100年間に社会における子どもの処遇が変わっている
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(註1) 脳科学者の養老猛司さんは、コミュニケーションの障害がある人は社会から排除されてきたことを次のように言っています。<br> | (註1) 脳科学者の養老猛司さんは、コミュニケーションの障害がある人は社会から排除されてきたことを次のように言っています。<br> | ||
「ネアンデルタール人以降、現生人類の社会が成立したとき、もっとも強くかかった淘汰圧は言語使用ではないかと私は考えている。現に今でも、言語が使えないことは、社会生活を徹底的に妨害するのである。いやな言い方をすれば、現代人は言語機能が欠ける人たちを徹底して排除してきたといえる。その言語と意識はほとんど並行したはたらきである。言語の機能はもちろん、たがいに了解することである。それなら「了解できない」人は排除されるはずである。それはいまの社会でもさまざまな形で問題になっている」<br>(養老猛司『無思想の発見』2005年、ちくま新書、56ページ)。<br> | 「ネアンデルタール人以降、現生人類の社会が成立したとき、もっとも強くかかった淘汰圧は言語使用ではないかと私は考えている。現に今でも、言語が使えないことは、社会生活を徹底的に妨害するのである。いやな言い方をすれば、現代人は言語機能が欠ける人たちを徹底して排除してきたといえる。その言語と意識はほとんど並行したはたらきである。言語の機能はもちろん、たがいに了解することである。それなら「了解できない」人は排除されるはずである。それはいまの社会でもさまざまな形で問題になっている」<br>(養老猛司『無思想の発見』2005年、ちくま新書、56ページ)。<br> | ||
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2018年2月8日 (木) 16:21時点における最新版
100年間に社会における子どもの処遇が変わっている
〔2014年6月1日〕
人とのコミュニケーションがうまくいかないことが、対人関係の障害になっています(註1)。
日本においてはそれに加えて、「らしく」ない人、「らしく」ないことは排除の要因にされてきました。
「らしく」のあるなしは精神文化に属することです。
精神文化である限り中立的(ニュートラル)なことです。
しかし、それが社会的差別、ときには政治的な差別と結びついていたことは確かでしょう。
精神文化がニュートラルな性格であるということは、時と場合によっては都合よく働くこともあるし、不都合に働くこともあるという意味です。
この精神文化全体を意図的に変えることは大変であり、目標にすべきことではないのでしょうか。
それでも自分の周辺にある不都合が精神文化的なことと結びついているならば、そこを問題提起していくことは必要になります。
不登校や引きこもりを経験した人の中には、この「らしく」ない状態を背景にいじめを受け、排除されてきた人が少なからずいます。
言葉づかい、日常生活における態度・振る舞い、ときには風体(ふうてい)の違いをいじめや排除の理由にされてきました。
いじめが社会的に大きな問題になるによって、このようなことが取り上げられるようになりました。
精神文化において「人との違い」を肯定的に認め合おうとする動きがわずかずつ成長しているのです。
ところで、これが精神文化の範囲にある限りにおいて、早急に大変化を期待するのは行き過ぎになると考えます。
精神文化というのはパズルの組み合わせのようなもので、ある箇所がうまく処理できてもそれは別のところで障害を引き起こすものです。
それらを想定し調節しながらゆっくりと変わっていくのではないでしょうか。
それに関して日本人は少なくとも2つの方法を取ったと私は理解することにしました。
1つは、カブキ者と称される動きです。
これは中世に生まれたことばで江戸時代に歌舞伎が成立することにより、その特別の分野で社会から認められました。
似たことはオカマとかハーフという人たちの生き方です。
今ではセクシャルマイノリティー(セクマイ)として公認されつつあります。
これは最近の事情ですが、特別の分野で社会から認められつつあると思います。
外国人のカタコト日本語は初めから承認されていますが、これも同じようなことです。
特別な人、特別な場合には異質・異様な表現、風体などをいわば枠の中で承認してしまうのです。
この枠の外ではなかなかそうも行かないのですが、長い時間のなかでゆっくりと社会に染み出し、溶け込み、社会自体をわずかずつ変容させてきたと思います。
もう一つはむしろ逆のことです。
明治期に日本にやってきた欧米人たちは、日本社会における子どもの処遇を次のように書いています。
引用はアメリカのE・S・モースの『日本その日その日』にあるものですが、ここでは宮本常一から再引用しました。
「いろいろな事柄の中で外国人の筆者達が一人残らず一致する事がある。それは日本が子供達の天国だということである。この国の子供達は親切に取扱われるばかりでなく、他のいずれの国の子供達よりも多くの自由を持ち、その自由を濫用することはより少なく、気持ちのよい経験の、より多くの変化を持っている。赤坊時代にはしょっ中、お母さんなり他の人なりの背に乗っている。刑罰もなく、咎めることもなく、叱られることもなく、五月蝿(うるさ)く愚図愚図いわれることもない」
(『絵巻物に見る日本庶民生活誌』1981年、中公新書、41ページ)。
いつでもどこでもこのようであったとはいえないまでも、ヨーロッパ文化圏の人たちから見れば子どもをめぐる全体像はこのようなものに映ったのです。
それが100年後の今日では、残念としか言いようのない姿です。子どもは管理の対象です。学校を中心に社会でも家庭でもしつけがあり、規則を守ることを約束させられています。
明治期(もちろんそれ以前も)から今日までにどのような変化があったのでしょうか。
社会制度、政治制度、交通・通信手段の変化、農業社会から工業と商業社会への発展、家庭と地域社会の変化など多くの背景の変化があります。
それについて私があれこれ言うのは適当ではないでしょう。
そこには連続性もあります。
その連続性と変化によりこの子どもの処遇が変化したのです。それをまとめればこういう意味になるのでしょう。
「子どもは自然な状態である。それをそのまま尊重するのではなく、子どもの成長に応じた教育が必要である。教育を受けた子どもは社会のなかでその分に応じた役割をするものである。そうでなければ社会は正当には受け入れない」。
この“原理”が働いて、長い時間のなかで周囲環境の変化とあいまって、今日の子どものおかれた状況が出来たのではないかと思います。
100年前の社会からあらゆる場面で容認されてきた子どもの姿は、今では規則を守るいい子を強制される無残なものになっているのです。
子どもの状態を根底から変えるにはこの原理を変える方向が必要になると思います。
精神文化を意図的に変えることは目標にすべき対象ではないにしても、向かうべき方向性は意識したいものです。
(註1) 脳科学者の養老猛司さんは、コミュニケーションの障害がある人は社会から排除されてきたことを次のように言っています。
「ネアンデルタール人以降、現生人類の社会が成立したとき、もっとも強くかかった淘汰圧は言語使用ではないかと私は考えている。現に今でも、言語が使えないことは、社会生活を徹底的に妨害するのである。いやな言い方をすれば、現代人は言語機能が欠ける人たちを徹底して排除してきたといえる。その言語と意識はほとんど並行したはたらきである。言語の機能はもちろん、たがいに了解することである。それなら「了解できない」人は排除されるはずである。それはいまの社会でもさまざまな形で問題になっている」
(養老猛司『無思想の発見』2005年、ちくま新書、56ページ)。