Center:開き直り的(?)釈明
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あれこれ話していたところ、「Ⅰさんはいつ頃からそういうケセラセラ人生になったのですか?」と聞かれました。<br> | あれこれ話していたところ、「Ⅰさんはいつ頃からそういうケセラセラ人生になったのですか?」と聞かれました。<br> | ||
ケセラセラ人生とは、なるようになる、なるようにしかならない、それに身を委ねて肯定的に生きていくことでしょうか。<br> | ケセラセラ人生とは、なるようになる、なるようにしかならない、それに身を委ねて肯定的に生きていくことでしょうか。<br> | ||
それも外からみれば、私の理想像の一つの見え方でしょう。<br> | それも外からみれば、私の理想像の一つの見え方でしょう。<br> | ||
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そんな意味を見つけたような気がしています。<br> | そんな意味を見つけたような気がしています。<br> | ||
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それよりも私のより根元的な気持ちをわかってもらえるかもしれないと思い、このような釈明をすることにしたのです。<br> | それよりも私のより根元的な気持ちをわかってもらえるかもしれないと思い、このような釈明をすることにしたのです。<br> | ||
私にとってはこれははぐらかしではなく、本質的なものです。<br> | 私にとってはこれははぐらかしではなく、本質的なものです。<br> | ||
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2024年1月8日 (月) 00:02時点における最新版
開き直り的(?)釈明
文通誌『ひきコミ』を通して文通している一方の当事者Kさんから、相手のやり方が納得いかない、仲介した不登校情報センターとして何とかしろという抗議が受けました。
抗議への対応が悪いことを含めて、回答を『ひきコミ』第9号(2001年10月)掲載しました。
〔2011年9月6日、掲載〕
Kさんの抗議を受けているⅠ(五十田猛)です。
私がぶっきらぼうであること、丁寧さや親切さをあまり重視していないことは事実です。
それがKさんへの電話応対にみごとに表われて、散々の事態です。
謝って今後は直していく、というのであればいいのですが、丁寧、親切というのは私の柄でなく、今後ともそうする自信はありません。
その事情を説明します。
私は17歳で高校を卒業するまで、山陰の田舎の漁師町で育ちました。
そこで見聞きした漁師たち、とくに若い漁師たちの姿が、私の理想とする人間像ではないかと、Kさんの痛烈な抗議を受けながら思い返しています。
私はその田舎の漁師町の生活に朝から夜までつかっていました。
同級生の数人も中学校卒業後、漁師になりました。
彼らは、働き者で根が正直でお人好し。
姿形はハンサムからほど遠く、世間的な“教養”も少ない。
たいがいは貧乏で、結婚したあとは嫁さんの尻に敷かれている……。
でも理想像に近いのです。
私は高校卒業後、都会に働きに出ましたが、田舎の漁師たちほど信頼できる人たちに出合ったことがありません。
粗野(ワイルド)であるけれども、人間としてとてもまともです。
猥雑な話を大声ですることはあっても、精神的な健康性はゆるぎないものです。
これらは子どものころの印象で、理想化しすぎているかもしれませんが、人は外見じゃないということを私が本気で信じている根元的な理由です。
私が大人になって出会ったことは、言葉つきの丁寧さに隠れた不誠実、教養のある言葉や雰囲気に囲まれた人間としての卑劣さです。
丁寧さや親切さと不誠実さや卑劣さは比例するのではないかと思えるくらいでした。
まあ、思いすごしでしょうが。
私は若いころのこういう体験と気持ちのなかで丁寧さや親切さを前面に出す対応を毛嫌いするようになりました。
そしてその荒地に育ったのが、ぶっきらぼうです。
親切さや丁寧さはいまとなっては私にとっては似合わないこと、柄にもないことになっているのです。
こういう私の到達状況が、Kさんの求めることと衝突したのだと思います。
かんべん願いたいです。
しかし、もう少し先があります。
私は田舎を離れて生活を続けるなかで、私のめざす人間像らしきものに出合いました。
幸か不幸か、生身の人間ではありません。
一つは、山田洋次監督の映画「男はつらいよ」の主人公、寅さん。
もう一つは宮沢賢治が「雨ニモ負ケズ」のなかで言葉にした「デクノボー」です。
いささか現実離れしているので、そのままを体現する術はありませんが、精神的な指向はそこにあります。
デクノボーは、宮沢賢治の研究者によると奥深い考え方があるようで、私はその領域をまだ理解するには至っていません。
とりあえず“役立たず”ということにしておきます。
宮沢賢治は冗談や謙遜でなく、本気でデクノボーになりたかったように思います。
私もそういう気持ちになってきたので、その気持ちが信じられるのです。
寅さんについても人生論的な解釈を深めることができますが、架空の物語のなかの人物です。
不登校情報センターの事務所を柴又と同じ葛飾区内に移転したので、寅さんに少し近づいたわけです。
そんなことを考えていたころ、Kさんから「ケア」という言葉を聞き、寅さんのやっていることがケアとなると‥…その人物と言葉のミスマッチに「ケアですか-?」という言葉が浮かんできたように思います。
寅さんは寅さんです。
寅さんの像の私らしい実現はどんな姿になるのでしょうか。
子どものころ私が見聞きしていた若い漁師たちの粗野で純粋な生き方の、私の環境における実現でしかないでしょう。
たぶん、ダメオヤジ、お人好しに近いものだと思います。
半年ほど前のことです。
学生のTさんから「すぐ着きます」と連絡があり、10分ほどで来ると待っていました。
彼女は3時間以上して来たのですが、そのいきさつを話したTさんは「Ⅰさんだからいいやと思った」と舌をペロっと出して、上目づかいに頭を下げたのです。
そのとき私のダメオヤジ理想像も、少しは浸透してきていると受けとったものです。
尊敬されるのではなく、安心感を持って軽んじられること、それがダメオヤジの一つの面だと思えたのです。
それは私にとってのサポート役の到達目標、人間関係における私のポジションかもしれません。
先日は、H君の相談を受けました。
あれこれ話していたところ、「Ⅰさんはいつ頃からそういうケセラセラ人生になったのですか?」と聞かれました。
ケセラセラ人生とは、なるようになる、なるようにしかならない、それに身を委ねて肯定的に生きていくことでしょうか。
それも外からみれば、私の理想像の一つの見え方でしょう。
Kさんからの抗議は、TさんやH君の反応に次ぐ、私のダメオヤジぶりを確認するものになるでしょうか。
そんな意味を見つけたような気がしています。
Kさん。
私のこの弁明は、あなたにとってはぐらかしであり、怒りを増幅させるものでしょうか?
もっと具体的にあれはどうなのよ、これはどうなのよ、に答えてほしいでしょうか?
私はそれはやめたいです。
それは泥仕合へ進む道で、傷つき合います。
ならば私はあっさりと敗北を選ぶでしょう。
それは形式的なもので、今後とも丁寧さ、親切さを約束しない――ともかく私の柄ではないのですから――謝罪(?)です。
それよりも私のより根元的な気持ちをわかってもらえるかもしれないと思い、このような釈明をすることにしたのです。
私にとってはこれははぐらかしではなく、本質的なものです。