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Center:2005年7月ー「他人の心の雰囲気が見える人ー芸術という出口」

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目次

他人の雰囲気が見える人 ――芸術という出口

〔2005年7月17日〕

(1)アニメ『エヴァンゲリオン』と、俳句集『闇の御伽箱』

『エヴァンゲリオン』というアニメ作品をご存知でしょうか。
私はこう問いかけながら、それを見たことはありません。
もしかしたらロングフェロー(H.W.Longfellow、19世紀のアメリカの詩人)の長編"Evangeline"を思いおこす人がいるかもしれませんがそうではありません。
たぶん十年くらい前にヒットした作品のことです。
それを見たことはありませんが、ある人が自作の俳句集『闇の御伽箱』(ヤミノオトギバコ、上塔終二)を持ってきてくれました。
およそ1年前のことです。
これの内容や表現方法が『エヴァンゲリオン』に似ているというのです。
俳句集の名前といい、中に出てくる言葉、死、屍、殺す、呪い、血、たぶんその殺伐な用語に辟易(へきえき)する人もいるでしょう。
しかしそこにある種の凝縮された感性の塊を見て共鳴する人もいるでしょう。
『エヴァンゲリオン』がヒットしたのは、そのあたりの絶妙な、作品の意図を超えた感性がアピールする要素をもっていたからかもしれません。

(2)『ひきコミ』の投稿者には、暗さと不安定さが偏在してる

『ひきコミ』の文通を求める投稿文はどうでしょうか。
私は『闇の御伽箱』と同傾向の表現をより穏やかにしたものと見えます。
この俳句集のように文字がデザイン文字化されておらず、視界表現にはなっていないし、言葉づかいももっと抑制されているのでそう強烈な印象を与えられません。
それにもかかわらず、ある要素がより緩やかに散りばめられています。
試みに『ひきコミ』第23号の投稿文から、どんな用語が使われているのかを集めてみましょう。
性格的なこと――優柔不断、心が開けない、内向的、自信がない。
生活体験――不登校、休学中、一人ぼっち、後悔、いじめ。
心身の状態――心の病、対人恐怖(症)、不安障害、引きこもり。
対人関係――話し相手がほしい、友人が少ない、人との距離感、本音を言いたい、視線が怖い。
社会関係――無職、就職活動中。
これらの用語は『闇の御伽箱』とは違うけれども、明朗快活とは反対側にあります。
いろいろな暗さや不安な状態を示すものになっています。
世は挙げて明るさと活発さを推奨してきました。
いまもそうです。
その反対側にある悩みや苦しみ、困難から目をそらせようとしています。
いまもそうでしょう。
しかし目をそらせたからといって事実が消えるわけでもありません。
ただ、この明るさと暗さ、快活さと不安感は、個人差が大きく、偏在化が進んでいます。
両方の側を一人の人間の中でバランスよく持っている方がいいのに、どちらか一方が重すぎるのは、いいことではないでしょう。
『ひきコミ』の投稿者には、暗さと不安定さが偏在しています。
その先端には『闇の御伽箱』の作者のような人もいます。

(3)「暗い」人は事態が深く見える人、明朗快活な人は事態がよく見えない人

『ひきコミ』を最初に編集したのはおよそ5年ほど前のことです。
引きこもり系の人が文通を通して交流できることをめざしました。
各人の体験と実感を重視し、それを文章表現することで人とのつながりになることを期待してのものです。
自分の体験や実感が表現できることを、私はある種のリアリズムとして歓迎し、それを肯定的に考えています。
それは明朗快活を外面的に、あるいは形式的に演出して生きている人たち、とくに青少年にとっては"危うい"と感じているだけに、真実に近い感情表現として大切にしたいと考えてきました。
私の観察では、暗い人とは、事態が深く見えるように思えます。
明朗快活な人とは事態がよく見えない人だと思います。
もちろん個人差があることを前提にしたうえでのことですが。  
事態が深く見える人は、そのために苦しむ人です。
優れているがゆえに不便になり、萎縮してしまう人です。
事態が深く見える人は、それをどう生かすのか、自分なりの実現の方法を見つけだしてほしい。
この言葉は感性が平凡な人にはよく伝わらないかもしれません。
しかし、人の感性・感情、心の雰囲気を察知してしまい、自分が身動きしづらくなる引きこもり系の人には、言葉の意味はわかってもらえるでしょう。
実現の方法はそう簡単には見つからないにしても。

(4)S.フロイトが示した一つの出口

『ひきコミ』第22号の15ページに、私はS.フロイト(精神医学の創始者)の言葉を引用しておきました。
S.フロイトの説への賛否または好き嫌いはひとまずおいて、その意味を読みとってください
(私はS.フロイトの本はこの『精神分析入門』しか読んでいない)。
人の感情や心の雰囲気を察知して自分が身動きしづらくなっている人に、一つの出口を示しているように見えます。
それはそのまま引きこもりから抜け出し、対人関係が楽になることとは違います。
そうなるかもしれないし、変わらないかもしれません。
S.フロイトはそれを芸術および芸術家において解明しています。
私は、出発点を、人の感情や心の雰囲気がよく見える点におきました。
S.フロイトは空想生活や白日夢を出発点におきました。
この点は違いますが、後に見るように同一の地点の、別の表現のしかただと思います。
「空想という中間地域は人間の一般的な合意によって是認されているのであり、そこから緩和と慰めとを期待するのです。
芸術家でない者は、空想の泉から快感を獲得するということには非常な制約を受けます。
きびしい抑圧のために、彼らはやむをえず、どうにか意識にのぼらせてもいいような、わずかばかりの白日夢で満足するのです。
その人が本当の芸術家であれば、それ以上のことを自由にやってのけます。
彼はまず第一に、白日夢に手を加えて、他人の反感を買うようなあまりに個人的なものをなくして、これを他人といっしょに楽しめるようなものにする術(すべ)を心得ています。
彼はまた、白日夢をやわらげて、それが禁断の泉から出てきたものであることがたやすくわからないようにすることもできるのです。
さらに彼は、ある特定の素材を、自分の描く空想の表象とそっくりの姿をとるように造形するという、不思議な能力をもっております。
芸術家は、自分の無意識的空想をもつように表現することに多大の快感をえている結果として、抑圧は、少なくとも一時的にはこの表現に打ち負かされて排除されます」
(S.フロイト 1917年 『精神分析入門』(下)、新潮文庫)

もちろんよく理解できない人もいるでしょうが、いずれはわかるようになります。
「禁断の泉」について解説しておきましょう。
これは自分の生命力そのもの、言いかえれば個体維持本能と種族維持本能そのものの沸騰している世界です。
人はそれを押し隠して(抑圧して)いるから日常生活がスムーズに送ることができます。
多くの人はそのこと自体に気づかないでいます。
一方、そのことに気づいている人がいます。
人の感情や心の雰囲気がよく見える人というのは、そこに気づくのです。
その部分だけを気づくのではなくその部分を含むさまざまなレベルの気分・感情に気づくのです。
芸術家はそれを気づき、うまく処理できる人(葛藤の全部を処理できるわけではないにしても)です。
人の感情や心の雰囲気がよく見える人とは、生命の基本的な本能が外見からすけて見えるという意味でしょう。
これが見えなければ処理することもありません。
しかし見えるからといって、処理できるのか処理できないのかに、わかれるのです。
しかし、それが見える人は自分のそれを抑圧するために苦しむのです。
他者のそれを見て身動きしにくくなるのです。

芸術家はおそらくそれが見えるし、それを処理する能力を先天的にか後天的にか身につけた人なのです。
引きこもり系の人の対人関係がうまくいかないのは、おそらくここに発します。
それを技術(スキル)や慣れでどの程度が処理できるのかは個人差の問題です。
引きこもり系の対人関係がうまくいかないのはここを認め、それをどう生かすのかが問われていると思います。
芸術はその一つの出口でしょう。
しかし芸術だけが唯一の出口であるとは思いません。
別の方法(可能性)もあると信じていいと思います。

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