モザンビクからの留学生、マジンダさんの話を聞く
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2024年11月19日 (火) 19:50時点における最新版
モザンビクからの留学生、マジンダさんの話を聞く
〔2016年11月3日〕
南部アフリカのモザンビクからの留学生、マジンダさんの話を聞く機会がありました(10月29日)。
参加者は20名ほどでしたが、モザンビク自体をよく知る人が少なく、マジンダさんの話もさほど深いものではありません。
私は30年以上前に書いたものをもって出かけ、最近の様子と比べてみようと考えたのですが、そういう雰囲気ではありません。
それでもいくつかの様子はわかりました。
ざっと例えれば現在のモザンビクには日本の江戸時代的な自給自足的な農業が広範にあり、それが世界資本主義の高度の工業・商品経済と接している状況と言えばいいか…。
これが後進的な植民地宗主国ポルトガルの遺産によることをあらためて見た気がします。
1昨年、A.パンゲーネさんに聞いた「モザンビクはなぜ1975年の独立直後、葬儀場を国有化したのですか」の質問の答えが、衛生問題であったと推測できました。
マラリアなどの伝染病が広がり、それへの対応であると思えるからです。
この最初の布告では診療室の国有化もされています。
独立時の外務大臣J.シザノは後に大統領になり、この時期に国軍内に瞑想をとりいれ、反乱軍側との和平協定にこぎつけたことでも名を残しています。
和平後は毎年7~8%の経済成長を続け“モザンビクの奇跡”と言われています。
私がモザンビクに関心を持ち続けられるのは、政権を担うモザンビク解放戦線が広範な民衆の状態に即した、確固とした平和路線と独立志向を持っているからです。
M.ハリスというイギリス人研究者が「モザンビクは独立してもすぐに事態は変わらないだろう。しかし、独立しなけば何も始まらない」と独立の必要性を説きました。
その予測した通りですが、それでも順調であると思います。
マジンダさんは中部モザンビクの内陸側チモイオChimoio、ショナ族出身といいます。
ショナ族は内陸国のジンバブエの主要民族の1つのはずです。
この交流会は江戸川区ホームスティクラブ主催です。今年はボツワナ、ルワンダとアフリカとの交流の機会を設け、今回がモザンビクになったわけです。
会の終了後、昼食を一緒にするという話もあったのですが、次の予定があり参加できなかったのもちょっと残念!
モザンビクからの日本への留学生などは92名いるとのことですから、また機会があるかもしれません。