日本語の言語的特色と精神文化の関係
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(「日本の美意識の感情的構造」、『美と宗教の発見』講談社文庫、153p)。<br> | (「日本の美意識の感情的構造」、『美と宗教の発見』講談社文庫、153p)。<br> | ||
+ | *少し脱線します。梅原さんのこの見解に私が魅了されたのは『美と宗教に発見』(講談社文庫、1976)所収の小論文「壬生忠岑『和歌体十種』について」によります。<br> | ||
+ | 壬生忠岑は平安時代前期の人。勅撰集『古今集』(905年成立)編者の1人です。<br> | ||
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犯罪問題に取り組んだ弁護士、青柳文雄『日本人の犯罪意識』(中公文庫、1986)の一節です。<br> | 犯罪問題に取り組んだ弁護士、青柳文雄『日本人の犯罪意識』(中公文庫、1986)の一節です。<br> | ||
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2023年2月16日 (木) 13:19時点における最新版
日本語の言語的特色と精神文化の関係
日本人の精神文化を日本語という言葉からから考えることもできます。
母音発声の多い日本語は、右脳と左脳の働きに独特の発達をさせました。
代表例として昆虫の声を聞き分けるのは日本人(だけ)であって、西洋人も他のアジア人も雑音にしかなりません。これは後天的なものと指摘されています。
母音の多い日本語は、左脳を特殊に発達させ、虫の声を聴き分けるほどであり、他の人類ではあまり見られない脳を形成したという研究です。
この右脳と左脳の働き方の特別性は、パトス(感情)とロゴス(論理)を融合させた言語表現を生み出したのです。
これを発見し、実験的方法で証明したのは耳鼻咽喉科の医師、角田忠信さんです。
日本人には秋の虫の声を聞き取る能力があるのに西洋人はそうではなかった。
角田さんはそれに関心をもちました。
日本人と西欧人を実験的な方法で比較した結果、右脳と左脳の認知機構の差を角田さんは次のように解剖学的な説明をします
(角田忠信『右脳と左脳 その機能と文化の異質性』、小学館創造選書、1981、67p)。
〇 西欧人は右脳で、音楽、西欧楽器音、機械音、雑音、感情音、母音・ハミング、泣き・笑い・嘆き、鳴き声、動物・虫・鳥、邦楽器音を聞き取ります。―パトス的・自然です。
西欧人は左脳で、言語音、子音(音節)、CV・CVCを聞き取り、また計算をします。
西欧人の左脳がロゴス的というのは、この役割分担から明瞭です。
〇 日本人の右脳は、音楽、西欧楽器音、機械音、雑音を聞き取ります。―日本人の左脳は、かなり広い分野の音を聞き取ります。
言語音、子音・母音、感情音、泣き・笑い・嘆き・甘え、ハミング、鳴き声、動物・虫・鳥、邦楽器音を聞き取り、そして計算をします。―心(ロゴス的・パトス的・自然的)
日本人の左脳は、ロゴス的であるとともにパトス的でもあります。
これは日本人のパトス的なロゴスの精神文化を考える上では見逃せないものです。
「西洋人の場合には、ひじょうに論理的な知的なものが言語脳に偏っている。これはロゴスで表される。
非言語脳はパトス的なものを分担する。しかも自然界にあるほとんどの音がこちらに入っている。
すなわち感情だとか自然な音がみなこちらに入っている。
そういう意味で音の分担としては、知的なロゴスとパトスを含めた自然全体とに分かれてしまう。そういうパターンになる。
ところが日本人の場合には、こちらの知的なもののなかに感情的なパトスが入りますし、それから自然の音も入ってします。
…昔から日本文化の特色とされているような情緒性とか自然性、むしろ非論理的といわれているようなことというのは、こういう聴覚を通しての自然界の認識の仕方が原点になっているのではないか。
西欧人や西欧文化は論理的ということで表現されますが、自然と対決してものごとを知的優位に処理していくいき方は、どうも脳の自然界の認識の仕方自身に違いがあるのではないか。
こういう音の処理の仕方が違うということはわれわれの自然とのかかわり方の違いを意味する」(68-69p)
角田さんの説はいろいろな方面に広げて考えられます。
ここでは日本人が感受性に強いだけではなく、情緒的な考え方や行動になるという面があり、聴覚を通して脳の働きに起因する点を確認しておきます。
パトス的ロゴスを別に論理展開したのは梅原猛さんです
(梅原さんは説明において角田さんの意見を参照していません。もしかしたら知らないまま和辻哲郎の“情的思惟”を分かりやすくしただけかもしれません)。
梅原さんはパトス的ロゴスの思考方法を、日本文化の時間的推移による「見えなくなったものを描く」ことにつながる幽玄性の説明に使いました。
梅原さんが指摘する中で重要なのは次の点です。パトス的ロゴスの思考方法は感情と論理が入り乱れて混乱しているのではないのです。
《感情構造は、決して「感情的に」語られるべきではなく、客観的に語られるべきであるからである。…感情の世界にも動かしがたいロゴス、それが美意識や文化の形を決定しているのである。
理性の世界だけにロゴスを見るのは、近視眼に他ならないが、感情の世界に、真に正しいロゴスを見つけるには、あくことない人間凝視が必要であろう。》
(「日本の美意識の感情的構造」、『美と宗教の発見』講談社文庫、153p)。
*少し脱線します。梅原さんのこの見解に私が魅了されたのは『美と宗教に発見』(講談社文庫、1976)所収の小論文「壬生忠岑『和歌体十種』について」によります。
壬生忠岑は平安時代前期の人。勅撰集『古今集』(905年成立)編者の1人です。
忠岑は和歌を十種類に分類しました。和歌における幽玄体は13世紀に藤原俊成が提示したのですが、忠岑はそれに先行し和歌十種類の最高体を高情体としました。
その感情分類における深い分析を梅原さんは高く評価しました。
「かなり精密な美的感情の分類であるばかりか、そこに一種の感情の発展運動さえ認められる」といいます(178p)。
梅原さんのパトス的ロゴスの説は、日本人の感情生活、精神文化の分析可能性を納得させます。
犯罪問題に取り組んだ弁護士、青柳文雄『日本人の犯罪意識』(中公文庫、1986)の一節です。
「日本語は同質の人の間に情緒を伝える言葉であって、自己の論理を見知らぬ相手に伝えるにはあまり向いていない。
家族の間では口に出しては言わなくても通じ合えるように、人の出入りもあまりなかったムラ社会では、かえって物事をはっきりさせない方がうまく行くことがあったのだろう。
そこに主語、客語をはっきりさせなくてもよい構造の言葉になった原因がある。
概念自体もあいまいなものが多く、例えば「前向きの姿勢で検討」することが決して肯定でないのに、外国語に訳されると「肯定」になって、誤解を生むようなことになる」(37p)
これもひきこもりの背景理由であると結びつけるのにはもう一段のステップを要するものと考えます。