体験手記・160cm 29kg
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2018年2月28日 (水) 14:47時点における版
〔体験手記〕160cm29kg
相田早紀(学生)
〔『ポラリス通信』2015年5月号に掲載〕
誰かに認められたい。ほめられたい。
こんな欲求は誰しも少なからず持っているものではないだろうか?
私はその欲求が非常に強い子だったといまでも言える。
題名から見る通り私は異常なほどやせた、自分の意志で。
摂食障害の拒食症というのが私が初めて受けた精神病の名称であった。
なぜこうなったのか?
さまざまな原因の積み重ねだと思うが、かかった本人には明確な原因がわからない。
一人っ子という環境下、両親の愛情を一身に受けて寂しがり屋の甘えん坊として育った。
よくある「親に暴力を受けて」や「親の離婚、不仲」といったようなことは何もなかった。
誰でもこの病気になる可能性はあるのだ。
私はただ何か証がほしかった。
自分という存在がいてよいものなのか、何かに認められたかった。
特に私は両親に認められたかった。
さんざん愛されて育ったが、私の成長とともに放任になっていった。
それは親にとらわれず自由に生きてほしいというはじ両親の配慮であった。
しかし、その真意を測れなかった私はただただもっと注目されたくなった。
そのため対象としてやせることが私のアイデンティティーになった。
「やせる」ことが目標になったのは生活環境にもあったのだろう。
中学受験をして若干失敗し、女子校に入学した。
思春期そして女子校という背景から毎日のようにダイエットの話で持ち切りだった。
やせるため昼食を抜き、はじめのうちは食べない分体重が減り無性にうれしかった。
何かに認められたかった。
当時私は「体重計は嘘をつかない」と思っていた。
体重計に「認められた」と感じたのだ。
食べない分、体重のメモリが減っていくと、自分の努力が評価された気がして、自分というものが許された気がして救われた。
この行動は非生産的と思われた。
しかし、「食」という概念をシャットダウンしてその時間を勉学に回したため成績も上がり、部活動でもさらにいい成績を残せるようになった。
こうしてよいことが続くとやせることは私の中の絶対的な正義になった。
病状がひどくなった高校1年の夏にはものを口に入れることが怖くなった。
強迫観念があった。
私は太ってはいけないという意識があった。
そのため水も飲めなくなり題名通りの体重まで減った。減らすことができたし、減ってしまった。
その後入院をし、長期的な治療も現在行っている。
誰かに認められたい一心で周りが見えなくなった自分がいた。
そのため友達を失い、高校生という輝かしい時のほとんどを失った。
いまでもまだ食にとらわれた生活を行っている。
それでも、当時認められたいという自分がいたし、それをないがしろにすることはできなかったであろう。
この病気を通し、多くの時間を現在進行形で無駄にして、多くの友人を失った。
拒食症からの反動で過食症になりさらに自分に魅力を感じられなくなった自分がいる。
そのため未だに私は他人と目を合わせることが難しい。
自分にまだ自信を持てないでいる。
しかし、得られたものもある。
家族との認識の齟齬をなくし自分を見つめなおす時間ができた。
そして病気を通してできた人やつながり、自分の新しい考え方が生まれた。
未だ私は誰かに認められたい欲求が人一倍ある。
しかし、それも私の個性だ。
認めてもらうには誰かが必要で、人は1人では生きていられない。
こんな私でも家族が周りで支えてくれて、見捨てないでくれて、そんな人たちがいたからこそ私はいまがんばってやっていこう、そう思える。
そんな私はいま何ができるのか? これが課題だ。