Center:理事長のアスペルガー宣言②
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2011年8月8日 (月) 11:57時点における版
理事長のアスペルガー宣言②
〔2010年06月09日〕
「〔4-3〕松田理事長の「私はアスペルガー」宣言」の後半です。
私の記述は「●[ ]」のなかに、ウィキペディアの記述は最初の部分です。
また、「親が発達障害」の場合、健全な家庭環境が失われることで、
子供を不登校・引きこもりに追い込んでしまうケースがある[4]ことから、
アスペルガー・自閉症(いずれも発達障害の一種)の傾向を自認しつつ、半ばそれに開き直り、
「自らの障害の傾向を自己に都合よく解釈し過ぎる」人物が、引きこもり支援団体の理事長を務めることには危険性も伴うであろう
(引きこもりを治すどころか、むしろ子供を引きこもらせてしまうようなタイプの人物が理事長を務めている事になるため)。
●[①親の発達障害と引きこもり支援団体の理事長の“発達障害”をこのように同列に並べるのは、無茶苦茶というものです。
同じ体験をした人が支援者として関わっていく方向性はだんだん評価されてきましたし、ピアカウンセリングはその一つの形です。
もちろん無条件に経験者は支援者になれるとは思いませんが、
執筆者のように一般論として否定するのは“トンデモ”論ではないですか。
②「自認する」「開き直る」とは、自分の性格特性を否定せず、肯定的に見る状態を指します。
筆者は揶揄しているつもりなのでしょうが、普通の表現では「自分を受け入れる」ことです。
自分の気質、体質、性格特性など、不便・不都合で、「変えたい、直したい」と思うこともあるでしょう。
私は自分を受け入れ、それを生かすことを勧めます。
どういう気質、性格であれ“変える”となると、部分的には“壊すこと”を伴いますし、順調に成し遂げられる保証はないです。
弱点も含めて受け入れる。そこからの成長を図るのが活路です。
③アスペルガー・自閉傾向の人に一般にこのような傾向が認められているのでしょうか?
すべて人は個性があり、ある部分はそれに向き、別のある部分はそれに向かないでしょう。
総体として向いているものを社会生活のなかで生かすことができるのがよく、それでも完全はないものです。
不完全が人の自然な姿です。自分では引きこもり経験者との適合性は、その不完全性にあると思います。
執筆者は理事長とは相性がよくなかった、これですましたくないのでしょうね。
④理事長のアスペルガー傾向が不登校情報センターとフリースペースの運営に障害になっていると言いたいのでしょうが、
何がどのような関連なのか具体的な内容はなく、アスペルガー傾向全般をこのような組織に就いてはいけないという記述になっています。
こういうのは差別表現になりかねませんのでご注意願います。
⑤私がアスペルガー傾向にあると言ったので、執筆者はその“レッテル”により、
不登校情報センターとフリースペースの事態を説明しようとしました。
ものごとの説明は具体的な因果関係や了解関連において説明しなくてはなりません。
私がアスペルガ―傾向といわなければ、執筆者はその関連で何かを言うことはできなかったのです。
これは“レッテル貼りに頼った説明”です。事態をとらえていません。
結局、(4-3)のところはアスペルガー傾向一般の“悪口”を述べたもので、
私が何をどうしたというものは全然見当たらないです。]