Center:131ー自然における人間の内部事情
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香原志勢『人類生物学入門』(中公新書、1975年)ノート。 <br> | 香原志勢『人類生物学入門』(中公新書、1975年)ノート。 <br> | ||
〔2011年5月3日⇒5月17日〕<br> | 〔2011年5月3日⇒5月17日〕<br> | ||
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(1)自然的存在、文化的存在<br> | (1)自然的存在、文化的存在<br> | ||
「人間は文化をもつ動物であると定義することができよう。…<br> | 「人間は文化をもつ動物であると定義することができよう。…<br> | ||
− | + | 人類は動物の一構成員ではあるが、ヒューマン・バイオロジーは決して動物学の一部門とはいえない。<br> | |
+ | すべての人間現象を生物学のレベルだけで理解しようとすることは、人間を生物学的立場から分析することを放棄するのと同程度の過ちであろう。<br> | ||
人類の研究をするにあたって、…医学的知見を基礎として出発することは危険である。<br> | 人類の研究をするにあたって、…医学的知見を基礎として出発することは危険である。<br> | ||
− | + | なぜなら、その立場にあれば、現実の社会的要請の使徒となるからである。<br> | |
+ | 人間は生物である以上、その自然的存在としての系統の上にたってみるべきであろう」(8ページ)。<br> | ||
自然の一部であることを第一に、そのうえで生物・動物の中に解消しないこと。<br> | 自然の一部であることを第一に、そのうえで生物・動物の中に解消しないこと。<br> | ||
(2)生命論と進化論<br> | (2)生命論と進化論<br> | ||
− | + | 「今日の生物学というものは分析的方法がとくに進み、とくに物理学・化学的方法による研究が主役を演じている。<br> | |
+ | 私も、その方法は一つの正しい道だとはおもうが、唯一の道だとは考えない。生命分析に終始する生物学というものは、たぶんに偏跛なものであろう。<br> | ||
+ | 生物学は広い意味の生命論と進化論の上に立ってこそ、正道についたものといえる」(9ページ)。<br> | ||
(3)心の動物<br> | (3)心の動物<br> | ||
「人類は…文化の影響を最もいちじるしく受けている動物であるが、…もっとも主要なものは精神活動が非常に活発なことであり、…『心の動物』であると定義することもできる」(10ページ)。<br> | 「人類は…文化の影響を最もいちじるしく受けている動物であるが、…もっとも主要なものは精神活動が非常に活発なことであり、…『心の動物』であると定義することもできる」(10ページ)。<br> | ||
− | (4)人類研究の方向につき | + | (4)人類研究の方向につき<br> |
− | + | 「人類は生物である…が、…生命の本質はタンパク質や核酸のあり方だと規定しても、それは人間研究にはなんの役にも立たない。<br> | |
− | + | むしろ、生命の重要な特徴は、個体維持と種族保存にあるといえる」(11ページ)。<br> | |
+ | もしかしたら、この点が人間や動物研究を内向的なものにしたのかもしれない。<br> | ||
+ | 物理世界が生体のなかに影響していると含めて研究すると、宇宙と個別生物体がより全体的に理解できるのかもしれない。<br> | ||
+ | 全宇宙は小さな個体の中に潜むのかもしれないのだから。<br> | ||
(5)直立二足歩行と猿人<br> | (5)直立二足歩行と猿人<br> | ||
− | + | 「人類の特徴としては、すぐれた脳と知性、言語、直立二足歩行、器用な手、道具など、いくつかのものがあげられるが、…もっとも基本的なものが直立姿勢(歩行)であると、多くの人類学者たちは考えている。<br> | |
− | + | …最近では直立をもって人類と非人類とに分けるようにすらなった。<br> | |
+ | アウストラロピテクス類が人類の中に組みい(20ページ)れられ、『ヒト科』の楷梯のうち、猿人という第一段階を形成するようになったのは、基本的には直立姿勢を採用したことによる」(21ページ)。<br> | ||
+ | 「人類は直立二足歩行をする地上動物である」(29ページ)。<br> | ||
+ | 土踏まずの形成、「人類では骨盤の中の重心点が通る。…人類では骨盤に非常に重要な役割が付される」(30ページ)。<br> | ||
…大臀筋が発達している(31ページ)。<br> | …大臀筋が発達している(31ページ)。<br> | ||
(6)脳の発達の生活条件<br> | (6)脳の発達の生活条件<br> | ||
− | + | 「霊長類において、中枢神経、とくに大脳が発達したことはきわめて顕著な現象であろう。<br> | |
− | + | …霊長類のなかで何ゆえこのような脳の進化がみられるのか、決定的な理由はわからないが、樹上生活をした結果、手や上肢を器用に動かすこと、指紋にみられるように指頭の触覚が鋭敏になること、立体的な活動環境で機敏な全身運動をこなすこと、視覚がすぐれ、とくに立体視によってものの深味を知り、色彩認知を通して形態認識が豊かになること、外敵をたくみにたぶらかすこと、育児期間が長くなること、などの諸特徴が脳の発達をうながしたと考えられる。<br> | |
+ | …脳の発達は、鼻が長くなったり、牙が鋭くなる特殊化とはいささかちがう。<br> | ||
+ | 脳は全身との関連で存在するのであるから、単なる部分的特殊化ではない。<br> | ||
+ | 脳の中には体の各部分が運動中枢、感覚中枢の形で投射されている」(28ページ)。<br> | ||
脳の発達は、特に手の動き、触覚(感覚)が高度化したことに関係すると読める。<br> | 脳の発達は、特に手の動き、触覚(感覚)が高度化したことに関係すると読める。<br> | ||
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「道具の使用、製作は手の機能の発達にもとづく…、人知の進歩とともに火の発見と使用が現実化…火食により…胃の負担は軽減された」(33ページ)。<br> | 「道具の使用、製作は手の機能の発達にもとづく…、人知の進歩とともに火の発見と使用が現実化…火食により…胃の負担は軽減された」(33ページ)。<br> | ||
哺乳活動により、…母子の結びつきはいっそう(33ページ)緊密となり、社会の最小単位の形成に寄与(34ページ)。<br> | 哺乳活動により、…母子の結びつきはいっそう(33ページ)緊密となり、社会の最小単位の形成に寄与(34ページ)。<br> | ||
− | + | 「歯牙、頚部の縮小により、咀嚼時の衝撃から解放された脳頭蓋、とくに前頭部はいっそう大きく発達し、広い額を形成するようになった。<br> | |
− | + | 脳頭蓋、顔面頭蓋の大きさの割合の変化、唇や頬の形成、表情筋の発達などによって、人類は独特の顔と表情をもつようになった。<br> | |
+ | …人類では顔は社会性の高い部分となり、人格、もしくは心の表現部となった」(34ページ)。表現としての顔。<br> | ||
+ | 「精神の個体性が人体において最も顕著に表現されたのが顔である。<br> | ||
+ | 顔ほど個人差のいちじるしい部分はなく、しかも、個人識別の最重要点になっている。<br> | ||
+ | つまり、人類においては顔は脳頭蓋と顔面頭蓋の合成部であるだけでなく、心を表現する部分なのである」(83ページ)。<br> | ||
(8)身振り語<br> | (8)身振り語<br> | ||
− | + | 「人類では、身ぶり語、音声言語によって個体間のコミュニケーションを存分に伸展させた。<br> | |
− | + | 身ぶり語は手や上肢の巧妙な動きがなければとうてい実現しなかったであろう。<br> | |
+ | 一方、人類が言語を語るためには、すぐれた中枢神経が必須であるが、音声器官として、唇や頬の完成も必要であった。<br> | ||
+ | これらは社会性の発達とも密接に結びついて、やがて高度のコミュニケーションを可能ならしめた。(36ページ)<br> | ||
+ | 人類は個体の体構造、機能の両面について卓越しているが、さらに多数の個体が相互に関連することによって、きわめて高度な能力を発揮してきた。<br> | ||
+ | そのように個体を結合したものが精神であり、その発現としてのコミュニケーションが頻繁となる。<br> | ||
+ | その根源をたずねていくと、やはり直立姿勢の採用にさかのぼる。」(37ページ)。<br> | ||
(9)視覚<br> | (9)視覚<br> | ||
− | + | 「人類は視覚の動物である。これは霊長類ゆずりの能力である。<br> | |
+ | …立体視な(77ページ)らびに色彩覚にすぐれる。<br> | ||
+ | 立体視によって、事物に奥行があることを知り、また、色彩覚は森羅万象の多様性を受けいれる。<br> | ||
+ | これらのものは、霊長類の知能の向上に大いに寄与したのであり、また、人類自身の思考方法に強い影響をもたらしている」(78ページ)。<br> | ||
嗅覚…「哺乳類は、一般に嗅覚にすぐれているが、霊長類ならびに人類は、この点ではかなり落ちる」(78ページ)。<br> | 嗅覚…「哺乳類は、一般に嗅覚にすぐれているが、霊長類ならびに人類は、この点ではかなり落ちる」(78ページ)。<br> | ||
(10)無毛性<br> | (10)無毛性<br> | ||
− | + | 「人類の重要な特徴である無毛性にもとづくのである。<br> | |
+ | もし顔面部に毛が生えていたらならば、私たちの無意識的な年齢推定はほとんど不可能であったろう。<br> | ||
+ | …年齢変化を顕著に示す無毛性体表の存在が身体的側面から、このことを可能にしているといえる」(87ページ)。<br> | ||
(11)哺乳⇒乳児と母<br> | (11)哺乳⇒乳児と母<br> | ||
− | + | 「サルでもヒトでも、乳児を胸に抱き、その顔を見ながら哺乳するわけであり、乳児も母親の顔を見ながら乳房にすがることになる。<br> | |
+ | 哺乳にあたって母子のスキンシップが満たされるばかりでなく、顔を見つめあうことにより、母子の紐帯が他の動物よりはるかに緊密になるといえよう」(102ページ)。<br> | ||
(12)四肢の形態<br> | (12)四肢の形態<br> | ||
− | + | 「抱擁が可能となることによって、人類における個体間関係はいっそう強力になった。<br> | |
+ | 母子、男女間の抱擁はもとより、親密さをあらわすためにも、同性間でもしばしば用いられる。<br> | ||
+ | すべて肩関節運動の自由化にともなう重要な特質といえよう」(103ページ)。<br> | ||
(13)人類の運搬<br> | (13)人類の運搬<br> | ||
「人類の運搬は、みずからの筋力を生かす人力運搬にはじまるが、ひき続き、…道具を使用し、筋力による運搬を能率的にした。<br> | 「人類の運搬は、みずからの筋力を生かす人力運搬にはじまるが、ひき続き、…道具を使用し、筋力による運搬を能率的にした。<br> | ||
− | + | 運搬こそ今日の経済体系の根本をなすものであり、…最終的にはもっとも原始的な運搬方法がその効果を発揮する」(108ページ)。<br> | |
− | + | これも人類特有の機能を有する身体のなせるもの。<br> | |
+ | 人力運搬には頭上運搬、背負運搬、肩運搬、腰運搬、手持運搬がある。「人体というものがいかに運搬に適した体形をしているか」(110ページ)。<br> | ||
+ | 「人類の発展は、中枢神経を基幹とする文化能力にあると考えられるが、人類文化における運搬の重要性を再認識すれば、人体の運搬能力が文化におよぼした影響を、私たちは高く評価しなければならない」(111ページ)。<br> | ||
(14)表情筋と感情表現<br> | (14)表情筋と感情表現<br> | ||
− | + | 筋肉のなかには前進運動と無関係なものがいくつもある。<br> | |
+ | 「表情筋は本来の役をはなれて、感情を表出する器官となっている。<br> | ||
+ | それは精神=身体反応ともいえるもので、笑いとか怒りの感情が強い時は、どんなに抑制しても笑顔あるいは怒りをかくすことはできない」(125ページ)。<br> | ||
(15)コミュニケーションと感覚器<br> | (15)コミュニケーションと感覚器<br> | ||
「触覚的コミュニケーション…接触というものは一見原始的なコミュニケーションのようにみえるが、むしろ哺乳類に多く見られ…これらの動物では皮膚感覚が非常に発達している」(173ページ)。<br> | 「触覚的コミュニケーション…接触というものは一見原始的なコミュニケーションのようにみえるが、むしろ哺乳類に多く見られ…これらの動物では皮膚感覚が非常に発達している」(173ページ)。<br> | ||
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(16)<br> | (16)<br> | ||
− | + | 「ヒトの表情は眼を中心とする上顔部の筋と、口を中心とする下顔部の筋とに、あらかたは分かれる。<br> | |
− | + | したがってヒトの表情は上顔部と下顔部の二つの表情から成り立つと言ってよい。…<br> | |
+ | ヒトの顔の表情は、その精神・感情・意志の豊かさから、他の動物とは格段に多様であり、また深奥である。<br> | ||
+ | 顔を見ているだけでも、その訴えているところを十分推察できる。<br> | ||
+ | さらに髙等霊長類の段階になると、顔面部には毛が少なくなり、顔面表情を表しやすくなった。<br> | ||
+ | このことは表情筋のコミュニケーションについても、ヒトが哺乳類中随一であることをものがたっている」(175ページ)。<br> | ||
− | (17)家族 | + | (17)家族<br> |
− | + | 「人類の場合、家族は単なる繁殖単位、(209ページ)子孫の養育機関であるばかりでなく、協同体の最小構成単位であり、社会的・経済的な活動単位であり、また財産の管理所有者でもある。<br> | |
+ | 加えて、家族とはその構成員たちの情緒的避難所でもあり、ここで憩うことにより精神の安定を得る」(210ページ)。<br> | ||
(18)速度の時代<br> | (18)速度の時代<br> | ||
− | + | 「重視すべきことは、文明は狩猟社会以上に機敏さを要求していることで、とくに乗物の発明以後、速度のコントロールはきわめて重要であった。<br> | |
+ | 乗馬も馬車操作も速度の克服が必要であった。<br> | ||
+ | シーグフリードは1954年に、現代文明の特徴の一つとして『速度の時代』を上げている。<br> | ||
+ | 人類がどの程度まで速度に耐えうるかということは興味のある問題であるが、実際は乗物の制御装置次第なのであって、加速度に対する人体の認容限度を把握し、調節できれば、問題はほとんど解決してしまう。<br> | ||
+ | 宇宙船、ロケットがその決定的なものである。<br> | ||
+ | むしろ、速度がきりひらいた時間と空間の拡大の方が、社会的・文化的に重大な課題を提供しているといえる」(217ページ)。<br> | ||
+ | 速度の与える身体的・生物的な課題は大丈夫なのかな?<br> | ||
〔所見〕<br> | 〔所見〕<br> | ||
− | + | 直立二足歩行と四肢の解放による身体的自由は、感情表現を発展させる基礎条件とも言えるのではないか。<br> | |
+ | 感情表現は意識的な認識、言語的表現を助長する役割をするかもしれません。<br> | ||
動物の中での人間(人類)の特質、相対性を細かく見ています。<br> | 動物の中での人間(人類)の特質、相対性を細かく見ています。<br> | ||
文化⇒感情表現の動物的・生物的条件を確保するために、人間はそれに沿った進化を求められました。<br> | 文化⇒感情表現の動物的・生物的条件を確保するために、人間はそれに沿った進化を求められました。<br> | ||
− | + | 人類の内部での変化は、その外側における自然的条件・環境の許容範囲で、少なくとも最小限の衝突以下のなかで、実現していったもののようです。<br> | |
+ | 人間は自然の一部であり、その中で独自性を発揮してきたものです。<br> | ||
それがどこまでのものかはいま読んでいる別の本が考えさせてくれます。<br> | それがどこまでのものかはいま読んでいる別の本が考えさせてくれます。<br> | ||
− | + | 人類は大宇宙の中の1点にすぎないけれども、大宇宙・自然に対峙できます。その意味は自然の法則を相当に理解することによります。<br> | |
− | + | 自然の法則に逆らっていては自然とは対峙できません。<br> | |
+ | そうできるのは人類のおかれたポジションから自然界の全体を見渡せること、同時にその限界もまた相当程度に理解できる能力を持っているためです。<br> | ||
+ | 現代に可能なのはまずは人類から自然と宇宙を見ることです。<br> | ||
+ | そして自然から人類を見る可能性を開きつつあることです。<br> | ||
+ | この能力は脳と神経系の発達によります。<br> | ||
+ | それをつくったものは感覚器と感情表現の発達がコミュニケーション能力とともに優れていることです。<br> | ||
+ | そしてさらに遡れば、人類が直立二足歩行をする動物であったことにたどり着きます。<br> | ||
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2024年9月4日 (水) 12:46時点における最新版
自然における人間の内部事情
香原志勢『人類生物学入門』(中公新書、1975年)ノート。
〔2011年5月3日⇒5月17日〕
(1)自然的存在、文化的存在
「人間は文化をもつ動物であると定義することができよう。…
人類は動物の一構成員ではあるが、ヒューマン・バイオロジーは決して動物学の一部門とはいえない。
すべての人間現象を生物学のレベルだけで理解しようとすることは、人間を生物学的立場から分析することを放棄するのと同程度の過ちであろう。
人類の研究をするにあたって、…医学的知見を基礎として出発することは危険である。
なぜなら、その立場にあれば、現実の社会的要請の使徒となるからである。
人間は生物である以上、その自然的存在としての系統の上にたってみるべきであろう」(8ページ)。
自然の一部であることを第一に、そのうえで生物・動物の中に解消しないこと。
(2)生命論と進化論
「今日の生物学というものは分析的方法がとくに進み、とくに物理学・化学的方法による研究が主役を演じている。
私も、その方法は一つの正しい道だとはおもうが、唯一の道だとは考えない。生命分析に終始する生物学というものは、たぶんに偏跛なものであろう。
生物学は広い意味の生命論と進化論の上に立ってこそ、正道についたものといえる」(9ページ)。
(3)心の動物
「人類は…文化の影響を最もいちじるしく受けている動物であるが、…もっとも主要なものは精神活動が非常に活発なことであり、…『心の動物』であると定義することもできる」(10ページ)。
(4)人類研究の方向につき
「人類は生物である…が、…生命の本質はタンパク質や核酸のあり方だと規定しても、それは人間研究にはなんの役にも立たない。
むしろ、生命の重要な特徴は、個体維持と種族保存にあるといえる」(11ページ)。
もしかしたら、この点が人間や動物研究を内向的なものにしたのかもしれない。
物理世界が生体のなかに影響していると含めて研究すると、宇宙と個別生物体がより全体的に理解できるのかもしれない。
全宇宙は小さな個体の中に潜むのかもしれないのだから。
(5)直立二足歩行と猿人
「人類の特徴としては、すぐれた脳と知性、言語、直立二足歩行、器用な手、道具など、いくつかのものがあげられるが、…もっとも基本的なものが直立姿勢(歩行)であると、多くの人類学者たちは考えている。
…最近では直立をもって人類と非人類とに分けるようにすらなった。
アウストラロピテクス類が人類の中に組みい(20ページ)れられ、『ヒト科』の楷梯のうち、猿人という第一段階を形成するようになったのは、基本的には直立姿勢を採用したことによる」(21ページ)。
「人類は直立二足歩行をする地上動物である」(29ページ)。
土踏まずの形成、「人類では骨盤の中の重心点が通る。…人類では骨盤に非常に重要な役割が付される」(30ページ)。
…大臀筋が発達している(31ページ)。
(6)脳の発達の生活条件
「霊長類において、中枢神経、とくに大脳が発達したことはきわめて顕著な現象であろう。
…霊長類のなかで何ゆえこのような脳の進化がみられるのか、決定的な理由はわからないが、樹上生活をした結果、手や上肢を器用に動かすこと、指紋にみられるように指頭の触覚が鋭敏になること、立体的な活動環境で機敏な全身運動をこなすこと、視覚がすぐれ、とくに立体視によってものの深味を知り、色彩認知を通して形態認識が豊かになること、外敵をたくみにたぶらかすこと、育児期間が長くなること、などの諸特徴が脳の発達をうながしたと考えられる。
…脳の発達は、鼻が長くなったり、牙が鋭くなる特殊化とはいささかちがう。
脳は全身との関連で存在するのであるから、単なる部分的特殊化ではない。
脳の中には体の各部分が運動中枢、感覚中枢の形で投射されている」(28ページ)。
脳の発達は、特に手の動き、触覚(感覚)が高度化したことに関係すると読める。
(7)顔面部と頸⇒表現部
「道具の使用、製作は手の機能の発達にもとづく…、人知の進歩とともに火の発見と使用が現実化…火食により…胃の負担は軽減された」(33ページ)。
哺乳活動により、…母子の結びつきはいっそう(33ページ)緊密となり、社会の最小単位の形成に寄与(34ページ)。
「歯牙、頚部の縮小により、咀嚼時の衝撃から解放された脳頭蓋、とくに前頭部はいっそう大きく発達し、広い額を形成するようになった。
脳頭蓋、顔面頭蓋の大きさの割合の変化、唇や頬の形成、表情筋の発達などによって、人類は独特の顔と表情をもつようになった。
…人類では顔は社会性の高い部分となり、人格、もしくは心の表現部となった」(34ページ)。表現としての顔。
「精神の個体性が人体において最も顕著に表現されたのが顔である。
顔ほど個人差のいちじるしい部分はなく、しかも、個人識別の最重要点になっている。
つまり、人類においては顔は脳頭蓋と顔面頭蓋の合成部であるだけでなく、心を表現する部分なのである」(83ページ)。
(8)身振り語
「人類では、身ぶり語、音声言語によって個体間のコミュニケーションを存分に伸展させた。
身ぶり語は手や上肢の巧妙な動きがなければとうてい実現しなかったであろう。
一方、人類が言語を語るためには、すぐれた中枢神経が必須であるが、音声器官として、唇や頬の完成も必要であった。
これらは社会性の発達とも密接に結びついて、やがて高度のコミュニケーションを可能ならしめた。(36ページ)
人類は個体の体構造、機能の両面について卓越しているが、さらに多数の個体が相互に関連することによって、きわめて高度な能力を発揮してきた。
そのように個体を結合したものが精神であり、その発現としてのコミュニケーションが頻繁となる。
その根源をたずねていくと、やはり直立姿勢の採用にさかのぼる。」(37ページ)。
(9)視覚
「人類は視覚の動物である。これは霊長類ゆずりの能力である。
…立体視な(77ページ)らびに色彩覚にすぐれる。
立体視によって、事物に奥行があることを知り、また、色彩覚は森羅万象の多様性を受けいれる。
これらのものは、霊長類の知能の向上に大いに寄与したのであり、また、人類自身の思考方法に強い影響をもたらしている」(78ページ)。
嗅覚…「哺乳類は、一般に嗅覚にすぐれているが、霊長類ならびに人類は、この点ではかなり落ちる」(78ページ)。
(10)無毛性
「人類の重要な特徴である無毛性にもとづくのである。
もし顔面部に毛が生えていたらならば、私たちの無意識的な年齢推定はほとんど不可能であったろう。
…年齢変化を顕著に示す無毛性体表の存在が身体的側面から、このことを可能にしているといえる」(87ページ)。
(11)哺乳⇒乳児と母
「サルでもヒトでも、乳児を胸に抱き、その顔を見ながら哺乳するわけであり、乳児も母親の顔を見ながら乳房にすがることになる。
哺乳にあたって母子のスキンシップが満たされるばかりでなく、顔を見つめあうことにより、母子の紐帯が他の動物よりはるかに緊密になるといえよう」(102ページ)。
(12)四肢の形態
「抱擁が可能となることによって、人類における個体間関係はいっそう強力になった。
母子、男女間の抱擁はもとより、親密さをあらわすためにも、同性間でもしばしば用いられる。
すべて肩関節運動の自由化にともなう重要な特質といえよう」(103ページ)。
(13)人類の運搬
「人類の運搬は、みずからの筋力を生かす人力運搬にはじまるが、ひき続き、…道具を使用し、筋力による運搬を能率的にした。
運搬こそ今日の経済体系の根本をなすものであり、…最終的にはもっとも原始的な運搬方法がその効果を発揮する」(108ページ)。
これも人類特有の機能を有する身体のなせるもの。
人力運搬には頭上運搬、背負運搬、肩運搬、腰運搬、手持運搬がある。「人体というものがいかに運搬に適した体形をしているか」(110ページ)。
「人類の発展は、中枢神経を基幹とする文化能力にあると考えられるが、人類文化における運搬の重要性を再認識すれば、人体の運搬能力が文化におよぼした影響を、私たちは高く評価しなければならない」(111ページ)。
(14)表情筋と感情表現
筋肉のなかには前進運動と無関係なものがいくつもある。
「表情筋は本来の役をはなれて、感情を表出する器官となっている。
それは精神=身体反応ともいえるもので、笑いとか怒りの感情が強い時は、どんなに抑制しても笑顔あるいは怒りをかくすことはできない」(125ページ)。
(15)コミュニケーションと感覚器
「触覚的コミュニケーション…接触というものは一見原始的なコミュニケーションのようにみえるが、むしろ哺乳類に多く見られ…これらの動物では皮膚感覚が非常に発達している」(173ページ)。
(16)
「ヒトの表情は眼を中心とする上顔部の筋と、口を中心とする下顔部の筋とに、あらかたは分かれる。
したがってヒトの表情は上顔部と下顔部の二つの表情から成り立つと言ってよい。…
ヒトの顔の表情は、その精神・感情・意志の豊かさから、他の動物とは格段に多様であり、また深奥である。
顔を見ているだけでも、その訴えているところを十分推察できる。
さらに髙等霊長類の段階になると、顔面部には毛が少なくなり、顔面表情を表しやすくなった。
このことは表情筋のコミュニケーションについても、ヒトが哺乳類中随一であることをものがたっている」(175ページ)。
(17)家族
「人類の場合、家族は単なる繁殖単位、(209ページ)子孫の養育機関であるばかりでなく、協同体の最小構成単位であり、社会的・経済的な活動単位であり、また財産の管理所有者でもある。
加えて、家族とはその構成員たちの情緒的避難所でもあり、ここで憩うことにより精神の安定を得る」(210ページ)。
(18)速度の時代
「重視すべきことは、文明は狩猟社会以上に機敏さを要求していることで、とくに乗物の発明以後、速度のコントロールはきわめて重要であった。
乗馬も馬車操作も速度の克服が必要であった。
シーグフリードは1954年に、現代文明の特徴の一つとして『速度の時代』を上げている。
人類がどの程度まで速度に耐えうるかということは興味のある問題であるが、実際は乗物の制御装置次第なのであって、加速度に対する人体の認容限度を把握し、調節できれば、問題はほとんど解決してしまう。
宇宙船、ロケットがその決定的なものである。
むしろ、速度がきりひらいた時間と空間の拡大の方が、社会的・文化的に重大な課題を提供しているといえる」(217ページ)。
速度の与える身体的・生物的な課題は大丈夫なのかな?
〔所見〕
直立二足歩行と四肢の解放による身体的自由は、感情表現を発展させる基礎条件とも言えるのではないか。
感情表現は意識的な認識、言語的表現を助長する役割をするかもしれません。
動物の中での人間(人類)の特質、相対性を細かく見ています。
文化⇒感情表現の動物的・生物的条件を確保するために、人間はそれに沿った進化を求められました。
人類の内部での変化は、その外側における自然的条件・環境の許容範囲で、少なくとも最小限の衝突以下のなかで、実現していったもののようです。
人間は自然の一部であり、その中で独自性を発揮してきたものです。
それがどこまでのものかはいま読んでいる別の本が考えさせてくれます。
人類は大宇宙の中の1点にすぎないけれども、大宇宙・自然に対峙できます。その意味は自然の法則を相当に理解することによります。
自然の法則に逆らっていては自然とは対峙できません。
そうできるのは人類のおかれたポジションから自然界の全体を見渡せること、同時にその限界もまた相当程度に理解できる能力を持っているためです。
現代に可能なのはまずは人類から自然と宇宙を見ることです。
そして自然から人類を見る可能性を開きつつあることです。
この能力は脳と神経系の発達によります。
それをつくったものは感覚器と感情表現の発達がコミュニケーション能力とともに優れていることです。
そしてさらに遡れば、人類が直立二足歩行をする動物であったことにたどり着きます。