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体験記・佐伯香音

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2018年3月2日 (金) 07:04時点における最新版

不登校・引きこもりなどの「当事者の体験記」

著者:佐伯香音(女性)

初めまして、佐伯香音と申します。
私は、高校生の時から、摂食障害とうつを患っています。
今は、だいぶ状態が落ち着きましたがそれでも一年に2、3ヶ月は、重度の鬱になり薬の量を増やし一日を自分の部屋でこもってただひたすら時が過ぎるのを待つことがあります。
鬱の時は、薬と休養が一番の治療だからです。

私は、昭和54年に長女として生まれました。
第一子という事で大変可愛がられて育ち私自身も甘えん坊でした。
5歳の時、家に弟がやってきました。
可愛かったけれど母を独占され寂しかったのを覚えています。
この頃から、私は、姉でしっかりしなくてはと思い始めたように思います。

小学校2年生の頃から母が働くようになり鍵っ子になりました。
風邪を引いて高熱をだしても家で一人で寝ていなくてはなりませんでした。
それでもそんな生活にもなれ中学は楽しく過ごしました。

高校に入り、女子高だったせいもあるのでしょうが下ネタはあいさつでナプキンが頭上を飛び交ったり、男性の先生がプールの際、生理の者はタンポンをするようになどと発言することにとてもなじめませんでした。

その頃からだったと思います。
朝、学校へ行くのが億劫になり朝食の時間がだらだらと長くなり過食になりはじめたのは。
両親共働きの為とりあえず駅までは行き駅の公衆電話から学校へ自分で休みの連絡をいれていました。
親にはまったくばれずそれがまた私にとっては、心配されていない関心がないのだと思い込んでいました。

高校時代は過食が続き3年間で13キロも体重が増えました。
それでもなんとか卒業をし専門学校へは入学したのですが、今度は過食症が拒食症にかわり一日500㌔カロリーも摂らない生活をしていたので3ヶ月で登校できなくなってしまいました。

心配した母が精神科へ連れて行ってくれましたが先生が高齢の方でいったことと言えば、「親に心配をかけるのは本意じゃないでしょ? それなら学校へ行きなさい」との事でした。

今なら相性のあわない先生にあたったのだからかえようと思えますが当時は、初めて行った精神科。
自分が引きこもり、親に心配までかけてもう自分は生きている価値もないのではとまで思い悩んでいた時に専門家にそう言われたのですから、帰ってからはもう死ぬことしか考えられませんでした。

それから、精神科へ通って薬を貯めオーバードーズ(大量服用)をすることが数回続きました。

けれど、どんなに多く飲んでも救急車で運ばれることはなく医療従事者だった母が脈などを測り大丈夫だと勝手に判断したようです。
その時も、世間体を気にして救急車も呼んでくれないと母を恨みました。
ただそれをどうしても言葉に出して言うことが出来なかったのです。
私と母はいつも遠慮をしていて言いたいことが言えずに徐々にすれ違い大きな溝を作っていました。

同じ頃に大好きだった祖母が癌でなくなり初めて知る身内の死に私は、どう気持ちを持ち続ければいいのかわかりませんでした。
とにかくもう一生逢えない。
そう思うと胸が張り裂けそうでした。

祖母の死をきっかけにまた過食が始まりました。
過食の量は、食べ始めるとそこにあるものは全部たいらげてしまいました。
とにかく食べる事がとまらず1時間でも2時間でも一人で食べていました。

過食をするときは、人の前では出来ないので我慢できないときはデパートのトイレで買ったものを食べたこともありました。
2ヶ月くらいで20キロも増えました。
拒食の時は、少ないカロリーでも精神的には元気です。
痩せていることが人生のなかで一番になってしまい痩せていく自分がとても好きなのです。

その反対に過食は、一人暗い部屋でもくもくと味もわからないままものすごい量を食べていきます。
食べている最中は、頭の中は真っ白で何も考えずにすみますが食べ終わった後はものすごい自己嫌悪と太ることへの恐怖で重度の欝のように寝たきりの状態になります。
太るのが嫌で食べたものを吐き出したこともあります。
それが3年くらいは続きました。

過食嘔吐するとさらに自己嫌悪がひどくなりあり地獄へ落ちていくようでした。

起きている間は食べ物のことばかり考えていて大量に過食し嘔吐した後は寝る。
けれど、寝ているときは死ぬことばかりが頭をよぎり、今度はオーバードーズをする。

精神科へ行って先生にオーバードーズもしているとはっきり伝えているのに何も言わずに薬を出す先生は、「私に死んでもいいよ」と言っているようでした。
結局、休学した後1年で専門学校はやめてしまいました。


それから3年くらいは、引きこもったりバイトをしたりが続き相変わらず拒食過食などをくりかえし鬱や不眠オーバードーズにリストカットまでもしました。

ついに、24歳になったある日5日間連続で腕をかみそりでリストカットし切り刻むところがなくなった頃に精神科の閉鎖病棟へ入れられました。
あの頃の記憶は、あまり覚えておらずリストカットをした時も痛いというよりは、良い子でない悪い自分に制裁を加えているようで気分はよかった気がします。
  もちろん、リストカットで死ねるなんて全く思ってなかったし痛みもありませんでした。
閉鎖病棟から解放病棟へ移り主治医から自分の考えのゆがんだ部分の矯正や育てなおしをしてもらうことで徐々に落ち着いてきました。
特に先生の薬の選択がよかったようで効果はてきめんでした。

精神病ではカウンセリング以上に薬の選択は重要です。
それで、気分が落ち着くときもあればあわないと鬱状態の寝たきりになってしまう場合もあるし躁状態になってしまう場合もあります。

さらに、私は入院するまでに8人もの精神科医に見てもらいましたが今の主治医になるまで薬がほとんど効かずと言っても飲んだり飲まなかったりもありました。
辛さが取れない薬を出し続ける医者に不信感を抱いていました。

薬を飲むということは副作用も伴うことですし、なにより先生との信頼関係ができていないとその薬を飲むことができません。
抗鬱薬などは、飲めばすぐに効くわけではなく1~2週間かかったりもします。

その間に副作用だけ出てしまいやめてしまう人もいますが、自分だけの判断で勝手に薬をやめてしまうのは危険です。
あわないのならどうあわないのか主治医と相談し薬を変えてもらうのも一つの手段だと思います。


精神病院での生活は3ヶ月で退院となりました。
育てなおしの中で、先生と意見がぶつかり合うことがたたありました。
それは、私のわがままが多く自分の意見が通らないことへの不満や自分だけをもっと見てほしいという強い欲求でした。
  そのたびに主治医は私に説明をし、時には怒り時には誉めてくれました。
そうすることで私は良い子を演じなくてもよくまた自分の意見を言うことで逆に相手との信頼関係が強くなることを体験して言ったのです。
  母との間で出来なかった信頼関係を先生と代わりに作ることで徐々に母にも言いたいことを言えるようになりました。
母との間で言いたいことを言えるようになると今度は自然と友人達にも自分の意見を言えるようになったり断ることが出来るようになりました。
それは自分自身でも驚きでした。


主治医から教えてもらったことで心に残っているもの。
それは、「感情を言葉に出し相手に伝えること。」大切な相手なら言葉を尽くして伝える。
私たち親子は、会話の少なさ、感情の伝え方を知らずに過ごしていたためお互い大切に思っているのにそれがいまいち通じず、すれ違い溝が出来てしまった。

大切な相手ならぶつかってもいいからとことん話すこと。
好きな人には好きだと愛していると言葉をつくして伝えること。親なら遠慮なんてせずに。
人よりは歩みは遅いけれどゆっくりとでも確かに前に進んでいます。

腕の傷は、一年は赤みが取れないと言われました。
2年が過ぎようやく赤みは取れてきたけれど左腕には3本右腕にも数本太くてもりあがった傷の跡が腕に残ります。

知らない人だと凝視されることも多々あるけれど今はあまり気にしていません。
退院した現在も精神科には通っているし薬も飲んでいます。
精神的に不安定なときもあるけれど、もうあの頃に戻ることはないと思います。
愛情を感じられるようなったから。


最後にあなたの身近な人が苦しんでいる人へ。

この状態に一番苦しみ良くないと感じてもがいているのは本人です。
お願いだから外に出られない子に出ろなんて言わないで下さい。
出ないわけではない、出たくても出られないのです。
唯一の場所を奪ったりそこから無理やり追い出そうとしたりしないで下さい。
それなら一緒に散歩でもしようと誘って下さい。

私は、夜母と歩くのが好きでした。
夜は自分を隠してくれる気がしたし買い物は良い気分転換でした。
誰かと一緒にいる時だけ一目を気にせず外に出られたのです。
眠れない子に寝なさいなんて言わないで下さい。
夜眠れずに暗い部屋で起きている人の孤独と恐怖を知っていますか? 
眠れないそれがどれだけ不安なことかわかりますか? 
暗い中で起きているともしかしたらこのままずっと眠れないかもしれないと沢山の不安が押し寄せてくるのです。

ただ何も言わずとなりに寝てあげてください。
誰しも一人は嫌なのです。
責めないで下さい。
否定しないで下さい。
ただそっと抱きしめてあげて下さい。
どんなあなたも大切な存在なのだと繰り返し話してあげて下さい。

親の言葉は他の誰に言われるよりも響くのです。
あなたが大切だと愛していると言ってあげて下さい。
そして何よりも大切なこと。待ってあげて下さい。
一年二年充電期間だと思って気長に見守ってあげて下さい。

それから今心の病と格闘している人へ。
もう頑張らないで下さい。
もう十分頑張ったのだから。
肩の力をぬいて、ちょっぴり自分自信を許してあげて下さい。

たまにはよく頑張っているねと誉めてあげて下さい。
出来ないことを数えるのではなく出来たことを喜んで下さい。
同じように苦しんでいる人はたくさんいます。あなたは一人じゃない。
あなたをその苦しみから救いたいと願っている人が必ずいます。
苦しい時は苦しいとまわりに助けを求めて下さい。
明けない夜はない。
あなたなら大丈夫。
(完)
 

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