我が母校の思い出
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2017年12月19日 (火) 11:10時点における最新版
我が母校の思い出
(生徒を第一に考えたM先生)
生徒のことを一番に考えてくれたM先生。
高校のとき、私は仕事をしながら通っていたのです。
それまで勉強は押し付けられるようにして習ってきましたが、そこでは自分の力で取り組まなければなりませんでした。
M先生は、私が仕事帰りに「テストを受けに行きたい」と告げると、「無理しなくていいよ。焦らなくていいよ。」と、よく言いました。
「無理はするものだ」と私は勘違いしていたのです。
そのことが理解できたのは、先生がぜんそくで亡くなってしまってからでした。
クラスのみんなと「そういえば先生が黒板をふくとき、ゆっくりしてたね。そんな先生だから『無理するな』って言ったんだね」と話しながら、先生は自分の体のこともあって、他の人の体をいつも気遣ってくれたんだと思いました。
母校のそばを通ると、いつもM先生の笑顔が浮かんできます。
そんな先生が居た母校が今でも大好きです。
大事なことを身を持って教えてくれたM先生、ありがとう。
〔『公明新聞』2005年3月26日 29歳 家事手伝い〕