12月に退学処分になりました。
親はすぐに公立中学校への転校手続きをしました。
私にはこれもかなり強制的な処分で、親が転校手続きをしなければ、和馬君は中学校卒業さえ危なかったのです。
学校のこのやり方ではいずれそういう生徒が出かねません。
よかったと思うことは相談に来られた母親です。
和馬君の親は「応援したいぐらいです」という私の言葉に大きくうなずき、「私もそんな気がしていました」と母親の心のどこかにあったことを確認できたことです。
週2回塾に通い始めた等君を「自分なりの努力だと思って待ちます」という母親の声も、嬉しいことでした。
(了)
連載「進路指導のはざまで」
(1)2000年3月ー進路先がフリースクール?
(2)2000年4月ー3つの選択に隠された転校処分
(3)2000年5月ー通信制高校に進学した理由
(4)2000年6月ーなぜ入学した後すぐ転校を望むのか
(5)2000年7月ー高校進学後に再発した登校拒否
(6)2000年9月ー私は中学校を卒業してないの?
(7)2000年10月ー子どもの不登校が家制度を変える
(8)2000年11月ー専門家一任でなく背後で応援しよう
(9)2000年12月ー国勢調査で大検合格は高卒では?
(10)2001年1月ー“兄貴分”にも相談相手の役割
(11)2001年2月ー自分さがしの機会がなく退学