新しい家族構成像の萌芽
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− | + | *「ひきこもりの社会的・歴史的基盤」の連載を、テーマをやや細かく分け、1回分を短くすることにしました。<br> | |
+ | 2021年12月1日<br> | ||
− | + | 人間の生活の最も基本的な環境である家族が重大な、多くの難題をもつのが現代です。<br> | |
− | + | それがひきこもりの重要な原因になっていることを何回かに分けて書いてきました。<br> | |
− | + | いろいろな分野のいろいろな面から家族の状況は紹介され、指摘されています。<br> | |
+ | そうであるなしに関係なく、次の時代の家族像を予感させる動きも見えます。<br> | ||
+ | 西谷正浩さんは前掲書『中世は核家族であったのか』のなかで、「将来、近現代的な家族制度に代わる家族像がどうなるのか、オルタナティブはまだ見つかっていない」といいます。<br> | ||
+ | 私も全体としては西谷さんの意見と同じですが、深刻な現状の打開方向として表われている個々の断片をより積極的に評価してもいいと思います。<br> | ||
+ | 従来型の家族と並んで新型家族または類似家族というべきものが生まれつつあるととらえたいのです。<br> | ||
− | + | その1つは別居家族です。<br> | |
− | + | 夫または妻の単身赴任による一時的な別居家族はこれまでにもありましたが、それとは違います。<br> | |
− | + | 平安時代の妻問婚に似ているといえばいいのでしょうが(一夫多妻制でないのが異なる)反対側の夫問婚も含めて、ちらほら見られます。<br> | |
+ | これは増えていく予感がします(根拠は不十分ですが)。<br> | ||
+ | 他方では同性婚があります。<br> | ||
+ | こちらはより広がっているようであり、すでに事実上は法的な承認も得られ始めました。<br> | ||
+ | 同性婚夫婦の元に養子縁組で子どもが加わることも可能になった例もあります。<br> | ||
+ | 大阪市が男性カップルを、兵庫県が女性カップルをそれぞれ里親に認定した事例があります。<br> | ||
+ | 北海道は親元で育てられない子どもの里親について、一方が性同一性障害のあるカップルを認定しています。<br> | ||
+ | 同性同士の婚姻をパートナーシップ宣言で認める自治体は全国に広がりつつあります。<br> | ||
+ | その点、夫婦別姓が法的に認められないのは、まさに時代錯誤ではないでしょうか。<br> | ||
+ | それに夫婦同姓は世界的な基準とは言えません。<br> | ||
+ | ◎ 厚生労働省の里親委託に関するガイドライン(2011年策定)では、里親の要件の中に性的少数者(LGBTなど)に関する定めはなく、自治体ごとに判断しています。<br> | ||
− | + | 少し違う形のものは、共同家族的なものです。<br> | |
− | + | 一対の夫婦が基本になりますが、ここに別の夫婦も加わる、単身者や年長者が加わる、里子を引き取るなどの形で外見上は集団家族の様相を持ちます。<br> | |
+ | 家族構成に同性カップルが加わることも想定されます。<br> | ||
+ | これは子育てや介護、あるいはヤングケアラーの対応に有効だけではなく、共同生活によるいろいろな便宜を得られることにより成り立ちます。<br> | ||
+ | 社会問題を解決する決定打といえないにしても、いくつかの条件を工夫すればこれからの日本における社会問題の改善に大きく寄与できるものです。<br> | ||
+ | 共同家族的なものは構成メンバーの状態や人数などによっては、きわめて多様な姿を取りうると予想できます。<br> | ||
+ | 離婚経験者同士が結婚し、双方の連れ子と別れた一方の相手の子どもが一緒に暮らす5人家族がいるのを見たことがあります。<br> | ||
+ | 少なくとも違法な条件は見られず、すでに萌芽的なものは誕生していると想像できます。<br> | ||
+ | このような共同家族的なものは基本的には血縁的なつながりではなくなっていきそうです。<br> | ||
+ | 共感できる共通の関心事項があり、そうすることで何らかの利益と信頼性により誕生すると考えられます。<br> | ||
− | + | それらは住居環境としてコミュニテイハウスがその1つになるでしょう。<br> | |
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− | + | 互いに近隣に住むなどの居住条件があるものが含まれそうです。<br> | |
− | + | 徳野貞夫さんは前掲書『農村の幸せ、都会の幸せ』で、兄弟姉妹がそれぞれ独立し結婚した後、近隣に住むことによって小規模家族の負担を解消する近接別居の実例を挙げています(146-149)。<br> | |
+ | これも共同家族的な形態に近い、その1形態になるのかもしれません。<br> | ||
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+ | 家族の歴史において、男女一組を核とする近代的な単身家族世帯が、家族の最終終着点ではないことです。<br> | ||
+ | 人間の歴史においては、家族形態に絶対的・最終的な形態はなく、ただ生活条件が長く続いていくうちに生まれる相当に重い課題は家族の形態によって、その変化によって対応してきたのです。<br> | ||
+ | それは社会的な承認以前に実態として生まれ、広がってきたものと思われます。<br> | ||
+ | 成立の過程からして現代の家族の変革は家族内における個人の独自性が高まるものでしょう。<br> | ||
+ | それは、男性が子育て・家事・介護に参加すること(世界的に見れば日本は遅れていますが、始まっています)、それによる家事労働の性格の変化、社会的な分業の進行(相当レベルに進んでいますが)、家計の安定的な運営(貧富の差の格差是正)、自治体が関与する地域住民の協力関係の高まり、政府の対応などが関係すると思えます。<br> | ||
+ | 国や自治体の対応はだいたいが後から追いかけてくるのが通常になっていると申し上げておきます。<br> | ||
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+ | これらの結果、小さくなった家族ではできない多くの役割、特に子育てと看護・介護に対してやや大きくなった共同家族なら、対応能力が高まるとみられます。<br> | ||
+ | 特に子育てが母親(妻)に過重な負担になっている条件を改善する方向性が感じられます。<br> | ||
+ | ひきこもりの発生を考えるなら、子ども期にひきこもる、青年期から壮年期にひきこもる、高年齢期にひきこもる、その背景事情の全部が家族関係に起因するわけではありません。<br> | ||
+ | ひきこもりは、家族外との関係(学校・友人・仕事上の関係)でも生まれますが、家族内の事情によっても生まれます。<br> | ||
+ | 家族関係に起因するひきこもりは、主に乳幼児期から思春期に関係することが多いと実感しています。<br> | ||
+ | それぞれの時期の家族関係に起因する要素を、新しい家族制度は減少させると思えるのです。<br> | ||
+ | こういう動きが広がればひきこもりの遠因ともいえる、子どもへの虐待やハラスメントが生まれる背景事情は改善されると期待できます。<br> | ||
+ | 子どもの中に生まれるストレスは減少し、いじめの遠因も下がると推測されます。<br> | ||
+ | これに自治体の援助制度が充実して加われば、この動きは促進されます。<br> | ||
+ | それでも自治体等による援助制度はどう考えても時間的・物理的・内容的に制限があるものです。<br> | ||
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+ | いずれそこに大きな可能性があると認められ、公的な目が向けられる時期が来ると感じているところです。<br> | ||
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2023年9月12日 (火) 23:02時点における最新版
新しい家族構成像の萌芽
*「ひきこもりの社会的・歴史的基盤」の連載を、テーマをやや細かく分け、1回分を短くすることにしました。
2021年12月1日
人間の生活の最も基本的な環境である家族が重大な、多くの難題をもつのが現代です。
それがひきこもりの重要な原因になっていることを何回かに分けて書いてきました。
いろいろな分野のいろいろな面から家族の状況は紹介され、指摘されています。
そうであるなしに関係なく、次の時代の家族像を予感させる動きも見えます。
西谷正浩さんは前掲書『中世は核家族であったのか』のなかで、「将来、近現代的な家族制度に代わる家族像がどうなるのか、オルタナティブはまだ見つかっていない」といいます。
私も全体としては西谷さんの意見と同じですが、深刻な現状の打開方向として表われている個々の断片をより積極的に評価してもいいと思います。
従来型の家族と並んで新型家族または類似家族というべきものが生まれつつあるととらえたいのです。
その1つは別居家族です。
夫または妻の単身赴任による一時的な別居家族はこれまでにもありましたが、それとは違います。
平安時代の妻問婚に似ているといえばいいのでしょうが(一夫多妻制でないのが異なる)反対側の夫問婚も含めて、ちらほら見られます。
これは増えていく予感がします(根拠は不十分ですが)。
他方では同性婚があります。
こちらはより広がっているようであり、すでに事実上は法的な承認も得られ始めました。
同性婚夫婦の元に養子縁組で子どもが加わることも可能になった例もあります。
大阪市が男性カップルを、兵庫県が女性カップルをそれぞれ里親に認定した事例があります。
北海道は親元で育てられない子どもの里親について、一方が性同一性障害のあるカップルを認定しています。
同性同士の婚姻をパートナーシップ宣言で認める自治体は全国に広がりつつあります。
その点、夫婦別姓が法的に認められないのは、まさに時代錯誤ではないでしょうか。
それに夫婦同姓は世界的な基準とは言えません。
◎ 厚生労働省の里親委託に関するガイドライン(2011年策定)では、里親の要件の中に性的少数者(LGBTなど)に関する定めはなく、自治体ごとに判断しています。
少し違う形のものは、共同家族的なものです。
一対の夫婦が基本になりますが、ここに別の夫婦も加わる、単身者や年長者が加わる、里子を引き取るなどの形で外見上は集団家族の様相を持ちます。
家族構成に同性カップルが加わることも想定されます。
これは子育てや介護、あるいはヤングケアラーの対応に有効だけではなく、共同生活によるいろいろな便宜を得られることにより成り立ちます。
社会問題を解決する決定打といえないにしても、いくつかの条件を工夫すればこれからの日本における社会問題の改善に大きく寄与できるものです。
共同家族的なものは構成メンバーの状態や人数などによっては、きわめて多様な姿を取りうると予想できます。
離婚経験者同士が結婚し、双方の連れ子と別れた一方の相手の子どもが一緒に暮らす5人家族がいるのを見たことがあります。
少なくとも違法な条件は見られず、すでに萌芽的なものは誕生していると想像できます。
このような共同家族的なものは基本的には血縁的なつながりではなくなっていきそうです。
共感できる共通の関心事項があり、そうすることで何らかの利益と信頼性により誕生すると考えられます。
それらは住居環境としてコミュニテイハウスがその1つになるでしょう。
しかし、集合住宅に限定されないでしょう。
互いに近隣に住むなどの居住条件があるものが含まれそうです。
徳野貞夫さんは前掲書『農村の幸せ、都会の幸せ』で、兄弟姉妹がそれぞれ独立し結婚した後、近隣に住むことによって小規模家族の負担を解消する近接別居の実例を挙げています(146-149)。
これも共同家族的な形態に近い、その1形態になるのかもしれません。
これらの新しい家族像の誕生は何を意味するのでしょうか。
家族の歴史において、男女一組を核とする近代的な単身家族世帯が、家族の最終終着点ではないことです。
人間の歴史においては、家族形態に絶対的・最終的な形態はなく、ただ生活条件が長く続いていくうちに生まれる相当に重い課題は家族の形態によって、その変化によって対応してきたのです。
それは社会的な承認以前に実態として生まれ、広がってきたものと思われます。
成立の過程からして現代の家族の変革は家族内における個人の独自性が高まるものでしょう。
それは、男性が子育て・家事・介護に参加すること(世界的に見れば日本は遅れていますが、始まっています)、それによる家事労働の性格の変化、社会的な分業の進行(相当レベルに進んでいますが)、家計の安定的な運営(貧富の差の格差是正)、自治体が関与する地域住民の協力関係の高まり、政府の対応などが関係すると思えます。
国や自治体の対応はだいたいが後から追いかけてくるのが通常になっていると申し上げておきます。
これらの結果、小さくなった家族ではできない多くの役割、特に子育てと看護・介護に対してやや大きくなった共同家族なら、対応能力が高まるとみられます。
特に子育てが母親(妻)に過重な負担になっている条件を改善する方向性が感じられます。
ひきこもりの発生を考えるなら、子ども期にひきこもる、青年期から壮年期にひきこもる、高年齢期にひきこもる、その背景事情の全部が家族関係に起因するわけではありません。
ひきこもりは、家族外との関係(学校・友人・仕事上の関係)でも生まれますが、家族内の事情によっても生まれます。
家族関係に起因するひきこもりは、主に乳幼児期から思春期に関係することが多いと実感しています。
それぞれの時期の家族関係に起因する要素を、新しい家族制度は減少させると思えるのです。
こういう動きが広がればひきこもりの遠因ともいえる、子どもへの虐待やハラスメントが生まれる背景事情は改善されると期待できます。
子どもの中に生まれるストレスは減少し、いじめの遠因も下がると推測されます。
これに自治体の援助制度が充実して加われば、この動きは促進されます。
それでも自治体等による援助制度はどう考えても時間的・物理的・内容的に制限があるものです。
その充実は求められても当然ですが、自ずと限界があると予測できます。
このような共同家族に向かう動きは端緒的に過ぎません。
現在の家族に代わるオルタナティブはまだない、というのは確かです。
やや先走って入ると思いますが先を考えられる材料はできつつあると現時点でまとめてみました。
少数の人やグループの仲間内のものなど特別な事情から始まるものでしょう。
いずれそこに大きな可能性があると認められ、公的な目が向けられる時期が来ると感じているところです。
そうなったときに将来の家族の形は明確になると思えます。
長い目で見る歴史観が必要になります。