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Center:2010年6月ー1998年ごろの「人材養成バンク」の経験

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(1998年ごろの「人材養成バンク」の経験)

2012年4月6日 (金) 09:24時点における版

1998年ごろの「人材養成バンク」の経験

〔2010年6月、未完成原稿〕
ウィキペディアの執筆者が支援というとき、文章上は明確ではありませんが、就業や職業訓練的なものを求めていたのではないかと感じます。
実は私も当初の支援を始めたばかりの頃はそう思っていました。
しかし、それは中心にならないと実感した取り組みがあります。
既に発表した本から、ポイント部分を紹介しま す。
それは1998年頃に取り組んだ「人材養成バンク」の経験です。
『引きこもりと暮らす―対人関係づくりのフィールドワーク型記録』(東京学参、2003年)の
特に第1章(3)「『人材養成バンク』の経験」を抜き出してみます。
「人間関係には不安があるが、「できれば働きたい」という人を対象に、彼らを受け入れようという事業所(企業など)をさがし、引き合わせようという試みだ。
約80名の若者が人材養成バンクに加入した。
事業所の方も数十か所になった。
…パソコン研修は20数人が参加した。
これはとりあえず目標は達成されたが、終了後、それを仕事にする人はその時点ではでなかった。
その程度では、仕事に就くだけの技量を養成することはできず、安い費用でパソコンの初歩を習える場になっただけだ。
数人が、農場・農家を希望した。
しかし、行って3日目に「帰りたい」とすぐに帰ってきた人がいる。
二週間の準備の後、でかける前日に「やっぱり行けません」と断ってきた人がいる。
受け入れ農家が“住み込み”を前提としているのに、自宅から片道二時間半ほどを通勤すると言って、結局、条件のあわない人もいた。…
そういう中途半端な不燃焼以上に大きく感じたのは、応募しない人が大多数(50人以上)を占めていたことだ。
加入した若者は「自分に向いている仕事がない」というレベルで判断したかもしれない。
しかし、私には、若者 の心身状態は、実は仕事さがしどころではなかった、と思えた。…
これらの若者にまず必要なのは、二階(仕事)ではなくて、階段(社会に出る力)だった。
仕事場を用意するとともに、人と関わっていく力を育てなければならないという事態を、あらためて強く知らされた。」(62~63ページ)

人材養成バンクの取り組みは1年ぐらいで自然消滅になりました。
これ以後、引きこもり支援の重点を対人関係づくりにしています。
この経験は私にはとても重大な教訓を与えました。
いろいろな支援団体が就業に取り組んでいます。
困難に直面していると予想しつつ、成功を期待しているところです。
しかし私が支援方法の重点を変更する必要を感じさせる報告はいまのところ聞きません。
(以下中断)

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