手記・妄想と自傷行為と希望と
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2015年3月28日 (土) 09:35時点における版
手記:妄想と自傷行為と希望と
〔『ポラリス通信』2015年4月号への投稿〕
著者:宇佐美由香
私は中学2年生の頃にリストカットをしていました。
さて、なぜ自傷行為をするようになったのでしょうか。
その要因はいくつかありますが、最も主要な原因は顔と性格です。
私のもとの顔はあまりにも醜いのです。
そして性格、引っ込み思案で、裕福な家庭でかなり愛されて育ったので、自分から声を掛けたり、コンビニやマクドナルドで物を買ったりできない“やわな人間”でした。
中学生は男女関わらず、「かわいい子」や「格好いい人」にみんな興味を示すものです。
「かわいい子」は、なにもしなくても友達ができて彼氏もできて、みんなにちやほやされる。
教養的にも空っぽの私は、自分にはどうにもならない外見の壁が立ちはだかっているのだと、強くコンプレックスを抱きました。
その頃は自分が何かに向かって努力することが人を惹きつけ魅力になるなどとは考えもしませんでした。
だから私は、中学では男友達は一人もいなかったのです。
私にはみんなが一目置くような魅力を持ち合わせていませんでした。
私の今までのコミュニケーションの形態としては、みんなが興味を示すのだと確信を持てる“何か”を持っていないとコミュニケーションがとれない子どもだったのです。
つまり、それがあることによって相手とコミュニケーションを取ろうと思って失敗した時は、その“何か”に興味がなかっただけで、自分が嫌いなわけではないのだと言い訳できたのです。
自分が傷つくことを完全防御していたのです。
例えば人気のアニメの限定品を持っていたらそれをちらつかせたら寄ってくる人がいるわけです。
それに興味を示さない人がいるならそのグッズが悪いと納得するのです。
小学生まではそれでよかったのですが、中学生になるとそのやり方には違和感を覚えました。
今後どのような意思疎通を図ればよいのかわからず、自意識過剰になり、どんどん悪い方向へ考えてしまっていました。
そして親が自慢できる子どもになれていないという意識も自己嫌悪に拍車をかけました(大きな愛情を受けているのにこんな子どもなのかと私は絶望していたのです)。
そうしてリストカットするようになったのです。
何もできないゴミのような自分が存在してしまっていることの罪滅ぼしとしてリストカットをし、それで少しは報われた気分になっていたのでしょう。
気分が落ち着きました。
両親にはその悩みについて打ち明けていました。
もちろんリストカットをしていることも知っていたので、両親や先生に勧められスクールカウンセリングに通うようになりました。
そんな日々がしばらく続いて、ついに中学ⅱ年生の11月に整形手術をしました。
それ以来、私はリストカットをすっかりしなくなりました。
私の苦しみを打ち明けるたびに親を苦しめていたこと、その末やっと整形手術に同意してくれたこと。
これらが整形をするという決断の重みとなりリストカットは二度としなくなったのです。
霧が晴れたかのように性格は前より随分と明るくなり、今何をすべきかなどやっと自分の目の前のことが見えてきたのです。
そして兄の大学受験も見ていたので今は勉強をしなければならないということに気付き、受験勉強の緒に就くことができました。
中学3年間の3分の1を遅刻していた私ですが、高校では皆勤賞をもらい、ほぼ毎日自習室へ行き、友達も一気に増え、高校2年生ではクラスの中心的存在でした。
所属していた硬式テニス部では副部長を務めることができました。
こうして、やることはやりきったという思いで高校3年間を全力で生き抜くことができました。
いまでも親に心の底から感謝しています。
こんなにダメな自分でも愛してくれて、立ち直るチャンスを与えてくれて、支え続けてくれて。