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不登校・引きこもりのその後・連絡情報

提供: 不登校ウィキ・WikiFutoko | 不登校情報センター
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不登校情報センターへの相談者などからその後の状況を知らせていただくことがあります。
このページはお名前など個人を特定する部分を伏せて紹介するコーナーです。
◎「不登校・引きこもりのその後・連絡情報」は、3回にわけて報告します。

2005年5月にまとめたもの(1)

掲載順001「よく合ったM学園を卒業

今年で娘は22歳になります。中学2年の時にいじめに合い対人恐怖症や神経症を患って、不登校になってしまいました。
病院の思春期外来に通い始め、その時にそちらの「不登校情報センター」を紹介していただきました。
その当時はどうしてよいかわからず、親としておろおろするばかりでしたが、不登校の情報誌等で同じ悩みを抱えている人達がいるのを知り、少しは気持ちが落ち着いたのを覚えております。
今でも、娘は当時のことが忘れられず、心が癒されることはないと言っておりますが、その頃に比べたら随分、落ち着いてきたように思います。
進学については、どうにか、中学校に案内状が来ていましたし、情報センターでも度々、ご紹介をいただきましたM学園を卒業することができました。
この時は、休むことも少なく、よく頑張りました。
娘には、この学校はとても合ったようです。
今の悩みは、元々人とのコミュニケーションが苦手で、人間関係が下手な娘ですので、他人の中で親しく接して話をする相手や友人がおりません。
現在は、家事の手伝いなどをさせておりますが、親としてそろそろ世の中に出て、働くなり、あるいは人の輪の中に入れる場所をさがして行くなりして社会勉強をして欲しいと思っているのですがなかなか見つからないのが悩みです。
病院のカウンセリングは今でも続けておりまして、一人で外に出て行動することは大丈夫のようです。
娘は既に学校を卒業しておりますので、進学の情報サービスは不要となりました。
就職関係や境遇が同じ人達(本人)の集まる場所、そしてともに何かを見つけ、働くことの指導をしていただけるようなそのような情報があったならば嬉しいのですが、これはとても難しいことかもしれませんね。

掲載順002「親からみても大人になった

初めまして、『ひきコミ』特別号を受け取りました。
おかげ様で私の心のささえでした。
親としては勉強をさせたかったのですが、子供の希望で今では、働いています。
自力で働いて、自分で生活したいというので同じ市内で一人暮らしをしています。
親から見ても大人になってきたと思います。

掲載順003「回り道をして大学3年生に

思い起こせば7~8年前、長男の不登校に遭遇し、新聞などで得た情報を頼りに貴所にも資料を請求したような記憶がございます。
ただ愚息の場合、引きこもりの対極のタイプにて、その後は一切コンタクトを取った覚えはないように記憶しております。
現状、彼は少々回り道を致しましたが、関西にて大学3年生の日々を過ごしております。
元気一杯で就きたい仕事も見えつつあり、年齢が大きい故、同輩にも頼りにされてる由。

掲載順004「全日制高校の3年生

長男が中学生の時、不登校で悩んでいた時に読ませていただいておりましたが、長男は現在高校三年生で全日制の通信科に進学しております。

掲載順005「高校を出て働いている

もう子供達は高校を出て、正社員として働いておりますし、自分達の会も7年も前に発展的にお開きになってしまいました。

掲載順006「いろいろ体験し親も成長

娘も現在仕事に従事して2年を過ぎました。
いろいろありましたし、これからこのまま順調に行くとも限りませんけど、ようやく親として落ち着くことができました。
いろいろ体験をし、私自身も少しは成長できたかなと思う昨今です。
いろいろかかわっていただいた方に感謝したいと思っています。

掲載順007「将来はカウンセラーの道

私の娘は、小3~中3まで不登校でした。
私学の校長の理解もあり、無事高校を卒業し、現在、大学4年生になります。
不登校の経験を生かし、カウンセラーの道を歩もうとしています。

掲載順008「高3で受験勉強中

中学時代不登校を経験した娘も、高校入学後は、危なっかしいながらも何とか通学しており、高3になった今は受験に向けて勉強しております。

掲載順009「大学院進学をめざしています

今から7~8年前、実際は9年前から息子は不登校でした。
認めたくなくても、登校を渋り、毎日眠ってばかりいました。
その子が今春大学を卒業します。
大学院進学をめざしてがんばる子になりました。
高校入学してから本人の気持ちが吹っ切れたようで、学業、部活、生徒会活動、クラス運営と、積極的に関わり、生き生きした迫力のある子どもに成長しました。
今まで貴会からの冊子を心の支えにしてきました私が、もう大丈夫と思えるようになりました。
「もしかして、また心を閉ざしたら・・・」という思いで今日まできました。
貴会の存在は、「お守り」みたいなものでした。

掲載順010「体調は不完全ながら大学めざす

私がそちらの会に伺ったのは数年前、娘が中2の頃でした。
朝になると体調が悪くなり、学校も欠席が多くなり、原因もはっきり解らないという状態が続いておりました。
その娘もそれをずっと引きずりながら現在高3になりました。
体調はすっかりよくなったとは言えませんが、少しずつよい方向に向かっている様子で、大学進学を目指して勉強しております。
あせらず見守っていきたいと考えております。

掲載順011「あれから10年、娘は社会人

子どもが中学生の頃不登校だったので、「こみゆんと」という本を送っていただいて読んでおりましたので、引続き情報を送って下さっているのでしょうか、感謝いたしております。
あの頃から10年余りたちまして、娘も普通の社会人をして生活しております。
その頃の話は娘としたことがありませんが、どちらにとりましても辛かったけれど、それで得たものも多かったのではないか、と思っております。

掲載順012「6年前に大検を取得

中学の先生の御心配から希望校受験を変更させられ、合格いたしましたが、それが本人の最後となりました。
子どもも親もいろいろありましたが、6年前に自分で大検を取得し、東京にて生活しております。

掲載順013「会計事務所に通勤中

私共の息子は、昨年初めより、通信で経理の勉強をしておりましたが、(5年もブランクがあり、しかも電子科で、まったく畑違いですが)いきなり3級合格、続いて2級も昨年11月に合格しまして、12月から、会計事務所に通勤しております。

掲載順014「通院しながら家で生活

娘(Y子、19歳)は、今精神科医への通院を、主に家での生活をしています。
フリースペースへの参加は、しばらくできないかと思います。
母親が、保健所の会に時々参加させて頂いています。
本人の状態がよくなり、皆様の会合にまた参加できるように、と願っております。

掲載順015「波はあるけど落ち着いています

子どもが登校拒否をしているときは、本当に、どこから手をつけて解決していったらよいか、毎日が戦いでしたが、おかげさまで、まだ多少は精神的な波はありますが、ようやく落ち着きだし、自分なりに考えを持つようになりました。
ありがとうございました。
今は、同じような状態にお子さんがなられた方へ、おせっかいながら、お電話etc でお話を聞く役として、心を少しでも軽くしていただいたらと、がんばっています。

掲載順016「大検合格 長い目で見守る

息子は昨年に大検を合格しまして、今年からアルバイトをしています。
少しづつゆっくりと、自分の進む道を見つけることと思います。
いろいろと母親として自分を見つめ直し反省させられました。
これからの事でも心配はつきませんが、本人の意思を信頼して長い目で見守ろうと思っています。

掲載順017「親元を離れて頑張る

その節は、いろいろな施設をご紹介頂きありがとうございました。
その中から娘の希望でG県の生活施設に今年の一月よりお世話になり、この三月より○○温泉のホテルで仕事をするようになりました。
生活施設にいる間にそこにいたお友達の紹介してもらい、仲よくして頂いて遊びに行ったりしています。
今日で20日位になりますが、頑張っているようです。
生活施設の方には、言い出したらガンコなところのある娘なので、苦労されたと思います。
仕事場から生活施設の方に出した娘の手紙によると、「今までは友達もいらないし、一人で生きて行こうと思っていたって、でも今はそうは思っていない」と書いてあったそうです。
それを聞いて本当にうれしかったです。
最初は、遠いし、半信半疑でG県にやったのですが、これでよかったのだと思います。
やはり親だけではだめな事もあるんですね。
仕事の方は、これからどうなるかわかりませんが、前の娘とは、違っていると思います。
まだまだ心配な事はいっぱいありますが、見守っていくしかないんですものね。

掲載順018「寝不足が心配なほど働いている

不登校生であった長男も25歳になり、ここ数年は寝不足が心配な程に働いています。
過ぎてしまえば何でもないことですが、渦中にあり、日々悩んでいらっしゃる方々のお気持ち、お察しいたします。
私の場合は、必ず動き出すと心から信じ、親子の普通の関係を保つようにしただけですが、1人1人状態が異なり、対応はむずかしいでしょう。

掲載順019「以前には考えられないほど行動的

県立高校中退いたしました息子でしたが現在通信教育を受けて、月二度ほど県立通信制高校に通っております。
通信に入るにあたっては本人が決めた事ですので、以降親の方から何のかんのと一切言わないようにしてきました。
中退に至るまでの日々は一日中自室にこもって、食事も顔を合わせないような状況でしたが、中退を決めてから少しづつほぐれてきて、今では自分の好きな事(ゲーム)のためには東京まで朝早くから出かけていくまでになりました。
行動が以前には考えられないほど積極的になってきて、それだけでも成長したかと安心しております。
勉強に関しては全面的に本人にまかせておりますので、どの程度になっているのかはわかりませんが、自分から進んで学校に行くようになりましたので、少しはやる気になっているのかと思います。
大検などと時々口にすることもありますが、なにぶんにも本人もこれからの方向がまだわからないようで、“何のために勉強するのか”が自分の中で解決できていない状況のように見えます。
姉とゲームにばかり熱中しているので先日みかねた主人が「これから先どのように食べていくつもりか!」と一喝(はじめてかもしれません)しましたら、ニ・三日前「アルバイトの面談うけてきた」と申しましたので、私のほうが驚いてしまいました。
「どうもダメそうな雰囲気だった」そうですが、少しでも社会のきびしさも知ってもらえたらとアルバイトに出る事に賛成しております。
もの静かなおとなしい子ですので今の時代のテンポに少しあわないかもしれません。
ゲームを通して、仲間もできてきたようです。
ニュースを見て、きびしい批判もするようになってきました。
この先あせらず、見守っていきたいと思うようになりました。ご報告まで。

掲載順020「真面目で不器用な正社員

現在息子は19歳になり、正社員として休むことなく頑張っています。
真面目で不器用なところが長所であり短所である事を頭におき、見守りたいと思います。

掲載順021「弟夫婦の子、今は落着いている

私の子どもではなく私の甥が中学一年の十一月から不登校になり、二年になり五月まで行ってその後三年はほとんど行かずでした。
その間弟から相談を受け、いじめが原因とかで転校でもと言ったこともありました。
卒業の時その後をどうするかで朝日新聞で拝見して情報センターから本をお送りいただき、弟夫婦に渡し、その後の資料も渡してきました。
高校は単位制のところに一年の六月まで行って、その後はほとんど行かなくなっていました。
とじこもるようになり家庭内暴力なところが出てきて、今は落着いているようです。
今も通っていれば今度三年生になれるのにと思ってしまうのです。
義妹も、学校よりとじこもりから解決していかなければと、諦めてしまっています。
私の子どもは女の子二人。高校の時、下の子が赤点を取ってきた事もありましたが、二人とも成人して不登校もせずでしたのでいろいろの資料を見て参考にしてきました。
本人次第という気がするのです。
自分の子どもではありませんので何とも歯痒いのですが、最近は本人とも会う事もありませんので難しいですね。

掲載順022「フィギュアを売る会社の副店長

わが子も高校を退学させられた頃は途方にくれました。
大検を自力で受け、20歳になった頃から働き始めました。
大好きなガンダムやウルトラマン等々のフィギュアを売る有限会社です。
お店に行ったり通販の処理をして、副店長として頑張っております。
三年ほどはひきこもりに近い状態でおりましたので、その頃は送って頂いたものが私共の心の支えになっておりました。
ありがとうございました。

掲載順023「ワンルームの大学生生活

高校一年の五月から不登校になり一年間“ひきこもり”状態でした。
その後大検、英検を受験し今は県内ですが1人でワンルームに入り、大学2年目を終えようとしております。
一年目は他大学の再受験を考え、ほとんど単位を取っておりません。
融通のきかない性格です。
私共もだんだん慣れて・・・今は見守るだけです。
子どもを信じるしかないと・・・。

掲載順024「大検から大学生に

私は五年ほど前に、息子のことで情報センターにお話を聞いていただいた者でございます。
その節は、本当にありがとうございました。
息子が中学二年生の頃から、学校、先生との関係がうまくいかず、生活も荒れ、出口の見えないトンネルの中にいるような毎日で、家族皆つらい思いをしておりました。
息子はなんとか都立高校に入学したものの高校一年で退学してしまいました。
学ぶことの大切さを根気よく話してきかせ、予備校に通い大検を受け、今は大学生として学校に通い、バイトも頑張っております。
息子も落ち着いてきて、今年は私たちの銀婚式を娘と一緒に祝ってくれました。
ようやく「長いトンネルから出られた」感じがしています。

掲載順025「定時制高校でスポーツに励む

本人は家は出たいが東京から離れたくない思いが強く、友達の何人かが公立高校の定時制に行くこともあり、四月から通い始めております。
定時制ということに親である私どもも抵抗がありましたが、四年間頑張ってくれればこれからの自分の人生に何かしら糧になるのではと思うようになりました。
勉強することが嫌いで楽に愉快に人生を過ごせたらいいと思っているのでしょうか。
高校に行かなくなった時ははがゆくもあり、とまどってしまいました。
二か月過ぎた今何とか仕事と両立しながら少しずつ落ち着きをとりもどしたような気が致します。
きっと苦労していらっしゃるであろう先生方に恵まれ、上級生にスポーツを通じての楽しさを思い出させてもらったようで野球やバスケットボールの練習に励んでおります。
全日制のクラブ活動と違ってそれほど厳しくもなく叱られることもないので、のびのび楽しめるのではないでしょうか。
まだまだ心配なことや気がかりは沢山ありますが、中学生の時スポーツをやっている時は感動するような集中力をみせてくれました。
ある私立高校では体力的にも運動センスにも差をまざまざと感じたのでしょうか、それに近づけるよう努力もしないで挫折したのでしょう。
自立したいのなら親を悲しませないような自立をしてくれたらよかったのですが、本当に不肖の息子です。
情報センターで普通ですよとおっしゃっていただいた言葉に慰められました。
働くこともいやではないようです。
それだけでも一つの安心です。
親である私どもも一つの反省として子どもを見守っていきたいと思っております。

掲載順026「希望の仕事のために専門学校に

5年前息子が高3の2学期に不安定になり県主宰の集会に参加致しましたがその後、その年度の3月に学校を卒業して大学に入りました(東京)。
大学は第1希望ではありませんでしたが同好会に入ったり外国に行ったりと・・・バイトなどをしていろいろ人生勉強をして過ごしたようです。
現在は希望の仕事につくために専門学校に行っています。 

掲載順027「自ら死、悔やまれてつらい毎日

長い間ひきこもりの状態にあった息子が昨年四月自ら死んでしまったのです。
中三の終わり頃から不登校になり、高校へも行かず家の農業を手伝ってきました。 ひきこもりではありましたが生活は乱れず、父親や祖母とよく働いてくれました。
CDやDVD、漫画本を揃えパソコンも買って、ようやく自分なりの楽しみを持ってるようになったと少しほっとしていました。
幼い時からおとなしい子でしたが最近はほとんど話さなくなり、そのことが心配でしたが「いつかきっと元気になってくれる」と家族みんなで見守ってきたつもりでした。
悔やまれることばかりでつらい毎日です。
ひきこもりに関する番組も、最近特に多く感じられ、もう少し早くこんなことを知っていたらと思うこともあります。
どうしてもっともっと何でもいいからあの子に話してやらなかったのか、どうして他の人や物につなげてやれなかったのか、悔やんでも悔やんでもどうにもならないことがつらいです。

掲載順028「大学院に進み、少しは自信

私の息子がこの3月にある私立大学を卒業しまして、4月より同大学の大学院に進学しました。
ここまでの経過を報告します。
1991年4月 中学入学
 92年1月 正月休みから不登校、時々登校する
 94年3月 中学卒業
 94年4月 高校入試に合格
   6月 不登校、その後学校には行けなくなる
 95年3月 高校退学
 95年秋? 大検合格
 97年   大学不合格
 98年   大学不合格
 99年2月 私立大学合格4月入学
2003年3月 私立大学卒業
   4月 私立大学大学院に
上記のような経過をたどりました。
この間いろいろなことがあり本人も私の家族も大変でした。
しかし大勢の方に助けられました。本人の精神的な不安定は、大学入学まで続きました。大学に入ってからは明るくなりました。
就職も決まったのですが、本人の希望により大学院に進学しました。
現在少しずつ自信が付き始めたようです。親としては不安が残りますが。 

掲載順029「一人は社会人、一人は結婚

子ども達も成長し、一人は社会人となり仕事に励んで一人は結婚し一時の母となり元気に過ごしており、お陰様でやっとそれぞれの道を歩むようになりました。

掲載順030「定時制の3年間に感謝

わが家の息子は今から7年前の丁度今ごろです。
中学2年の新学期が始まり2日目のときです。
朝、起きてこなくなり、体が動かなくなるほど怯え涙をボロボロ流しながら学校へ行けない!と訴えました。
とにかく突然のことで、何が起きたのかと、天と地がひっくり返ったような衝動をうけました。
引きずりながら行かせようともしました。
するとトイレに逃げ込み立てこもり、トイレから出てこなくなりました。
精神科に連れて行きましたが異常なしです。
いじめを疑い友達、先生等に聞きまわりましたが、結局真相ははっきりしませんでした。
一体どうしたらよいのか半年位は途方にくれた日々でした。
ついに2年間卒業の日まで1日も登校しませんでした。
わが子の出ない卒業式に参列し、息子の教室へ行き、一番後列の端にあったさびしそうな机を見せてもらい、卒業証書を先生から受け取り返ってきた道での涙は止まりませんでした。
スポーツが大好きで、友達が大好きで、勉強も一生懸命だった息子がなぜ?と思うと悲しくて・・・。
1年くらいたった頃、“生きているじゃないか”“健康そうだし”そう思えるようになってきたら元気と勇気と希望が湧いてきたのです。
精神科の先生からのアドバイスで子どものよいところ探しと、コミュニケーションを大切にする日々を送ることにしました。
すると息子もだんだんと元気になって来ました。
受容れること、親が変わること、をモットーに。
決して否定的な言葉や後悔するような言動は使わず、言葉を大切に使う事に努めました。
高校は単位制の定時制の高校を受験し合格しました。
この世の中でこのときほど学校に感謝した事はありませんでした。
大学入学よりもこのときの入学がうれしかったと思います。
肩身の狭い思いをしながらも、黙々と休まず学校へ通いとおして3年後に無事卒業しました。
去年一浪して今年の春、念願のM大学に入学しました。
このような結果は本当に想像していませんでした。
ただ、大学生にはさせてあげたかったのですごくうれしかったのです。
主人と2月15日速達が届いた日の感激がまだ冷め切れずにいます。
息子の努力と辛抱の日々は彼しかわからないと思います。
でも、いったん急降下し落ちたものは強い、そして上を見て努力し這い上がれば必ず明るい未来が見つかるという事を実証してくれたように思います。
私達夫婦もいっぱい彼から教えてもらいました。
深い愛情と子どもを信じる気持ちがあれば必ず立ち直るということを。
そんなわけで、わが家は不登校があったからこそ今の息子があるのだと本心で感じております。
不登校のおかげで親も目を覚まさせてもらいました。
20歳の息子の誕生日に出した手紙に“6年間いろいろの思い出をありがとう”“あなたのお母さんでよかった”と記しました。
全国の不登校が元気に、堂々と人生を歩んでいく事が私達の夢です。
頑張って下さいと伝えたくてこんな手紙を書きました。
読んで下さってありがとうございました。

掲載順031「10年後に定時制高校を卒業

昭和47年に生まれる。
17歳/公立高校2年の3学期に不登校になり、中退。
極度の低学力。
中退後、レストラン、コンビニ等でアルバイトをするが、いずれも長続きせず、そのうち家にいて昼夜逆転の生活。
T相談室という民間相談施設に相談する。本人は訪問面接。
母親は2週間に1度のカウンセリングに通う。
18歳/美容師になりたい、ということでT相談室のカウンセラーとその方向性ですすめ、某美容学校に入学。3日で行かなくなる
。 カウンセラーは母の私に問題がある、これ以上はカウンセリングを続けられない、と親子ともT相談室とは縁がきれる。
ショックで母親は抑うつ状態になり精神科クリニックへ。
薬物療法と精神療法を1年間受ける。本人が動き出すのを待つことにする。
23歳夏/不安発作のようなものを起こし、近所の病院で検査をしてもらったが異常なし。
本人は不眠を訴えたので、精神科を紹介される。そこを受診する。
家に一人でいることができなくなり、父や母の勤務先に「死にそうだ」と電話がかかってくる。
近所の人にも助けを求める。入院したい、と言い出す。
紹介されたS病院は入院希望者が多くて入院待機(3か月くらい)といわれ、やむを得ず、家から30分程度の精神病院に入院する。
あまりのひどさに、私のかかっていたクリニックの医師に相談して、家から3時間かかる病院に転院。差額ベッド代、5000円。
本人は頭の傷、不眠、愛のない親・・・等を訴える。
主治医は、将来的に障害者年金需給の可能性があるから国民年金はきちんと払っておくように、とアドバイスされる。
入院しても状態は好転せず、本人が近くのS病院に転院を希望したため、4か月で転院。
 24歳/引きこもりや人格障害、摂食障害等を専門に扱っている近くのS病院に入院。
この病院は教育のためか治療のためか、すぐに強制外泊の繰り返しで、最終的には強制退院となる。
1年間入院していた。
25歳/強制退院となったが、状態は極めて悪く、家にひとりでいることができない。
また、強制退院になったS病院の紹介状を持って、2箇所の病院を受診したがいずれも入院は断られた。
やむをえず、母親がかかっていたKクリニックに通院。
しかし、ここのデイケアも断られた。
一人でクリニックにも通院できない状態になり、家族が振り回される。
26歳/たまたまインターネットで、息子のような状態の若者を支援してくれる施設(共同作業所)を開いているご夫婦を知り、息子をお願いする。
とりあえず2週間あずかってもらい、共同作業所に参加する。近くのクリニックに転院。
精神衛生法第32条の適用を受ける、これが一つの転機となり、息子は2週間たっても留まりたい、ということになったので、近所にアパートを借りて共同作業所に通うこととなった。
一人で生活をしたことのない息子が、生活費は送金しているが、生活できるようになった。
頭の傷もよい形成外科医にかかり、手術をして本人は納得した。この頃から、親を非難することがなくなった。
少しずつ自分に自信がつき、アルバイトも週に2回くらいできるようになる。
27歳/近くに定時制高校があることを知り、4年に編入する。
28歳/無事高校を卒業。就職先はなく、落ち込む。ここまで頑張ったのに・・・・・・。
担任の紹介で、職業訓練校に7月入校。
現在にいたる。
☆夫があと2年で定年となるため、それからは援助できない、と伝えてあります(現在、家賃と生活費で15万円送金)。

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