Center:通所者のメリット・前偏
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〔3-1〕通所者にとってメリット的なもの <br> | 〔3-1〕通所者にとってメリット的なもの <br> | ||
− | + | T=フリースペース等に参加するための費用が、年間6千円程度(会員価格・会報代込み。非会員は1回通所につき500円)と安い。<br> | |
− | + | M=正確な表現は、当事者の会員制度であり、入会金3000円、年会費6000円。会員はそれ以上の費用負担はない。非会員は1回通所につき500円としています。<br> | |
− | + | T=基本的に不登校・引きこもり・対人恐怖の経験者といった人々が集い、お互いに似たようなバックボーンを共有する者同士なので親しくなりやすい。<br> | |
− | + | M=出典A=「そこに集まってくる人の多くは、たぶんいくぶんは似た経験の持ち主です。自分と似た体験の話しをきくと、<br> | |
それによって自分の体験を違った形で見直したり、評価できる機会にもなるでしょう」。<br> | それによって自分の体験を違った形で見直したり、評価できる機会にもなるでしょう」。<br> | ||
「人と関わる力を考える」『ひきコミ』第4号(2001年)、p.8] <br> | 「人と関わる力を考える」『ひきコミ』第4号(2001年)、p.8] <br> | ||
− | + | M=出典B=「フリースペースには我慢しやすく傷つきやすい人、我慢しにくく攻撃しやすい人、周囲の気持ちがわからず自分中心になりやすい人、周囲の人の気分に関心が向き自分を見失いやすい人など極端な気分や行動になりやすく、自分を維持しづらいいろいろな傾向の人がいる。<br> | |
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‥‥『同じ体験をした人が集まり理解してもらえる』というのは、半分は当たっているが、半分は見当違いで、不登校体験者にとってもときには期待はずれや落胆の原因になる」。<br> | ‥‥『同じ体験をした人が集まり理解してもらえる』というのは、半分は当たっているが、半分は見当違いで、不登校体験者にとってもときには期待はずれや落胆の原因になる」。<br> | ||
五十田猛「不登校の予後」『不登校・いじめ その背景とアドバイス』<br> | 五十田猛「不登校の予後」『不登校・いじめ その背景とアドバイス』<br> | ||
(平岩幹男・専門編集、中山書店「小児科臨床ピクシス15」、2010年、34ページ)]<br> | (平岩幹男・専門編集、中山書店「小児科臨床ピクシス15」、2010年、34ページ)]<br> | ||
− | + | M=出典Aの認識から出典Bの認識への発展は、記憶によると2003年ごろある当事者がフリースペースに参加した経験を「まるで修行をしているみたいです」と話してくれたのがきっかけであったと思います。<br> | |
たぶんそのころにもこの認識の変化を記録したものがあるはずですが、出典探しの時間を省略します。<br> | たぶんそのころにもこの認識の変化を記録したものがあるはずですが、出典探しの時間を省略します。<br> | ||
フリースペースにおける当事者状態の認識の変化は、フリースペースのもつ役割の認識の変化につながっていきました。<br> | フリースペースにおける当事者状態の認識の変化は、フリースペースのもつ役割の認識の変化につながっていきました。<br> | ||
フリースペースでの対応がない、支援になっていないと感じる人はこの感覚に耐え切れないほどの心理が働く状態だと思います。<br> | フリースペースでの対応がない、支援になっていないと感じる人はこの感覚に耐え切れないほどの心理が働く状態だと思います。<br> | ||
− | + | それをストレスといえば、ストレス・ゼロに近いことが必要な人です。<br> | |
+ | ストレスを感じながらそのなかで成長を図るレベル、それが修行に当たりますが、そこに到達していないのです。<br> | ||
本人の責任とかやる気の問題ではありません。]<br> | 本人の責任とかやる気の問題ではありません。]<br> | ||
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2019年1月1日 (火) 19:40時点における最新版
通所者へのメリット・前編
通所者へのメリットとして箇条書きで5項目あります。
前半の2項目を(前編)、後半の3項目を(後編)として意見を述べます。
ウィキぺディアへの記載者はT=、私の感想・意見はM=の形にして分けています。
〔3-1〕通所者にとってメリット的なもの
T=フリースペース等に参加するための費用が、年間6千円程度(会員価格・会報代込み。非会員は1回通所につき500円)と安い。
M=正確な表現は、当事者の会員制度であり、入会金3000円、年会費6000円。会員はそれ以上の費用負担はない。非会員は1回通所につき500円としています。
T=基本的に不登校・引きこもり・対人恐怖の経験者といった人々が集い、お互いに似たようなバックボーンを共有する者同士なので親しくなりやすい。
M=出典A=「そこに集まってくる人の多くは、たぶんいくぶんは似た経験の持ち主です。自分と似た体験の話しをきくと、
それによって自分の体験を違った形で見直したり、評価できる機会にもなるでしょう」。
「人と関わる力を考える」『ひきコミ』第4号(2001年)、p.8]
M=出典B=「フリースペースには我慢しやすく傷つきやすい人、我慢しにくく攻撃しやすい人、周囲の気持ちがわからず自分中心になりやすい人、周囲の人の気分に関心が向き自分を見失いやすい人など極端な気分や行動になりやすく、自分を維持しづらいいろいろな傾向の人がいる。
‥‥『同じ体験をした人が集まり理解してもらえる』というのは、半分は当たっているが、半分は見当違いで、不登校体験者にとってもときには期待はずれや落胆の原因になる」。
五十田猛「不登校の予後」『不登校・いじめ その背景とアドバイス』
(平岩幹男・専門編集、中山書店「小児科臨床ピクシス15」、2010年、34ページ)]
M=出典Aの認識から出典Bの認識への発展は、記憶によると2003年ごろある当事者がフリースペースに参加した経験を「まるで修行をしているみたいです」と話してくれたのがきっかけであったと思います。
たぶんそのころにもこの認識の変化を記録したものがあるはずですが、出典探しの時間を省略します。
フリースペースにおける当事者状態の認識の変化は、フリースペースのもつ役割の認識の変化につながっていきました。
フリースペースでの対応がない、支援になっていないと感じる人はこの感覚に耐え切れないほどの心理が働く状態だと思います。
それをストレスといえば、ストレス・ゼロに近いことが必要な人です。
ストレスを感じながらそのなかで成長を図るレベル、それが修行に当たりますが、そこに到達していないのです。
本人の責任とかやる気の問題ではありません。]