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学校改革と教育の対応

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==学校改革と教育の対応策==
 
==学校改革と教育の対応策==
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学校というか教育側が不登校に対してどう対応してきたかの概括しておこうと思います。<br>
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これには、いじめを含む学校内での生活指導など多くのことを含むわけですが、それらを捨象して制度面を取り上げます。<br>
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80年代の半ばから不登校の子どもが増えました。<br>
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中学生と小学校高学年、すなわち思春期を迎えた子どもたちから不登校は表われ、増えていきました。<br>
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初めに動いたのは親たちでした。<br>
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自分の子どもの不登校状態に基づいて各地に不登校の親の会が生まれ、周辺に相談室とフリースクールがつくられました。<br>
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この三者は1つのグループを組んで成長し広がりました。<br>
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こういう主に親とその周りの支援者の動きに押されるように、当時の文部省は教育委員会が適応指導教室をつくり対応するように図りました。<br>
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学校本体には手を付けずその外側で対処する方策です。適応指導教室の目的は学校復帰でした。<br>
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しかし、学校復帰の目標は空回りになり、やがて「不登校は誰にでも起こりうる」の判断になります。事実上「学校復帰」棚上げです。<br>
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そうこうする数年のうちに義務教育後の高校において通信制高校とそのサポート校が急増します。<br>
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従来の仕組みであった大検も受験生が増大し、これも高卒認定試験と名前を変え、制度の微修正をしました。<br>
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公立高校においては昼間定時制高校が全国にできました。<br>
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高校卒業に必要な単位数も減らして74単位、その結果、本来は4年制の高校定時制・通信制課程を3年で終えるという三修制が可能になりました。<br>
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これが90年代から2000年代初めにかけて生まれたことです。<br>
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これらの制度変更は評価できる面もありますが、主流である学校本体には手を付けない、知育偏重になりがちな教育内容にはふれない、しかもあまり教育予算を増やさない範囲での改善策であったとも言えます。<br>
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親たちが考えた学校に変わってほしいという願いは、「もっと子ども一人ひとりに目が届くような教育」「知識の詰込み型ではなく自分で考えていけるように」など多様でありました。<br>
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それらの教育改革の中心部分にはあまち手を出せなかったとも言えます。<br>
  
学校はどうでしょうか。現在は子育てカウンセラーをしている元教師の意見を聞いてみます。やや長いですが、要点を抜き出してある点は了解してください。
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先に紹介した徳野貞雄さんが語る学校の見方・役割もここで紹介しておきます。<br>
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農村地域では小学校・中学校が存続していることは地域存続の条件であり、その証明と思えるものです。<br>
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徳野さんは社会の変化の中で学校の役割を次のように描いています。<br>
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「社会の近代化と言うのは、家庭の持っていた生産共同機能と生活拡充機能を、製造業やサービス業として専門分化したものと言えます。<br>
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そして、この仲介をするのが学校教育だと思ってください。…学校は、産業化により猛烈に発展しました。<br>
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家族や故郷から人間を、子どもを引き離して、別の経済的な、また生産上も職業上も効率のいい組織に変えていくのが学校です。<br>
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学校で訓練し、企業へ就職するという形で展開させていく。すると、社会全体ではものすごく豊かになります。<br>
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個人的にはお金も入って時間もできる。自動車にも乗れるし、食べ物も買える、クーラーもあって夏は快適に過ごせるし、テレビも見られる。<br>
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そういった、一見豊かな社会ができたけれども、今度は…人々は孤立したり精神的に不安定になったりします。<br>
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日本の場合はこれをたった四〇年で急激にやってしまった。だから皆あたふたしているのです。」<br>
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(徳野貞雄・前掲『農村の幸せ、都会の幸せ』、125-126p)<br>
  
《責任者は誰だ?
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ここまで広げて学校や教育の課題を扱うのでは収拾がつきません。<br>
青少年の凶悪事件が起き、今どきの子どもの“育ち”に世間の関心が集まるたび、必ず教育改革が話題となる。かつては、「学校での詰め込み教育が原因だ」と批判を浴び、“ゆとり教育”が打ち出された。それが昨今では、「学力の低下を招いた」と問題視されるようになってきた。そのたびに、現場の教師たちは右往左往する。
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ところが実際に親の仕事上の問題や家族内の事情、衣食住にかかわる相談まで教師に持ち込まれることがありました。<br>
1980年代に、中学校での校内暴力がピークを迎えた頃、私は小学校の教師をしていた。ある時、中学校の教師に、「小学校での指導に、問題があるのではないか」とぼやかれたことがあった。「今の中学生は、入学した時からすでに、昔とは違うやりにくさがある」というのが、その教師の言い分だった。
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そういう背景事情が子どものいろいろな行動や心身状態に関係するので、避けられないのです。<br>
1990年代に入り、今度は、小学校での学級崩壊やいじめの問題が深刻化してきた。そんな頃、一部の小学校教師の間では、「幼稚園での指導に原因があるのではないか」という声があがっていた。そもそも入学してきた時から、子どもの様子がおかしい。入学式の途中であきてしまい、椅子の上に乗って後ろを眺めだす子どもが一人や二人ではない。教室でも椅子に座っていられず、勝手に歩き回る子どもが大勢いる。昔の子どもは、こんなではなかった。
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とくに熱意のある教師は何もできなかったにしても親との協力関係をそこからつくった人は多くいます。<br>
現場の教師たちには、「学校教育が元凶だ」という声があがるたび、空しさを覚える。もちろん、学校の教育体制にも改善の余地はあるだろう。しかし、そもそもスタートの時点で子どもがおかしいのだから、原因は入学以前にあるはずだ。かくて、中学校の教師は小学校を疑い、小学校の教師は幼稚園や保育園のせいではないかと疑う。
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権限が及ばない事態まで学校の役割が期待されるというのはこれらのことを指しているのです。<br>
それでは子どもの変質の原因は、幼稚園や保育園の指導のあり方にあるのだろうか。幼稚園では、1990年代に、“自由保育”の考え方が急速に広まった。画一的なカリキュラムに縛りつけるのではなく、子どもの自由な発想や自主性を重んじようという指導方法である。「自由保育によって、しつけがおろそかになったから、小学校の教師が苦労するのだ」という声に対して、幼稚園のベテラン教師たちは言う。「入園の時から、昔の子どもとは違うので、私たちも苦労しているのです」。
+
こういう動きの中で、文科省の範囲をこえる制度上の変更が表れ始めました。
そもそも入園時から、従来のカリキュラムには乗ってこられない子どもが増えてきた。その状況に対応するための“苦肉の策”という側面が、自由保育全盛の陰にあるのだという。「今の母親は、昔とずいぶん変わってきましたからねえ。親の育て方が、一番の問題なのではないでしょうか」。
+
2011年に高校教育費の公費負担の導入(高校学費の実質ゼロ)、2016年の教育機会確保法(フリースクール等の制度的な公認)がそれです。
かくして責任者捜しの矢は、中学校、小学校、幼稚園を経て、母親へと突き刺さる。子どもの変質の原因は、親の育て方にあるのだろうか?
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夜間中学を正式に取り上げ始めたのもこの時です。
 
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2020年のコロナ禍の中で小学校の学級定数35人が約束されたのは親たちの、それを支援する教師や関係者の取り組みの結果です。<br>
現場の教師たちが口を揃えて言うのは、親のタイプの二極化だ。昔も、それなりに無神経な親はいたし、神経質な親もいた。しかし大多数は、そのどちらの極端でもない“普通の親”だった。
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いじめも重大事件が頻発し、社会問題となって文科省は積極的に取り上げるようになりました。<br>
ところが今は、子どもに対する配慮に欠け、まるで自分が“子ども”のように傍若無人に振る舞う“とんでもない親”が確実に増えている。その一方で、子どもの一挙手一投足を気にしすぎ、親としての重圧にあえぐ“まじめすぎる親”も増えているのだという。
+
いじめの重大事案に関しては教育委員会として第三者委員会を設置して調査する対応策ができました。<br>
 “とんでもない親”の子どもに、様々な問題が生じてくるであろうことは容易に想像できる。それでは“まじめすぎる親”に対しては、「気にしすぎないように」とアドバイスしていれば、事足りるのだろうか。
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これは解決策ではありませんが、いじめの隠ぺいする対応は認められなくなりました。<br>
相談室を訪れるのは、子育てに行きづまっている現状をなんとか打開したいと思って来るのだから、大半はまじめな親だ。「気にしすぎ」の傾向をもつ親もいる。
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これらは間違いなく大きな前進です。<br>
しかし、よく話を聞いてみると、大半のケースでは、「気にしすぎてしまうのも、無理もない経過」がある。つまり、親の育て方うんぬんの前に、もともと「育てにくい子ども」だったために、悪循環に陥ってしまったのである。》
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私はこの見方、状況判断とおおむね同じであり、教師の目から見た親たちの状況には学ぶべき点があります。そのうえで学校というか教育側が不登校に対してどう対応してきたかの概括しておこうと思います。これには、いじめを含む学校内での生活指導など多くのことを含むわけですが、それらを捨象して制度面を取り上げることにします。
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80年代の半ばから不登校の子どもが増えました。中学生と小学校高学年、すなわち思春期を迎えた子どもたちから不登校は表われ、増えていきました。初めに動いたのは親たちでした。各地に不登校の親の会が生まれ、周辺に相談室とフリースクールがつくられました。この三者は1つのグループを組んで成長し広がりました。
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こういう主に親とその周りの支援者の動きに押されるように、当時の文部省は教育委員会が適応指導教室をつくり対応するようにしました。学校本体には手を付けずその外側で対処する方策です。適応指導教室の目的は学校復帰でした。しかし、学校復帰の目標は空回りになり、やがて「不登校は誰にでも起こりうる」の判断になります。
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そうこうする数年のうちに義務教育後の高校において通信制高校とそのサポート校が急増します。従来の仕組みであった大検も受験生が増大し、これも高卒認定試験と名前を変え、制度の微修正をしました。高校卒業に必要な単位数も減らして74単位、その結果、本来は4年制の高校定時制・通信制課程を3年で終えるという三修制が可能になりました。これが90年代から2000年代初めの状況です。
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これらの制度変更は評価できる面もありますが、主流である学校本体には手を付けない、知育偏重になりがちな教育内容にはふれない、しかもあまり予算を使わない範囲での改善策であったと考えられます。
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親たちが考えた学校に変わってほしいという対象は、「もっと子ども一人ひとりに目が届くような教育」「知識の詰込み型ではなく自分で考えていけるように」など多様でありましたが、それは教育改革の中心部分に手を付けざるを得ず、基本的には手を付けないできました。
+
2011年に高校教育費の公費負担の導入(学費の実質ゼロ)、2016年の教育機会確保法(フリースクール等の制度的な公認)、2020年のコロナ禍の中で小学校の学級定数35人が約束されたのは親たちの、それを支援する教師や関係者の取り組みの結果です。
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これらは間違いなく大きな前進ですが、ではこれによって不登校を含む教育内容は解決するのでしょうか。いや解決とは何を指すのでしょうか。初めに紹介した元教師・現子育てカウンセラーさんの提示している内容にどこまで関係するでしょうか。子どもとともに毎日生活している親や教師の課題に応えられるのでしょうか。
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先に紹介した徳野さんが語る学校の見方・役割もここで紹介しておきます。
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農村地域では小学校・中学校があることは地域存続の条件であり、その証明と思えるものです。ただこれは農村部・都市部に分けてみることは難しいと思えます。徳野さんは社会の変化の中で学校の役割を次のように描いています。
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「社会の近代化と言うのは、家庭の持っていた生産共同機能と生活拡充機能を、製造業やサービス業として専門分化したものと言えます。そして、この仲介をするのが学校教育だと思ってください。…学校は、産業化により猛烈に発展しました。
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家族や故郷から人間を、子どもを引き離して、別の経済的な、また生産上も職業上も効率のいい組織に変えていくのが学校です。学校で訓練し、企業へ就職するという形で展開させていく。すると、社会全体ではものすごく豊かになります。個人的にはお金も入って時間もできる。自動車にも乗れるし、食べ物も買える、クーラーもあって夏は快適に過ごせるし、テレビも見られる。
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そういった、一見豊かな社会ができたけれども、今度は…人々は孤立したり精神的に不安定になったりします。
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日本の場合はこれをたった四〇年で急激にやってしまった。だから皆あたふたしているのです。」(徳野貞雄・前掲『農村の幸せ、都会の幸せ』、125-126p)
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ここまで広げてしますと収拾がつかないので、不登校の問題、いじめの発生あたりに課題を限定して改善・解消に向かうと期待できるのか考えてみましょう。
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子どもの成長の条件は、健全な社会を構成する一部であり、結局は社会制度の根幹が変わらない限り未達成にならざるを得ません。不登校という状態は不登校生が増大し、それを補充する制度が充実することによって改善に向かうことが明白になりました。各地の教育委員会が取り組んだ不登校生ゼロというのは目標を見誤っているのです。決して不登校生がいなくなることによっては解決しないからです。
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解決とは社会制度の基本に手を付けざるを得ないものであり、学校の仕組みや教育の対応のなかでは、目標を達成することはできないのです。不登校生ゼロ目標で取り組んだ教訓はそこではないでしょうか。可能な範囲の改善や対応がされたかといえば不十分です。それでも制約された条件の中で着実に前進してきた、満足はできないけれどもこう評価するのが正当であろうと思います。
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ではこれによって不登校を含む教育内容は解決するのでしょうか。いや解決とは何を指すのでしょうか。<br>
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子どもとともに毎日生活している親や教師の課題に応えられるように進んだのでしょうか?<br>
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不登校の問題、いじめの発生あたりに課題を限定して、学校がこの数十年にしてきたことを振り返りましょう。<br>
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子どもの成長の条件は、健全な社会を構成する一部であり、結局は社会制度の根幹が変わらないかぎり達成できません。<br>
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逆に教育の場面から社会問題に立ち向かう人が生まれる背景でもあります。<br>
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しかしある程度はっきりしたことがあります。<br>
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各地の教育委員会が取り組んだ不登校生ゼロというのは目標を見誤っているのです。<br>
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決して不登校生がいなくなるのが解決に向かうのではありません。<br>
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不登校の子どもたちは意図しないけれども事態の不正常を浮かび上がらせたのです。<br>
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ゼロにする対象は学校に潜む不正常な事態であり、不登校の子どもではないのです。<br>
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不登校という状態は不登校生が増大し(時代の変化をキャッチする感度の鋭さからは学ぶべき)、それを受けて制度の改善に向かいます。<br>
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言い換えると大きく変貌した社会に対応するための新しい学校制度、もしかしたら学校というにはなじまない教育制度か教育方法によって不登校という事態が消滅する可能性を示しています。<br>
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解決とは社会制度の基本に手を付けざるを得ないものであり、学校の仕組みや教育の対応のなかに限定しては、目標を達成することはできないでしょう。<br>
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不登校生ゼロ目標で取り組んだ教訓はそこではないでしょうか。<br>
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そういう判断において可能な範囲の改善や対応がされたかといえば不十分です。<br>
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それでも制約された条件の中で着実に前進してきた、満足はできないけれどもこう評価するのが正当であろうと思います。<br>
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今回の新型コロナ感染症の大流行により、通学しない子どもは相当に増えていくでしょう。<br>
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実際はこの感染症がなくても増える傾向ですが、教育行政当局はコロナ感染を理由として説明しやすくなりました。<br>
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しかし、学校に通学しない子どもの教育をどうするのか、民間や住民のなかに生まれる教育の取り組みをどう支えるのか、すぐ横に大きな課題が現われています。<br>
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これは不登校情報センターを立ち上げから26年を経た私の中間報告でもあります。<br>
  
 
[[Category:ひきこもりパラドクス|がっこうかいかく]]
 
[[Category:ひきこもりパラドクス|がっこうかいかく]]
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[[Category:不登校情報センター・五十田猛・論文とエッセイ|2021年11月23日]]

2022年3月9日 (水) 14:07時点における最新版

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学校改革と教育の対応策

学校というか教育側が不登校に対してどう対応してきたかの概括しておこうと思います。
これには、いじめを含む学校内での生活指導など多くのことを含むわけですが、それらを捨象して制度面を取り上げます。
80年代の半ばから不登校の子どもが増えました。
中学生と小学校高学年、すなわち思春期を迎えた子どもたちから不登校は表われ、増えていきました。
初めに動いたのは親たちでした。
自分の子どもの不登校状態に基づいて各地に不登校の親の会が生まれ、周辺に相談室とフリースクールがつくられました。
この三者は1つのグループを組んで成長し広がりました。
こういう主に親とその周りの支援者の動きに押されるように、当時の文部省は教育委員会が適応指導教室をつくり対応するように図りました。
学校本体には手を付けずその外側で対処する方策です。適応指導教室の目的は学校復帰でした。
しかし、学校復帰の目標は空回りになり、やがて「不登校は誰にでも起こりうる」の判断になります。事実上「学校復帰」棚上げです。
そうこうする数年のうちに義務教育後の高校において通信制高校とそのサポート校が急増します。
従来の仕組みであった大検も受験生が増大し、これも高卒認定試験と名前を変え、制度の微修正をしました。
公立高校においては昼間定時制高校が全国にできました。
高校卒業に必要な単位数も減らして74単位、その結果、本来は4年制の高校定時制・通信制課程を3年で終えるという三修制が可能になりました。
これが90年代から2000年代初めにかけて生まれたことです。
これらの制度変更は評価できる面もありますが、主流である学校本体には手を付けない、知育偏重になりがちな教育内容にはふれない、しかもあまり教育予算を増やさない範囲での改善策であったとも言えます。
親たちが考えた学校に変わってほしいという願いは、「もっと子ども一人ひとりに目が届くような教育」「知識の詰込み型ではなく自分で考えていけるように」など多様でありました。
それらの教育改革の中心部分にはあまち手を出せなかったとも言えます。

先に紹介した徳野貞雄さんが語る学校の見方・役割もここで紹介しておきます。
農村地域では小学校・中学校が存続していることは地域存続の条件であり、その証明と思えるものです。
徳野さんは社会の変化の中で学校の役割を次のように描いています。
「社会の近代化と言うのは、家庭の持っていた生産共同機能と生活拡充機能を、製造業やサービス業として専門分化したものと言えます。
そして、この仲介をするのが学校教育だと思ってください。…学校は、産業化により猛烈に発展しました。
家族や故郷から人間を、子どもを引き離して、別の経済的な、また生産上も職業上も効率のいい組織に変えていくのが学校です。
学校で訓練し、企業へ就職するという形で展開させていく。すると、社会全体ではものすごく豊かになります。
個人的にはお金も入って時間もできる。自動車にも乗れるし、食べ物も買える、クーラーもあって夏は快適に過ごせるし、テレビも見られる。
そういった、一見豊かな社会ができたけれども、今度は…人々は孤立したり精神的に不安定になったりします。
日本の場合はこれをたった四〇年で急激にやってしまった。だから皆あたふたしているのです。」
(徳野貞雄・前掲『農村の幸せ、都会の幸せ』、125-126p)

ここまで広げて学校や教育の課題を扱うのでは収拾がつきません。
ところが実際に親の仕事上の問題や家族内の事情、衣食住にかかわる相談まで教師に持ち込まれることがありました。
そういう背景事情が子どものいろいろな行動や心身状態に関係するので、避けられないのです。
とくに熱意のある教師は何もできなかったにしても親との協力関係をそこからつくった人は多くいます。
権限が及ばない事態まで学校の役割が期待されるというのはこれらのことを指しているのです。
こういう動きの中で、文科省の範囲をこえる制度上の変更が表れ始めました。 2011年に高校教育費の公費負担の導入(高校学費の実質ゼロ)、2016年の教育機会確保法(フリースクール等の制度的な公認)がそれです。 夜間中学を正式に取り上げ始めたのもこの時です。 2020年のコロナ禍の中で小学校の学級定数35人が約束されたのは親たちの、それを支援する教師や関係者の取り組みの結果です。
いじめも重大事件が頻発し、社会問題となって文科省は積極的に取り上げるようになりました。
いじめの重大事案に関しては教育委員会として第三者委員会を設置して調査する対応策ができました。
これは解決策ではありませんが、いじめの隠ぺいする対応は認められなくなりました。
これらは間違いなく大きな前進です。

ではこれによって不登校を含む教育内容は解決するのでしょうか。いや解決とは何を指すのでしょうか。
子どもとともに毎日生活している親や教師の課題に応えられるように進んだのでしょうか?
不登校の問題、いじめの発生あたりに課題を限定して、学校がこの数十年にしてきたことを振り返りましょう。
子どもの成長の条件は、健全な社会を構成する一部であり、結局は社会制度の根幹が変わらないかぎり達成できません。
逆に教育の場面から社会問題に立ち向かう人が生まれる背景でもあります。
しかしある程度はっきりしたことがあります。
各地の教育委員会が取り組んだ不登校生ゼロというのは目標を見誤っているのです。
決して不登校生がいなくなるのが解決に向かうのではありません。
不登校の子どもたちは意図しないけれども事態の不正常を浮かび上がらせたのです。
ゼロにする対象は学校に潜む不正常な事態であり、不登校の子どもではないのです。
不登校という状態は不登校生が増大し(時代の変化をキャッチする感度の鋭さからは学ぶべき)、それを受けて制度の改善に向かいます。
言い換えると大きく変貌した社会に対応するための新しい学校制度、もしかしたら学校というにはなじまない教育制度か教育方法によって不登校という事態が消滅する可能性を示しています。
解決とは社会制度の基本に手を付けざるを得ないものであり、学校の仕組みや教育の対応のなかに限定しては、目標を達成することはできないでしょう。
不登校生ゼロ目標で取り組んだ教訓はそこではないでしょうか。
そういう判断において可能な範囲の改善や対応がされたかといえば不十分です。
それでも制約された条件の中で着実に前進してきた、満足はできないけれどもこう評価するのが正当であろうと思います。
今回の新型コロナ感染症の大流行により、通学しない子どもは相当に増えていくでしょう。
実際はこの感染症がなくても増える傾向ですが、教育行政当局はコロナ感染を理由として説明しやすくなりました。
しかし、学校に通学しない子どもの教育をどうするのか、民間や住民のなかに生まれる教育の取り組みをどう支えるのか、すぐ横に大きな課題が現われています。
これは不登校情報センターを立ち上げから26年を経た私の中間報告でもあります。

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