存続の危機にあるのは中世にできた家族関係
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2022年3月9日 (水) 13:59時点における最新版
存続の危機にあるのは中世にできた家族関係
和辻さんのいう日本の家族や家制度は、いつごろできたのでしょうか。
西谷正浩『中世は核家族だったのか』」吉川弘文堂、2021)が貴重な発表をしています。
鎌倉時代以降の中世は、日本社会の大転換期であり、農業という経済社会の確立とそれに相当する家族関係が成立したというのです。
20世紀後半の高度経済成長期をはさむ現在がそれに続く大転換期であるという点を理解してみてください。
次の要約が西谷さんの中世以来の日本の総括的な家族像と認められます。
「中世民衆の家族構造は、単婚の核家族で、分割相続を基本とした。
結婚した若い夫婦は、親の援助をえやすい出身家族の近隣に住むことが多い。
中世前期の民衆家族は、核家族世帯と核家族世帯を統合した親族組織からなる、二重構造を形成していた。
後者の拡大された家族は、①それが存在しない単独世帯のみの状態から、
②区画溝をもたない屋敷地に二、三世帯が居住する地点をへて、
③明確に区画された屋敷地に複数の核家族が屋敷地共住集団を形作る段階までに位置づけられる。
おおよそ①と②が小百姓層、③が名主層にあたる」(104p)。
そして「名主層の者は、屋敷内に親類・下人を住まわせ、妻子・眷属(けんぞく)をひきいて農事にあたったという。
屋敷内に住む親類・下人は、脇在野ともよばれた。
逃亡家族のなかには、脇在野として名主屋敷内に同居し、恩人である名主家の経営を支えるものもいたに違いない」(64p)
とあります。
庶民である小百姓の多くは核家族ですが、名主屋敷内に居住地が互いに近く、核家族の複合型ではないかと私には理解できます。
西谷さんはこれを屋敷地共住集団、親族的な協同組織を形成していたとみます(90p)。
分割相続の過程はかなり平等ですが、この親族的な本家から分家の関係が生まれると予測できます。
この基本部分は昭和の前半にも通用するほど続いてきたと思われます。
このような家族とその居住形態は、一般には中世の経済的な基盤である農業が成立したことを前提にしています。
西谷さんはこの事情を次のように書いています。
「農地にできる土地を開発しつくし、安定した耕地で集約農業を営む段階を迎える。
その時期は、近畿地方で13世紀後半から14世紀ごろ、東国や九州ではおよそ1世紀遅れて14世紀後半から15世紀ごろとされている。
つまり、日本列島の社会は、およそ室町時代に江戸時代に通じるような農業環境を手に入れたことになる」(47p)。
この農業=経済的基盤の状況が、室町時代、すなわち日本の中世の大変革期の根底にあります。
その政治的・軍事的変動の嵐が峠を越えた江戸時代に封建的な身分制度が固まります。
家族関係における戸主の権限の拡大、家父長制の成長と強化が進んだと思えます。
鎌倉時代から室町時代までは例えば女性の役割と地位、家族内の兄弟間も平等とは言えないまでも柔軟な関係であったと思わせます。
むしろ江戸時代以降に家父長制の固定化が進んだとさえ推測しますがどうでしょうか。