Center:発達障害・精神障害の受け入れ③
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M=(2)おそらく執筆者T=自身は「うんと心を傷つけ」られた体験をしたのでしょう。* <br> | M=(2)おそらく執筆者T=自身は「うんと心を傷つけ」られた体験をしたのでしょう。* <br> |
2014年3月14日 (金) 08:56時点における版
発達障害・精神疾患の受け入れ③
〔2010年06月04日〕
4-2発達障害・精神疾患の受け入れの続きです。
ウィキぺディアへの記載者はT=、私の感想・意見はM=の形にして分けています。
T=なお、松田理事長は、フリースペースの運営試論 において、「なぜフリースペースの中心になる当事者の感覚が基準にならないのでしょうか。
私の観察では、そのような繊細な感覚を持った人十人すべてから合格を得る人がとても少ないからです。
わずかな感覚や雰囲気を段差と感じ、わずかな心理的な負荷を大きな違いと感じてしまう当事者にとって、対人関係の受け入れ幅が狭くなっているのです。
お互いに許容し合い、補い合い、融合し合いながらも自分を保持していく関係が難しくなっているからです。
おそらく、だれかを"他害"発生者として除外してほしいと願う人がいたとすれば、その人自身は別のだれかから"他害"発生者として除外にしてほしい対象になっていることでしょう。
それを繰り返していくうちに対象者は"だれもいない"状態になるのです。
これはフリースペースをつくらない理由にはなりますが、私は、フリースペースをつくろうとしているのです。」 と記している。
T=つまり「些細な事で心が傷付く引きこもり当事者の感覚のほうが不正確なのだから、その感覚を基準にしてはならないし、
むしろ、このフリースペースでうんと心を傷つけてでも対人関係の練習をしてほしい」
「私は社会的使命による引きこもりの研究のために、
『あらゆる事例の人を受け入れて観察する場であるフリースペース』を作らねばならない」という大義名分を優先し、
支援を求める通所者の立場を度外視した主張である。
M=(1)こういう記述に生真面目に反応するのも大人気ないですが、やむをえません。
「感覚のほうが不正確」というのは荒唐無稽で、感覚は状態・正常・異常などを知らせるもので「不正確」の表現はなじまないでしょう。
「うんと心を傷つけて」などの言葉も執筆者T=のもので、松田理事長のものではありません。
「うんと心を傷つけて」いいなんて考えることはないでしょう。
執筆者T=が挙げている「フリースペースの運営試論」自体の一読をお勧めします。
*「Center:2005年7月ーフリースペースの運営試論ー中間点報告」
M=(2)おそらく執筆者T=自身は「うんと心を傷つけ」られた体験をしたのでしょう。*
いずれにしてもフリースペース自体も参加する個人の状態によっては、修行レベルを超えて傷つくレベルの場所になるという1つの証言になります。
それは認めるべきことですが、執筆者T=が傷ついたといい始めた時期との関連で何がどうなのかの因果関係等が不明です。
M=(3)フリースペースの役割は引きこもりなどの対人関係の取れない人には重要な役割を持ちますが、ある種の副作用があると考える根拠を示したと思います。
フリースペースづくり・運営を考える提起と受けとめます。
M=(4)執筆者T=の状態が改善向上しないなかで、その要因をかつて通所をしていたフリースペースに求めている可能性も考慮すべきかもしれません。
これらはウィキペディアに記述すべきこととは離れますが、
フリースペースでの出来事と執筆者T=の傷ついた内容・種類・程度・状態などは執筆者の気質・性格特性及び成育歴とともに因果関係・了解関連として検討すべきことです。
*〔2011年8月8日の追記〕
私の知る範囲ではT=は複数の人を「うんと心を傷つけた」ことがあります。
因果関係は明確ですが、あえてお互い様とします…。
というのは、このような状態を必ずしも批判的には見ないからです。
こういう相互の関係は当事者のなかにおいてはもちろん、人間関係全体に生ずることです。
問題は、並はずれて傷つくやすくなる人が当事者にはいます。
相互性のなかで互いに傷つく以上のものを受け取るのです。
T=は傷ついた記憶はあっても、傷つけた記憶は薄いのでしょう。
それは基本的には当人の未成熟性(自己防衛を強くしないと守れない心身の状態)によります。
そういう状態の人は、自ずと望むもの(自分に対してしてほしいもの)が多くなります。
それは本人の意識を超えた自然現象であり、非難の対象にはなりません。
人間関係においてとりわけ苦手なタイプはいますし、逆に相性が働くのはこれと関係します。
対人関係の修行はだから必要なのです。
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