団塊ジュニア世代
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− | 都市に出た若者は、そこで結婚し、新しい家族をつくりました。単世帯の核家族です。<br>民間アパートや社宅から始まり、人口増とともに住宅は増えました。公団・公営住宅は団地になりました。集合的な大型マンションも増えました。<br> | + | 都市に出た若者は、そこで結婚し、新しい家族をつくりました。単世帯の核家族です。<br> |
+ | 民間アパートや社宅から始まり、人口増とともに住宅は増えました。公団・公営住宅は団地になりました。集合的な大型マンションも増えました。<br> | ||
この中心的世代は、日本の戦後復興を支えた1935—1955年生まれで、その中心は団塊世代といわれています。<br>この人たちがニューファミリーとよばれるようになったのです。<br> | この中心的世代は、日本の戦後復興を支えた1935—1955年生まれで、その中心は団塊世代といわれています。<br>この人たちがニューファミリーとよばれるようになったのです。<br> | ||
− | ニューファミリーは、新しい住宅で新しい生活様式をつくりました。それは家財(すなわち商品購入)で見ると、初めはテレビ、洗濯機、冷蔵庫であり、日常生活を改善する大量の消費を発生させました。<br>これが国内市場を大きくし、生産活動を高め、日本は高度な経済社会に向けて成長しました。<br> | + | ニューファミリーは、新しい住宅で新しい生活様式をつくりました。それは家財(すなわち商品購入)で見ると、初めはテレビ、洗濯機、冷蔵庫であり、日常生活を改善する大量の消費を発生させました。<br> |
+ | これが国内市場を大きくし、生産活動を高め、日本は高度な経済社会に向けて成長しました。<br> | ||
この団塊世代の購入の最後は住宅です。はじめの小さな借家から始まり、より広い住宅に、さらに郊外の戸建て住宅にすすみました。<br> | この団塊世代の購入の最後は住宅です。はじめの小さな借家から始まり、より広い住宅に、さらに郊外の戸建て住宅にすすみました。<br> | ||
− | その子どもたちは、やがて団塊ジュニアとよばれ、1970年代半ばから1990年ごろに生まれた人が中心になります。<br>団塊ジュニア世代の商品購入(彼ら彼女らの自由選択に思えますが、社会にその条件ができていることが前提)はエアコン(クーラー)、電子レンジ、乗用車(いわゆる3Cといわれる)です。<br> | + | その子どもたちは、やがて団塊ジュニアとよばれ、1970年代半ばから1990年ごろに生まれた人が中心になります。<br> |
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− | この達成のなかに、次の転換をよびおこす要素が生まれていました。<br>ある達成は次の転換の始まりでもあります。この後は平成不況といわれる時期に入ります。<br>いろいろな方面に表われますが、1991年のバブル経済の崩壊を劇的な変化の始まりとして見ることができるでしょう。<br> | + | これも大量の消費商品市場を生み出しました。<br> |
+ | 大都市郊外に広がる住宅団地を中心に、都市内部の大型マンションなどで核家族化したニューファミリー型の家族は、ゆたかな生活ができる社会を実現したのです。<br> | ||
+ | 「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といわれたのは、1970年代後半から1980年代後半のことです。日本は高度に発達した経済社会に到達しました。<br> | ||
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ひきこもりの背景となる面で私が気づくことに絞って挙げてみます。<br> | ひきこもりの背景となる面で私が気づくことに絞って挙げてみます。<br> | ||
(1)1つは市場の限界です。モノ(商品)が売れなくなりました。生活に必要な商品がいわば飽和状態に入ったことです。例外といえるのは携帯電話(後にスマホ)です。<br> | (1)1つは市場の限界です。モノ(商品)が売れなくなりました。生活に必要な商品がいわば飽和状態に入ったことです。例外といえるのは携帯電話(後にスマホ)です。<br> | ||
− | (2)商品販売ルートの最先端にコンビニが本格的に登場したのは1970年代のことです。ややおくれて、百円ショップ型の小型店も表われました。<br>これは全体的な消費の減少の中でより安く、しかも品質は維持された状態で入手できるものです。<br>岩間夏樹『若者の働く意識はなぜ変わったのか』(ミネルヴァ書房、2021)は、コンビニと、携帯電話の登場がニューファミリー型家族を、空洞化したと明らかにしています。<br> | + | (2)商品販売ルートの最先端にコンビニが本格的に登場したのは1970年代のことです。ややおくれて、百円ショップ型の小型店も表われました。<br> |
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− | (4)日本人の家財の考え方が、所有からリース(借入)に徐々に移っています。<br>合わせて「モノ」よりも「ココロ」を大事にする生活や働き方が求められる時期に移行しつつあります。これは項を変えて説明します。<br> | + | 岩間夏樹『若者の働く意識はなぜ変わったのか』(ミネルヴァ書房、2021)は、コンビニと、携帯電話の登場がニューファミリー型家族を、空洞化したと明らかにしています。<br> |
+ | (3)家族の生活基盤のサポート体制が、地縁・血縁関係から高度経済成長期には職場に移っていました。<br> | ||
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岩間さんは、このニューファミリー型家族のおかれた変化を次のように表わしています。<br> | 岩間さんは、このニューファミリー型家族のおかれた変化を次のように表わしています。<br> | ||
− | 《これが昨今の家族像である。20世紀が家族の時代で、それが過去のものになった、というのはこういうことだ。<br> | + | 《これが昨今の家族像である。20世紀が家族の時代で、それが過去のものになった、というのはこういうことだ。<br> |
− | こうなると、所帯という言葉になつかしい響きを感じる。湯気のたつ味噌汁や、家族全員で見るテレビ、山ほどの洗濯物、そんな風景を思い出す。<br> | + | 「家族の時代」は、大正の末から昭和の初め頃、都市部に増えた戦前型近代家族に始まる。<br> |
+ | その後、高度成長期が軌道に乗った時、我々はそれまでの大家族を捨て、夫婦とその子どもだけで構成される小規模な核家族を生活の単位とした。<br> | ||
+ | 核家族は消費の単位でもあり、そこに次々と世帯財がコレクションされた。<br> | ||
+ | しかし、コレクションの最後に手に入れた3LDKはあっというまにホテル化してしまい、さらにコンビニと携帯電話によってとどめをさされた。<br> | ||
+ | 我々の生活は個人単位のものに大きくシフトした。<br> | ||
+ | こうなると、所帯という言葉になつかしい響きを感じる。湯気のたつ味噌汁や、家族全員で見るテレビ、山ほどの洗濯物、そんな風景を思い出す。<br> | ||
+ | そういった生活が過去のものになりつつあるとしても、別に悲観することはない。<br> | ||
+ | 結局のところ、我々は自分たちの感受性にフィットするライフスタイルを選択しているだけのことだ。<br> | ||
+ | ただ「家族の時代」のイメージがあまりにも強烈だったため、この新しいタイプのライフスタイルにキャッチ・アップできていない制度や社会システムがあることを忘れてはならない。<br> | ||
+ | 特に行政はいまだに、この空洞化してしまった「世帯」を生活単位と考える傾向にある。》(143p)<br> | ||
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+ | 団塊ジュニア世代(1970年半ば以降生まれ)が思春期を迎える1980年代の中ごろから不登校が増大します。<br>1990年代に入ったころから、ひきこもりが増大します。<br> | ||
+ | 彼らはまたいわゆる氷河期(就職難)世代に当たります。<br> | ||
+ | この世代は、社会の大きな変化に正面からつき当たり、その一部が社会から一歩退く形で、すなわちひきこもりで対応していたと思えるのです。<br> | ||
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2023年10月3日 (火) 15:22時点における最新版
団塊ジュニア世代
- 1970年代半ば以降(1990年過ぎまで)に生まれた世代
高度経済成長期に工業地帯・都市に集まった若者たちは、家族を離れたために、従来の集合的核家族に大きな影響を与えました。
集合的核家族は大きな変化を受けたのですが、変化はこれで終わったのではなく、さらに続きました。
都市に出た若者は、そこで結婚し、新しい家族をつくりました。単世帯の核家族です。
民間アパートや社宅から始まり、人口増とともに住宅は増えました。公団・公営住宅は団地になりました。集合的な大型マンションも増えました。
この中心的世代は、日本の戦後復興を支えた1935—1955年生まれで、その中心は団塊世代といわれています。
この人たちがニューファミリーとよばれるようになったのです。
ニューファミリーは、新しい住宅で新しい生活様式をつくりました。それは家財(すなわち商品購入)で見ると、初めはテレビ、洗濯機、冷蔵庫であり、日常生活を改善する大量の消費を発生させました。
これが国内市場を大きくし、生産活動を高め、日本は高度な経済社会に向けて成長しました。
この団塊世代の購入の最後は住宅です。はじめの小さな借家から始まり、より広い住宅に、さらに郊外の戸建て住宅にすすみました。
その子どもたちは、やがて団塊ジュニアとよばれ、1970年代半ばから1990年ごろに生まれた人が中心になります。
団塊ジュニア世代の商品購入(彼ら彼女らの自由選択に思えますが、社会にその条件ができていることが前提)はエアコン(クーラー)、電子レンジ、乗用車(いわゆる3Cといわれる)です。
これも大量の消費商品市場を生み出しました。
大都市郊外に広がる住宅団地を中心に、都市内部の大型マンションなどで核家族化したニューファミリー型の家族は、ゆたかな生活ができる社会を実現したのです。
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といわれたのは、1970年代後半から1980年代後半のことです。日本は高度に発達した経済社会に到達しました。
この達成のなかに、次の転換をよびおこす要素が生まれていました。
ある達成は次の転換の始まりでもあります。この後は平成不況といわれる時期に入ります。
いろいろな方面に表われますが、1991年のバブル経済の崩壊を劇的な変化の始まりとして見ることができるでしょう。
ひきこもりの背景となる面で私が気づくことに絞って挙げてみます。
(1)1つは市場の限界です。モノ(商品)が売れなくなりました。生活に必要な商品がいわば飽和状態に入ったことです。例外といえるのは携帯電話(後にスマホ)です。
(2)商品販売ルートの最先端にコンビニが本格的に登場したのは1970年代のことです。ややおくれて、百円ショップ型の小型店も表われました。
これは全体的な消費の減少の中でより安く、しかも品質は維持された状態で入手できるものです。
岩間夏樹『若者の働く意識はなぜ変わったのか』(ミネルヴァ書房、2021)は、コンビニと、携帯電話の登場がニューファミリー型家族を、空洞化したと明らかにしています。
(3)家族の生活基盤のサポート体制が、地縁・血縁関係から高度経済成長期には職場に移っていました。
その拠り所であった職場が、バブル経済の崩壊とともにその地位を大きくゆるがせました。
それらに代わる生活基盤サポートの拠り所は、社会全体を見直しても十分にできないままであり、不安材料を広く抱えたままの社会になりました。
(4)日本人の家財の考え方が、所有からリース(借入)に徐々に移っています。
合わせて「モノ」よりも「ココロ」を大事にする生活や働き方が求められる時期に移行しつつあります。これは項を変えて説明します。
岩間さんは、このニューファミリー型家族のおかれた変化を次のように表わしています。
《これが昨今の家族像である。20世紀が家族の時代で、それが過去のものになった、というのはこういうことだ。
「家族の時代」は、大正の末から昭和の初め頃、都市部に増えた戦前型近代家族に始まる。
その後、高度成長期が軌道に乗った時、我々はそれまでの大家族を捨て、夫婦とその子どもだけで構成される小規模な核家族を生活の単位とした。
核家族は消費の単位でもあり、そこに次々と世帯財がコレクションされた。
しかし、コレクションの最後に手に入れた3LDKはあっというまにホテル化してしまい、さらにコンビニと携帯電話によってとどめをさされた。
我々の生活は個人単位のものに大きくシフトした。
こうなると、所帯という言葉になつかしい響きを感じる。湯気のたつ味噌汁や、家族全員で見るテレビ、山ほどの洗濯物、そんな風景を思い出す。
そういった生活が過去のものになりつつあるとしても、別に悲観することはない。
結局のところ、我々は自分たちの感受性にフィットするライフスタイルを選択しているだけのことだ。
ただ「家族の時代」のイメージがあまりにも強烈だったため、この新しいタイプのライフスタイルにキャッチ・アップできていない制度や社会システムがあることを忘れてはならない。
特に行政はいまだに、この空洞化してしまった「世帯」を生活単位と考える傾向にある。》(143p)
団塊ジュニア世代(1970年半ば以降生まれ)が思春期を迎える1980年代の中ごろから不登校が増大します。
1990年代に入ったころから、ひきこもりが増大します。
彼らはまたいわゆる氷河期(就職難)世代に当たります。
この世代は、社会の大きな変化に正面からつき当たり、その一部が社会から一歩退く形で、すなわちひきこもりで対応していたと思えるのです。
私の運営した居場所の集まり、関わった人の大部分はこの世代の人たち、団塊ジュニア世代です。