Center:102-「生物としての記憶」を思う
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2018年12月31日 (月) 19:45時点における最新版
「生物としての記憶」を思う
〔2011年3月26日〕
前回に引用した3月20日センター便りの後半部分を説明します。
「全体のイメージとしては、人間にとっての原始性Primitiveなもの、動物的なものや太古性のなかに意味をさぐっていく。
たぶんJ.ルソーの「自然に還れ」はそれに関係するのかも。人間にとっての女性の役割や感情・感覚がもつ役割を見ていくことになりそうです。」
系統発生と個体発生というヘッケルの反復説があります。ある程度は承認されているようです。
生物として最高に進化した霊長類人類も原始的な生物期の発生を遺伝として受け継いでいるというものです。
例えばS.フロイトなどがときどき使う“太古性”は、この生物の遺伝子を受けつぎ、作用しているのかもしれません。
女性を男性と比べて“より原始的”といい(宮城音弥『性格』岩波新書)、森田正馬などは“感動が強い”といい、一般に生命力が強いのはよく知られるところです。
この理由の一端に、女性の受けつぐ遺伝子に何かの条件があるのかもしれません。
男性は先天的なものにつづく後天的条件を意識的に積み重ねていく面が強く(フロイトの言う“超自我”に関係する)、女性は先天的に受けついだものとの親和性やつながりが強いのかもしれません。
女性の方により多く見られる、信仰心や情感的・感情的な事物・現象への自然な関心の高さはこれにより説明していくのがいけるのではないか。
男性にとっての女性のもつ謎(自分なりに理解しようとして組み立てた筋道ではとらえきれないことを謎と表したい)は、ここに鍵が潜むのでしょうか。
女性自身はこの回路を意識せずに活用しているのかもしれませんが、一般に(女性に対しても)分かる説明はしていないのでしょう。
生物学とDNA遺伝子の研究によりこれらの周辺は科学により解明される可能性はあります。
私が、「共時性」をある規則的な枠内で説明できるように試みようとするのは上の点からです。
原始性、女性(および子ども)、感情(および感覚・情動)などの言葉が並ぶのは、それが日常生活の場面、ことにそれらが濃縮して現われる当事者に囲まれている私の条件によるからです。
以上の3回〔100-102〕を、ページ設定の趣旨説明とします。
次回からは日本文化、精神文化・美意識などの読書記録といまの時点でのコメントを紹介します。