Center:135-新しい視点・宇宙論の人間原理とは?
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2024年11月19日 (火) 00:20時点における最新版
新しい視点・宇宙論の人間原理とは?
〔2011年5月29日〕
松井孝典『宇宙人としての生き方――アストロバイオロジーへの招待』(岩波新書、2003年)。
〔その3=文明論または自然認識論〕
(19)脳の神経細胞
考えるとは「最近の脳科学的な表現でいえば、脳のなかに外部世界を投影した内部モデルを構築し、それと外部から入る情報を照らし合わせてさまざまな判断をするということになります…」(まえがき=ⅱページ)。
「『考える』とは脳の神経細胞の時々刻々の変化であると考えられています。
脳の中には多数の神経細胞があり、それらが相互に連結すると、脳がある状態になる。
このように“脳の状態が変化する”ことが“考える”ということに相当する」(92ページ)。
「我々は言語を明瞭にしゃべれるという能力によって抽象的思考ができるという特徴です。
その際に、それは脳の中の回路の接続のしかたであることを指摘しました」(99ページ)。
(20)宇宙論の人間原理!
「現代という時代は人間圏が拡大に次ぐ拡大を重ねた結果、地球規模になった時代ですが、その結果、我々は宇宙や地球や生命や人類の歴史を解読し、そのようなスケールで我々とは何かを考えられるようになりました。
宇宙論に人間原理という考え方があります。
この宇宙が現在のようになるためには、物理定数といわれる数値が、我々の知っているような値でなくてはなりません。
が、それがなぜそうなのかは物理学的には答えられません。
あえて答えるとすると、このような数値をもつ場合、宇宙は地球を生み、生命を生み、人類を生み、そして現生人類が誕生し、宇宙を認識するようになります。
このとき認識論的には宇宙は存在したことになります」(103ページ)。
ここは難しいけれども、鍵になるように直感します。
人間あっての宇宙という主観論的になるかもしれませんが、別宇宙があればまた違う原理があるといえるのです。
「宇宙が本書で紹介したような歴史をたどって進化したのは、我々が今知っている物理定数のような定数が、我々の知っているような値だったからです。
この物理定数がなぜそのように決まっているのか、ということを考えてみてください。
いちばん簡単な答えは、そのような宇宙では我々のような知的生命体が生まれてくるということです。
知的生命体が生まれると宇宙を認識する。
宇宙は、それを認識する主体によって認識された瞬間に存在したことになる。
そういうふうに考えることができるわけです。
これは宇宙論のなかでも、人間原理という考え方ですが、これは我々にとって、一つのレゾンデートルと考えることができます」(215ページ)。
別の答えはあるのでしょうが、それはなんでしょうか。
“認識論的に”または“認識する主体によって”、宇宙は存在する、といいます。
それに対置するのは、例えば“実在論的に”、または“人間の意識にかかわらず客観的に”宇宙は存在するということはできないのか?
(21)生物の多様性と絶滅論
「性が存在すると、遺伝子がミックスされて、多様性が生まれます。
環境が変化しても、それぞれに適応する準備ができていれば生き残る可能性が高くなります。
実際、環境変化が起きる前に、遺伝子レベルでの変化は既に起こっていて、環境変化に伴ってそれが発現して新しい生物種が生まれるようです。…
環境に適応してその形、機能を変え、変化してきた過程を論じるのが進化論ですが、進化論では、環境に適応するかどうかが非常に重要です。
環境が変われば、それまでの環境に適応していた生物は絶滅します。
したがって、生命というものがさまざまな種類に分かれ、ある環境に非常によく適応して繁栄するようになると、必ず絶滅が起こります。…(130ページ)
…生物学的人間論にとっても地球学的人間論にとっても絶滅論は重要です」(131ページ)。
(22)自然科学の仕事
「我々が知的生命体として知の体系を創造しているのではなく、自然に書かれている古文書を読んでいるのにすぎない
…知の体系が拡大するのは時代とともに自然を解読する道具がよくなるからです」(26ページ)。
「宇宙、銀河系、太陽系、地球のすべてに始まりがあり、その歴史的過程を経てつくられた今の姿を見て我々は自然と呼んでいます。
しかし現在の自然は、宇宙の始まりの瞬間から存在していたのではありません。
…現在我々が観察する自然とは、宇宙の誕生から現在までの間に、この宇宙でつくられた物質の蓄積した結果といえるのです。
つまり、自然とは、(179ページ)ビッグバン以来の物質進化の歴史的産物ということになります。…
自然には宇宙、地球、生物の歴史が記録されていて、自然科学とは、その記録の解読作業ということになります。
つまり、自然科学とは、自然という宇宙の歴史が書かれた古文書を読み解くことが目的ともいえるのです。
…自然科学者の仕事とは創造することではなく、解読することなのです」(180ページ)。
“神はこの世界をどのようにつくったのか、その意志を探索する”という近代科学の始まりと極めて近い立場におかれる。
それは後退ではなく、近代科学の出発点が参考になりうることを示していると受け取りたい。
(23)分化論=進化の方向性
「宇宙の歴史とは、均等な状態から、異質なものが生まれてきた過程ともいえます。…(184ページ)…
エネルギー論的には冷却し、物質論的には分化する、これが地球の歴史です。…
均質なものから異質なものが生まれることを分化といいます。(185ページ)…
均質な状態から分化してきたのが現在であり、現在から未来にかけても分化していくというのが方向性だということになります」(186ページ)。
(24)時間速度が速まることと人間存在
「地球の物質圏、例えば大陸地殻や生物圏などの存続時間を考えると、人間圏が誕生してからの時間、一万年は短いように思いますが、
地球システムの物の移動率で考えれば人間圏はすでにその十万倍の十億年もの間、地球上に存在しているのと同じ意味があるということです」(190ページ)。
この単純計算はそのまま受け取れないとは思いますが、人間の活動の一面を指しています。
「今のままの発想で人間圏を運営すれば、人間圏という生き方を続けられるのは100年だろうと私は思っています」(192ページ)。
「我々が直面する問題の多くは、…我々が物・エネルギーの流れの時間変化を速めていることにあるのです」(197ページ)。
「ヒトという生物体を考えたときには、ますます速められる変化のスピードに我々がどこまで耐えられるかという問題があります。
我々は化学変化を利用して人体というシ(213ページ)ステムを維持している動物です。
化学変化というのはあるタイムスケールでおこる現象です。体内の化学反応のタイムスケールより速い変化には我々は対応できません。
豊かさの獲得を時間変化を速めることで実現していくときに、あまりにも時間変化を速めすぎれば、からだが反応できなくなるという意味で、我々はヒトとして生きられる限界に直面するはずです」(214ページ)。
時間スピードへの反応速度は個人差があります。
既に現在の時間スピードに対応できないヒトは生まれているともいえるからです。
(25)インターネット社会
「現在の人間圏で最も特徴的なことを一つ挙げれば、インターネット社会です。…(192ページ)
インターネット社会の構成要素は、従来のような共同体ではなくて個人です。…
人間圏というシステムの、これ以上わけることのできない究極の構成要素が人間です。…(193ページ)
インターネット社会とか、個人をユニットにした人間圏は混沌と無秩序な人間圏なはずです。
それが人間圏の未来として描かれている姿です。
歴史に学ぶとすれば、分化が方向性ですから、インターネット社会が均質化の代わりにどのような新しい共同体を生みだすのかが重要な問題です」(194ページ)。
この部分はやや悲観的な論調で始まりましたが、結論はまだ出ていません。
むしろ肯定的な社会が想定されなくもないのです。
インターネット社会においては、少なくとも専制的な共同体は崩壊する条件が生まれます。
他方、個人を主体とする社会のありようは未確定です。
一般にインターネット社会から取り残されやすい人たち、機械が苦手な人、女性の多数が物事の決め手になる可能性さえあります。
手段が特化すると、全体への影響がある点を越えると広がらないのです。
個人的な自立というよりも、個人間のつながりがより大きな役割をもつ予感さえします。
インターネット社会は個人を孤立させる面と、個人を結びつける面の両方があります。
また対面的な個人の結びつきに代わり、非対面的な個人の結びつきを広げるともいえます。
共通の情報手段に基づく人の結びつきをつくることもあります。
共通の関心に基づく人の結びつきをつくることもあります。
総じてインターネット社会は人の結びつきや共同体の形成に関して、価値的には両価的です。
(26)所見
本書の終わりのほうは、同じことが角度を変えて繰り返されている。
未整理とも受け取れるし、角度を変えないと理解しづらい点があるとも受け取れます。
全体としては宇宙論の人間原理が注目される。
宇宙論の非人間原理による展開はありうるのか。
あるとすれば異なる宇宙論であるばかりではなく、異なる宇宙が存在することになるのではないか。
物理定数はどこまでが人間の判断できないもので、どこまでが約束事なのか、たぶん数学定数にもそのようなものがあるかもしれないが。
物理定数はそれ以外にありえないものが、それ以外に存在するとしたらどうなるのか。
それは別宇宙になるのではないか。